自分もあの子も1人が嫌いだ。だから離れていったりしないし、多少の我儘も聞いてくれるなどと、勝手に保険をかけていた。そんなの約してもいなくて、絶対だとは言い切れないのに。
「シンドバッド様…」
「ほら、よく顔を見せて?」
真昼間の宮殿。人目に触れず、距離を縮める1組の男女。女は躊躇いつつも、あながち嫌ではなさそうに目の前の男を見上げる。その黄金色の瞳に吸い込まれるようにして視線を奪われていた。
侍女の顎を掬い取って、甘い声で囁きかければ女は身動きしなくなる。少し前から、目をつけていた侍女は、案外あっさりと悦びを含んだ瞳の色をした。ふと、あの子にこうやって迫ればどういう顔をするのだろうと思った。ナマエにはこんな事しようとも思った事がない。別にそういう対象じゃないからとか、もはやそんな事すら考えていなかったと気がついた。
「こんな所では…」
「はは、誰も通りやしないよ」
侍女の声を聞き意識をすぐさま戻す。これくらい恥じらいのある方が面白いじゃないか、と口角を上げる。シンドバッドが侍女の唇へと視線を落とすと、女は彼の胸元に手を添えた。彼が身を屈めたその時、女は小さく声を上げた。
「あ、」
不審に思って侍女を見れば、焦点は自分ではなく遠くに合わされていた。その視線の先を辿り振りかえると、そこに居た人物とばっちりと視線がぶつかる。
「ナマエ」
「…シ、シンドバッド様…っ、私はこれで…っ」
何事もないのを装いきれず、焦ったように侍女は去って行ってしまった。あまりのタイミングの悪さに何の言い訳もしようがない。気まずさを紛らわすようにシンドバッドは前髪を掻き上げた。視線を感じて、なるべく目が合わないようにナマエを見る。
「…すみません。邪魔をしてしまいました」
その冷めた視線は彼女の上司を想起させた。日陰にいる所為か、その視線の所為か、周りの温度が下がるのを感じる。
「いや、」
「隠れるならもう少しきちんと隠れた方が良いかと」
政務官ならば怒鳴る所を、ナマエはどうでもいいとでも言うように心にもないアドバイスをシンドバッドに送る。ナマエは気になんてしない。何度かこのような場面を既に見ているからだ。だから冷めた目線を平気で送ってくるのだろう。先日、ジャーファルに見せた笑顔の欠片すらない。別に笑顔が見たい訳ではないが、何らかの感情を彼女から引き出したいという欲に駆られる。
「じゃあナマエでやり直させてくれるか?」
ナマエの手を引くシンドバッド。溜め息を吐こうとした彼女はいつもと違う雰囲気を察して、彼の表情を伺った。いつもならニヤリと笑っているだろう彼が、真っ直ぐにナマエを見ているからだ。動揺を隠して何ともないようにその眼差しに対抗する。するとシンドバッドは挑発するように顔を近づけた。
「随分と余裕だな?」
「困ります、王よ」
シンドバッドの思った通り、彼の魅力を持ってしてでも彼女は物欲しそうな顔なんてしなかった。しかし、その距離の近さに抗えてないのも事実のようだ。
「そう言う割りには、顔が赤いが?」
シンドバッドがナマエの頬に手を伸ばすと、チリッと左耳に痛みが走った。
「痛っ…」
ナマエはシンドバッドのフープピアスに指を掛け、外側に思い切り引っ張っていた。慌てて体を離す。冗談だと笑って済ませて、それで呆れてくれるならば、いつも通りだ。そう思ったのは間違いだった。
「シンと一緒にしないで」
誰とだって良い訳じゃない、そう言っているように聞こえた。明らかに怒りを孕んだ声。シンドバッドは初めてナマエが怒るのを見た。そのすぐ後には、ジャーファルに告げ口しないだけマシだと思え、と呆れ顔のナマエが居るだけで、何かの見間違えだったのかと知らず知らず2、3度瞬きをしていた。
分かり合ってなどいない
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