08:切原赤也



「赤也!なんだ今のボレーは!たるんどるぞ!」
 俺の打った打球を、赤也がヘロヘロと走った末にラケットの面に当てるようにして打ち返すと、その球はネットを超えることなくコートに落ちた。すぐさま飛んでくる弦一郎の怒号に赤也がへたりこんでから振り返る。
「そ、そんなこと言われてもー…」
 心底疲れた様子の赤也の肩が上下に揺れる。
「まったく、これしきの練習で疲れきっているようでは先が思いやられるな」
 相変わらずベンチに腕を組んで座っている弦一郎。ほぼ睨みつけるような視線で赤也をじっと見つめるものの、赤也はもう立ち上がることも嫌になっているらしく地面に腰を下ろしたままただ呼吸を整えることに専念している。
「まぁそう言ってやるな弦一郎。さすがに3時間も通していれば疲れ果てるだろう」
「しかしそうは言ってもだな蓮二。持久戦に持ち込まれた時のために長時間全力でやれるだけの体力を、」
「確かに弦一郎の気持ちもよく理解できる。今まで赤也はスピード試合にこだわっていたことで、体力をつけることよりも技術やその技術を成し得るための筋力を向上することに力を入れてきた。もしも今、跡部や越前のような長時間のプレイが得意な選手と当たり、そういった方向へ試合を進められた時に最後にボロが出るのは赤也のほうだ」
 見たところ疲労困憊により赤也が再起不可能のようなので、この練習は終わりということでひとまず弦一郎のところまで歩み寄る。ネットを迂回して赤也を通り越し、それからチラリと振り返れば、赤也が首をうなだれている様子が見えた。するとジャッカルがタオルを片手に赤也に近づいていく。一旦タオルを差し出したものの、受け取る動作さえ見せない赤也。ジャッカルがうなだれた赤也の頭にタオルを被せてやると、一言「ちッス」と言ったらしく数センチ頭が動いた。
「…まぁ今日はここまでにしといてやろう」
 同じくその様子を見ていた弦一郎がぽつりと呟く。
「しかし突然3時間も通しての試合…しかも赤目・悪魔化禁止の中でここまでやれたことは褒めてやってもいいのではないかと俺は思うが」
 言って、弦一郎の顔色を伺うようにじっと見つめてみると、一度視線を合わせてから「くだらん」と一言返して立ち上がった。タオルを渡したジャッカルがこちらへ戻ってきたと同時、今度は弦一郎が赤也のそばまで歩いていく。
「赤也」
 弦一郎が呼びかけると、ゆっくりと顔をあげた赤也。弦一郎を見上げると、頭にかかっていたタオルが肩に落ちる。その顔は疲れきっていて無表情だった。
「いつまでもコート内に尻をつくな。さっさとベンチに戻れ」
「…うぃっす……」
 弦一郎の言葉に、小さな声で答える赤也だったが、再び首をうなだれてなかなか立ち上がろうとしない。それを見かねた弦一郎が少しかがんでから急かすように赤也の肩をポンと叩く。その衝撃に少しだけ体を揺らしながら、赤也がようやく立ち上がる。しかしその動作はあまりにも遅く、まるで老人のようだった。そしてふらふらとこちらへと歩いて来る。…老人?いや、あれはゾンビと言ったほうが正しいかもしれない。
「赤也。お疲れ様。よく頑張ったな」
 ずるずると足を引きずるように戻ってきた赤也が、そのままゆっくりとした動作でベンチに腰掛けるのを見てから声をかけてやる。するとチラッとこちらに視線を向けてから、今度は膝に肘をつけた姿勢になって首をうなだれた。
「もうありえないッスよ、半端ないッスよ…」
 その姿はまるで事業に失敗した社長のようだったが、なんとなく微笑ましいのは後輩であるという贔屓目だろうか。
「…今日は残りの時間、赤也は寝ていてもいいだろう、弦一郎」
 ぐったりとしている赤也の肩にかかっていたタオルを引き上げて、再び頭に被せてやりながら弦一郎を見遣る。
「な、寝てはならん」
「なぜだ。人間にとって一番良い休息は睡眠だろう」
「しかしだな、今は部活の時間中だ。さすがに寝てしまうのは…」
「しかし見てみろ、他の部員のあの視線を」
 俺の言葉に、ふと弦一郎が周りを見渡す。他のコートは幸村や丸井が使用中であるものの、球拾いをしている部員のほかに、赤也の長時間に及ぶ特訓を見ていた部員たちの視線はすべて哀れみを含んだものだった。
「赤也はこの3時間、決して軽い打ち合いをしていたわけではない。この疲労の中、睡眠をとることも許さないとなれば、弦一郎の異名は皇帝ではなく鬼畜になるな」
「鬼畜だと…!」
「知っているか弦一郎。疲労とはあまり関係ないが、睡眠をとらずにいる者はやがて幻覚などを見始める。赤也がそのような恐怖に陥っても構わないのか」
「む……」
 弦一郎が言葉を濁らせたので、トドメと言わんばかりに「な、赤也」と赤也に話を振ってみれば、いつの間にか赤也がこちらを見上げていた。
「…さっすが柳先輩……柳先輩が先輩でよかったッス…」
 頭に被さっているタオルの端を掴んで目元にやる赤也の姿を横目で見た弦一郎が「……仕方あるまい」と言うと、早速赤也がパタッとベンチに上体を倒した。
「まったく…」
 そんな赤也を、腕を組み直しながら見遣った弦一郎が呟く。なんとも不服そうな顔だ。
「しかし体力を付けるには運動と休息をうまく摂る必要がある。体力はそう簡単に付きはしない。運動と休息を徐々に増やしていくことが最善だ。そうだろう」
 疲れきった赤也は寝るのも早く、既に寝息を立て始めている赤也の、横になった時にはらりとベンチに広がったタオルを掴む。タオルの一部を頭で踏んでいるため、端のほうを少し引っ張ってから折りたたんで赤也の口元に添えた。唾液を垂らす確率が100%だからだ。
「確かに一日二日で体力はつかん。それはわかっている。しかし現状の段階で、これほど体力がないとは思わなかった」
「赤目や悪魔化した際には我を忘れているからな。体力もなにもほぼ関係なしになっている状態が多いが、これから先は赤目や悪魔化に頼っていてはいけない」
「うむ。まさにその通りだ。今日はこの程度にしておくが、最終的には5〜6時間、余裕でいられるくらいの体力をつけてもらわねば」
「つい先日の世界大会でもシングルスで5時間もの試合を展開していたからな」
「うむ」
 弦一郎が不意に赤也を見る。その視線はなんとも言い難いもので、厳しさの中に様々なものが混じっているように感じた。
「弦一郎」
「なんだ」
「お前にとって、赤也はどういう人物だろうか」
「……そうだな。生意気な後輩だ」
「それと同時に、来年の立海大附属中テニス部を担う存在でもあるな」
「ああ。生意気で手に負えん後輩だが、それでも他の3年生を押しのけてレギュラーにまでなった実力は認める。しかしそれで満足しているようでは、王者の座は難しい」
「……どうだ、赤也は俺たちを倒すと相変わらず意気込んでいるが」
「ふん、そんなものは心技体すべてを向上してから言うべきことだ」
「しかし弦一郎が、いつかは自分を超えてもらいたいと思っている確率は87%だ」
「な…そのようなことは思っていない」
「思っているんだ。心のどこかで。俺とて同じだ。しかし俺たちにもプライドというものが存在している。いつか超える時がくるかもしれんが、その時は互いに全力で戦った末に、圧倒的に倒してもらわなければ困る」
「…そうだな。まぐれでの勝利に、意味はない。しかし、超えてほしいと言うよりは、超えてしまえそうなほど強くなってほしいというのが本音だがな」
「……どこまでも負けず嫌いなんだな、弦一郎」
「悪いか」
「いいや」
 弦一郎にとって赤也という存在は、生意気でたるんだ後輩であるに違いない。しかしそれ以上に、来年のこの部を引っ張っていく重要な存在だという意識があるのも事実だ。青学や氷帝、ましてや不動峰など、1年生や2年生のレギュラーが目立つ学校とは違い、レギュラーがほぼ3年生である立海大は代が変われば力が劣ると思われるのも普通だ。来年、赤也がどうまとめ、そしてどうレギュラーの成長を助けることが出来るのか…非常に不安だが、赤也の場合は赤也自身が強くなることで皆を引っ張っていく方法が一番だろうと考える。
 しかし赤也とて、最初こそ俺たちを倒すと言って睨みつけてきたものの、実際ではかなり先輩として慕ってくれている節がある。俺もよく相談事などを持ちかけられるものだ…どれもこれもくだらないものであることに間違いはないが。しかし赤也はよく休み時間に3−Aを訪ねているようだ。なんだかんだと弦一郎に怒鳴られつつも、結局は赤也も弦一郎を慕っている節が多いのだ。そして弦一郎も、そんな赤也が結局はかわいいのではないだろうか。
「…まったく、だらしのないやつめ」
 不意に弦一郎がしゃがみ込んで、赤也の口から垂れた唾液を俺がさきほどたたんだ部分で拭いてやった。ふむ、合理だ。いや俺が思っている以上に赤也にかわい気を感じているのかも知れない。データノートに追記しておこう。

































***

いや本当に先日の世界大会か何か…いやヨーロッパ大会だったかもしれんが…いやとにかく、本当に5時間やってたみたいですよ。片方の選手がとうとう体力切れて球拾えずに負けたっていう…漫画だとアレですけど、やっぱ実際に5時間とかあると凄すぎますわな!なんか冷や汗かきました!笑

あ、あとアレですよ、睡眠をとらなすぎて幻覚が見え始めるのは起きっぱなしで14日くらいだそうです。



back

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -