躊躇う

「ナマエ、コイツを駐屯兵団まで回してくれ」
「はい、わかりました。」

ナイル師団長がバサリと机の上に置いた紙束は、先日内地で起きた政治犯の反乱事件についての資料だった。駐屯兵団に回すという事は、今後の対策などについての連絡網みたいなものなのだろう。

そこまでは執務をこなしていればよくある光景だ。資料の1番上に折りたたまれた小さな紙が置いてある事を除いては。

きょろきょろと辺りを見回して、他にいる兵士に見られないようにその紙をポケットにしまった。資料を届けた後、誰も居ない場所で紙を開いて見る。その筆跡を見るだけで思わずにやけてしまうのだ。人を寄せ付けづらい目付きをしたあの彼が、会いたいと書いた紙を私に渡してくれる事が、唯々嬉しかった。

任務を終えて、彼といつも落ちあう小さな丘の上に向かうと、紫煙が宙を漂っていた。その煙の元を辿ればそこにはあたしの好きな人が居るのだろう。


「ナイルさん、すみません。遅くなりました」
「ああ、構わん」

遅くなったとは言ったけれど、まだ月は低い所に位置している。

いつも紙を渡されたら、ここで会うのが決まりになっていた。お互いの気持ちを知ってから初めて連れてきてもらったのが、この月が綺麗に見える丘の上だったから。憲兵団内では、私達の事は公にはしていない。だから、あの紙はすれ違いざまに渡されたり、今日の様に資料に挟んであったりするのだ。いい歳になっても、こんなやりとりをしている事があたしには十分くすぐったい。そのくすぐったさはきっと彼を好きだからなのだろう。

「はあ、今日も疲れたな…」
「お疲れ様です。ご飯、ちゃんと食べましたか?」
「適当にな」
「タバコも控えないと、せっかく美味しいもの食べても、味しないですよ」
「はいはい…」

大体はベンチに座ってこんな取り留めもない会話をして過ごす。私があまり心配すると眉間に皺を寄せるけど、任務中より気が抜けた顔をしているから、私は差して気にしないで、むしろ安心した。

「…今日、満月か?」
「さあ…どうなんでしょう。でも、真ん丸ですね」

2人して空を見上げる。時折彼が吐き出した煙が、月を霞ませた。

しばらくどちらも口を開かずにいると、ナイルさんがあたしの手を引っ張ったので、抵抗する間もなく体が引き寄せられた。筋肉のついた腕がぎゅうっと私を抱き締める。この腕が、好きだ。苦しいです、と言うと、我慢しろ、と返されて、離したくないとでも言う様に強く締め付けられる。その小さな我儘を向けてくれる彼の微かな部分は私だけが知っているのだ。

「ナイルさん、ほんと、痛い…」
「ナマエ…」

本当に痛いから、胸元を押すと、ちょっとだけ体が離れた。それも束の間、名前を呼ばれて頬に手を添えらると唇が重なった。

上唇と下唇を交互に食まれたり、舌で私のそれを絡め取っては口内を犯す。彼のキスは彼の性格を表す様に荒々しい。

だけどキスの合間合間に見えたナイルさんの表情は少しだけ寂しそうに感じた。それが何故かはわからない。聞こうとも思わない。私と一緒に居て、話したくなったら話してくれたら、それで良いから。その為ならいくらでも私はこの身を彼に捧げたい。

「ナマエ…」
「ん…、はい?」
「…やっぱり、なんでもねえ」
「何なんですか。私が好きとか?」
「…」

冗談で言ったつもりなのに、彼は少しだけ顔を赤くして顔を背けた。私もつい、照れてしまった。顔を赤くした彼がかわいいと思ってしまう私もなかなかに末期なのかもしれない。だから、好きですよ、とポツリと呟いた。

「なあ、ナマエ、今日俺の部屋に来いよ」
「え?え、と…明日朝早いですし、朝弱いので、早く寝たいですし、師団長の部屋と私の部屋は遠いですから…」
「別に大丈夫だろ。俺の部屋に泊まれば良い話だ」

先ほどの彼はどこへ行ったのだろうか。気だるげにそう言う癖して彼の手は私の腰を撫でた。彼の視線が私の唇に移ると、再びキスを落とされる。


目を閉じると、秋の虫の音が聞こえて、彼の香りと、苦い味がさっきよりも一層強くなった気がした。
その所為で身体は勝手に彼を求めていて、早く帰らなければと思っているのに、帰りたくないと言う本音と建前の間に立って戸惑っている自分が居るのだ。

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テーマ「人外ファンタジー」
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