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ナマエを自分の下に就かせようと思ったのは、エゴもあるかもしれない。
何故かと言われれば、昔出会った彼女と名前も姿形も同じナマエを自分の近くに置いておきたかったから、彼女の誠実な働き振りを見たから、そのどちらもだと言うのは確かだ。1カ月経っても、自分を緊張で一杯の瞳で見つめるナマエにもっと信頼して欲しい、笑って欲しいと思うのは、確かにエゴなのだろう。



初めて目の前に詰まれた膨大な資料の山を見た時、ナマエは唖然とした様子で目を2、3度瞬かせた。

これが調査兵団のトップが捌かなければならない仕事の量か、とナマエは背中に汗が伝うような感覚がした。しかし最近はその量を見ても、今日は少ない方だとか、これくらいならなんとかなる、と思えるようになったのだから恐ろしいものだ。

エルヴィンの下でナマエが働くようになってから1カ月が経った。
ナマエが憧れて背中を追ってきた実際の彼は、壁外でこそ冷酷だとか言われているけれど、それは人類の勝利の為であって、本当に根が冷酷な人間という訳ではないと、ナマエは彼の下で働き始めてから知った。


「エルヴィン団長、明日の予算会議の資料です」
「ああ、ありがとう。もうすっかり仕事に慣れたようだな、ナマエ」
「いえ、まだまだです…。」

自分の名前を呼ばれる度に、あの彼と一緒に仕事をしてるのだなあと思って、ナマエは思わず胸がいっぱいになる。

「…ナマエ」
「はっ、はい!」
「…そんなに私が怖いかい?」
「え…いいえ…何故ですか?」
「手が震えてる」


そう言われてナマエは自分の手をぱっと掴んだ。未だにエルヴィンに資料を渡す手が緊張で震える。今までばれないように取り繕っていたのにエルヴィンはナマエの小さく震える手をしっかりと見ていた。


「あ、いや、これはですね…」
「そんなにかしこまらなくても」

ガタリ、とエルヴィン団長は執務机から立ち上がり、無言で彼女の近くへ寄る。

「あ、あの、エルヴィン団長…?」
「はは、そんなに緊張していたら毎日疲れないか?」


その言葉はまさに正しかった。ここ最近団長の近くで失敗しないように、迷惑かけないように、と考えながら仕事をしていたら、自分の部屋に帰った時にどっと疲れが押し寄せてきて、ベッドに直行コースだったから。それでも、彼の側で働けるのはナマエにとってとても光栄な事だった。


「それと、団長はつけなくてもいい」
「…は?…いっ、いえ!それはできません!」
「一緒に仕事をする事がほとんどになるんだ。畏まる必要もないだろう?」
「あああた、あたしは一端の兵士ですっ…。そのような事は…」
「はあ…そうか、ナマエは私を信頼していないのか」

エルヴィンは溜め息を吐いて、いかにも残念そうに呟いた。その行動にナマエの眉根は下がってしまう。

「私は何も…エルヴィン団長は上司です。親しげに呼ぶなんて…」
「いいんだ。昔、名前で呼んでくれたら信じられている気がすると言っていた人が居てね。私もそれを実践しようと思って」


それはいつかナマエが自分に言っていた言葉で。いつかのように、団長、など余計な物を付けずに名前を呼んで欲しい。エルヴィンの瞼の裏では、昔の彼女が信じて欲しいのだと言って笑っている姿が浮かんだ。


「それとこれとは…」
「私は君に信じて欲しい」
「あたしはっ!エルヴィン団長を信頼しています!」
「じゃあ、名前で呼べるね?」
「う…」
「ほら」
「エ、エルヴィン…さん」


「上出来だ」


そう言ってエルヴィンさんはその嬉しさを込めてナマエの頭を撫でた。

「あたしは子供じゃありません!」
「はは、その調子だ、ナマエ」



からかわないでください、とナマエは小さく呟いて、彼に対して抱いていた厳格なイメージとそれとは違う一面に追い付けず、ただ戸惑っていた。しかし、名前を言った瞬間に嬉しそうな笑顔を浮かべたエルヴィンを見て、ナマエも自然と頬が緩んでしまった。


「君はそうやって笑っていた方が良い」


その言葉をそっくりそのままあなたに返したい、とナマエは思う。



窓から吹いてくる柔らかい風が小さく2人の髪の毛を揺らした。


少しだけ、距離が縮まった瞬間をナマエはまだ覚えているだろうか。


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テーマ「人外ファンタジー」
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