君だけにあげるおまじない

朝、目が覚めてから気分は最悪で、ベッドから起き上がる事ができなかった。体が言う事を聞かないと言うのはこういう事なのか、と冷静に思った瞬間、改めて不調を自覚する。体は熱で火照って、喉は唾を飲み込むのも辛い。頭は鈍く、重くて、痛かった。

そして、次に頭に浮かんだのは、今日は朝起きたらすぐにエルヴィンに昨夜作った資料を持っていかなければならないという事だった。しかし、起き上がれそうにない。誰かにとりあえず来て欲しい、と思っているとタイミングの良い事にドアがノックされる音が響いた。

「ナマエー?」
「…はい」

聞こえてきたのは、ハンジの声だった。いつも研究室にこもりっぱなしの彼女を引きずり出して朝食を一緒に食べるからいつまでたってもナマエが来ない事を不思議に思ってくれたようだ。

「ナマエ?…あら、風邪?」
「…ごめん、ハンジ…しんどい…」
「大丈夫かい?珍しいね、ナマエが体調崩すなんて」
「…机の上…資料、団長、持ってって…」
「うん。わかったよ」

単語だけ発するナマエにハンジは苦笑いしながら、机の上にある資料を見て頷いた。

「あと、団長には、言わないで…」
「え?なんで」
「いいから…」
「あー、そうだね。まあ言わないようには努力するよ」
「お願い」
「はいはい。じゃああとで薬とか持ってきてあげるから」
「…ありがと」

ハンジが上手く立ち回ってくれる事を願って、任務につけない事を申し訳なく思いながら目を閉じると段々と意識が遠のいていった。



そんなに長い間意識がなかった訳ではないと思う。目が覚めると頬に手が添えられていた。


「…ナマエ、調子はどうだい?」
「…え、」

一番この姿を見られたくない人がベッドの側に座っていた。乾いて張り付いてしまった喉を振動させる事ができず、声が出ない。やっとの事で小さく彼の名を呼ぶと、優しく微笑んでまたナマエの頬を撫でた。とっさに布団で顔を隠す。顔も洗えてないし、髪はボサボサだ。恥ずかしい。

「なんで…ハンジに言わないでって、言ったのに…」
「風邪とは聞いてないよ。ただ、この薬を持って行ってくれって頼まれたんだ」

あの眼鏡…屁理屈か、とナマエは顔をしかめた。

「ほら、暖かいスープも貰ってきたから少し食べて薬を飲もう」
「食欲、ないです…」
「一口でいいから。起き上がれそうか?」

しばらく黙った後、首を横に振ったナマエをエルヴィンは軽々と抱き起こした。ナマエは黙って彼の首に腕を回す。鼻に当たった彼のワイシャツの匂いを嗅ぐと、少しだけ安心した。

「食べれたか?」
「薬は飲めた?」

声を出すのもだるくて、コクリ、コクリと小さく頷き全てに返事をする。

「良い子だ、ナマエ」

スープを食べられる分だけ食べて薬を飲んだナマエの頭を撫でた。普段の彼女なら子供扱いするなと怒るだろう。しかし、ナマエは黙って頭を撫でられている。

「仕事は…?」

いつもより弱気な彼女が、エルヴィンを不安げに見上げた。一瞬、不謹慎な考えがエルヴィンの頭を巡る。熱で潤んだ瞳、上気して赤く染まる頬。ほんの少しの色香が漂う。エルヴィンは頭を振るい、大丈夫だ、とだけ言った。


「もう少し水を貰ってくる」

水差しを持ってエルヴィンが立ち上がろうとすると、袖を引っ張られた。

「すぐ戻ってくるよ?」
「ごめんなさい…、離しますから」

そう言ったのになかなか手は離れなかった。
頭では迷惑だから駄目だとわかってるのに、心は嫌だとワガママを言ってしまう。エルヴィンには来て欲しくなかったのに、ここに居て欲しいと思っている。
感情のコントロールができなくて再び布団に隠れた。だから彼に風邪だと言うのを嫌がったのだ。彼は風邪だと知れば必ずここに来るだろう。そして看病しようとしてくれる。わかってたんだ。そして彼に甘えてしまう事も。


「一緒に居てください…」


別の意味で顔を赤くし、布団から目を覗かせて、絞り出した声。エルヴィンはベッドに腰掛けて、ナマエの顔にいくつもキスを落とした。


「移りますよ」
「顔くらいなら大丈夫だ」
「口は?」
「していいのかい?」
「やっぱり駄目」
「ここに居るから、寝なさい」
「本当?」
「本当」


ナマエはエルヴィンの手をぎゅっと握り嬉しそうに微笑んだ。エルヴィンはその手を持ち上げ手の甲にキスをする。


「早く治るおまじないだ」


もっと甘えて良いよ、と彼は言う。普段任務で忙しく、こうして日中に一緒に居られる訳ではないので、それだけでもう十分甘えている事になる。少しだけ風邪をひいて得をしたな、なんて思ってみたりもした。


だけど早く直して、君とキスがしたい。

「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -