amabile
※続き
そして、あたしは中学校を卒業した年のコンクールであの拍手の波に包まれた。
今度は客席からではなく、舞台から先生が客席に向かって立つ姿を見つめていた。エルヴィン先生のいる、この高校に入学して、吹奏楽部に入ったからだ。
カンカンカン、指揮棒が譜面台を叩く音がする。
「ナマエ、そこのソロ、それでもおもしろいけど、まずは符号に忠実に。」
「はい」
「あと、さっきから20小節の3拍目、ピッチが合ってないぞ。もう一回、16小節目から!」
「「「「はい!」」」」
あの拍手の波を自分も体験して3年目がやってきた。中学生の時には手に入らなかったものの多くが手に入った。演奏する楽しさも、大好きな仲間ができた事も、もしあの時辞めていたら知らなかった事ばかりだ。
あたしの座る席はいつも先生の目の前だ。3年前の夏、あたしが想像した光景が今も目の前にある。もう一度吹き直したソロは先生のオーケーが出たのかそのまま演奏は止められる事なく進められた。
チラリ、と先生を見て目が合った瞬間、いつもは真剣な表情なのに、先生は一瞬だけ微笑んだ。何故か、あの時見た笑顔と、さっきの光景が頭の中で被った。
今の、見たのあたしだけでありますように。他の誰かがもし見てたとしても良いや。あたしだけに向けられたんだもん。…ああ、今の本番だったら最高だったのにな。
「おい、ホルン。そこ合ってない。音が細かいからってごまかすな。ナマエ、きちんとパートで練習しておきなさい。」
「…はい」
…やっぱりいつも上手くはいかない。
今日結構注意されてたな、と合奏後にジャンに言われた。べ、別に怒られても悲しくないしィ。私の音聴いてくれてるんだしィ、とブツブツ返す。うわ、気持ち悪ィな。アホかお前、と言うジャンの後ろに先生がいた。
「まあ、それも一理あるけど。」
「せんせー!アホじゃないですよ!」
「違うよ、君の音を聴いている方の話だ。期待してるって言っただろう?それでナマエはこの学校に来たんだ。」
妥協はさせないよ。ナマエは満足でも私は満足しないだろうね。
先生は笑って言ったけど、そこに温かみがないのは気のせいかな…?
アハハ…なんだろう、あたしマゾ気質あるのかな…。ゾクッとしたよ?
ハハ…と空笑いをするあたしを見て笑った先生はスコアを置いてあたしの隣に座った。ジャンは楽器を片づけに戻ったようでそこに彼の姿はなかった。
「ナマエは、この学校に来て良かったかい?」
「はい。というかエルヴィン先生のおかげで今も吹奏楽続けられてるんです。」
「それは良かった。部長も辛くはないかい?」
「全然!本当あたしは恵まれてると思ってます。全部先生のおかげです。」
「はは、随分私は感謝されてるんだな。私もナマエには感謝してるよ。あと一年もしない内に君達を手放さなければならないのが惜しいくらいだ。特にナマエは」
「はは、そんな事、」
「ナマエを手塩にかけて育てたのは私だよ?」
「…そうですね。あたしもずっとここに居たいです。」
「できるのならそうして欲しい。」
「先生、」
じゃあ、どうしたら良いですか。
その言葉は呑み込んだ。言ってもどうしようもないから。
あたしはエルヴィン先生の青い瞳を見上げた。本当にこの人はずるい。いつもこっちが恥ずかしくなるような事をあたしに言っておいて何を考えてるのかさっぱりわからない。
今はあたしが勝手に彼にしがみついている。卒業したらあたしと彼を繋ぎとめるものは無くなってしまうのだろうか。その時あたしはどうなっているんだろう。この気持ちもいつかは忘れるのだろうか。
尊敬とか感謝なんかじゃない。エルヴィン先生が、すき。
仲間と演奏する楽しさも、教えてくれた。後悔させないでくれた。あたしを暗闇から引きあげてくれた先生の側にずっといれたら、なんて叶いっこないのだ。
それでも卒業するまではずっとみんなと楽器を吹いていたい。
「ナマエ、また今度ゆっくりと話でもしようか。」
「はい、」
「はは、デートのお誘いだよ。」
先生はそう言って笑った。
本当に何を考えてるんだろう、この人。
この想いだけは忘れたくない。
でも伝えられないからどうか、少しだけでも良いから、どうかこの想いが音と一緒に届きますように。
amabile / 愛を込めて
(あなたに全てを捧げたいです)
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