*真田弦一郎の場合



 とん。と、何かにぶつかった。それが人間であるのは感触からわかったが、ちらりと見て驚いた。ぶつかった相手が思いがけず小さな女の子だったからだ。
「す、すまない」
 目が合ったので一言謝ると、女の子の表情が怪訝なものになる。いや、怪訝というよりも、まるで恐ろしいものを見るような……ん?恐ろしい?俺が恐ろしいのか?いや、待て、俺は別に不審者ではない。間違えられては困る。
「勘違いするな、俺は不審者ではない」
 つい口から思っていることがそのまま出てしまったが、同時に手があせあせと宙をもがいた。すると女の子の上目遣い、その眉がどんどんひそめられていく。
「ち、違うのだ、その…なんだ、お前、なぜこのようなところに一人でいる?」
 こういう時にどう対応したらいいものかわからず、とりあえず蓮二や幸村ならばどうするだろうかと考えると、以前に学校内に猫が迷い込んできて、捕獲騒ぎになった時に赤也が言っていたことを思い出した。
『俺らはまだ発展途上ッスけど、人間よりはるかに身体の小さい動物とかにとっては俺らってすげー大きい相手なんスよ。だから恐いと思わせずに近づくためには、まず目線を出来るだけ近くになるようにしゃがんで…』
 まるで行儀も何もあったものではなく、地面に這いつくばって猫の鳴き真似をしていた姿も同時に思い出されたが、ひとまずその光景を頭から切り離す。よし、そうか、このように高い位置から見下ろされてしまっては、話すこともままなるまい…。そう思い、しゃがみこんで視線を近くにした。
「……」
「…ご両親はどこだ?」
「……」
「……」
 しかし困ったことに、女の子が喋る気配が一向にない。ただ眉間に皺を寄せた状態で俺の顔を見つめているだけだ。俺の近所にも子供はいるし、道場に通っている子供もいる。しかし俺自身、子供などに興味がないため、この女の子がどのくらいの年齢であるかがわからない。子供のうちは女子のほうが成長が早いと聞く。いや、しかし個人差というものが存在している限り、やはり俺にはこの女の子の概要がまったくわからない。困ったものだ。
「……」
「喋らんのならば、俺はもう行くぞ」
 しばらく見詰め合ってみたものの、やはり女の子の口が開かれることはなく…いつまでもこうしているのも時間の無駄なので、ぶつかったことの謝罪は先に述べたわけだし、と理由をつけて立ち上がろうとする。すると、ぐいっと手首を掴まれた。
「なんだ?」
「……おじさん、ここどこ?」
「おじっ……、こ、ここは大型量販店だ」
 おじさんではないっ!と思わず怒鳴りそうになったが、ぐっとこらえて質問に答える。女の子の声はとてもか細く、俺の手首を掴んでいる手も白く細かった。
「…それの、どこ?」
「それ?」
「おーがた…なんとかのどこらへん?」
「ああ、ここはスポーツ用品コーナーだ」
「……お母さんたち、いなくなっちゃった」
「やはり迷子なのか」
「……迷子じゃないもん。いい子にしてたもん」
「そうは言ってもだな…とにかく、両親が見つからないのならサービスカウンターに行くべきだ」
「サービスカウンター…」
「どこにあるのかわからないのか…仕方あるまい、案内してやろう」
 そう言って立ち上がると、女の子が俺の手首から手を離してそのままするりと手を繋いできた。誰かと手を繋ぐなど、幼い頃に親に手を引かれていた頃を思い出すほど自分には縁のない行為だったために少し緊張したが、歩幅の違うせいで俺が行き過ぎるのを腕が引っ張られる感覚で気づくことができた。
「すみません」
 エスカレーターを2階ほど降り、サービスカウンターにたどり着くと従業員の人に声をかける。
「はい」
「迷子のようなのですが」
 視線を女の子に向けると、従業員の女性をじっと見つめていた。
「あ、はい。わかりました。お呼び出ししますので、お名前をいいですか?」
 女性が笑顔で女の子に話しかけると、さきほどのように黙りこんだまま喋ろうとしない。手を繋いだまま、腕で小突くような仕草をすると、一度こちらを見上げてから再び女性を見て、小さな声で名乗った。
「はい、わかりました。お呼びしますから少し待っててくださいね」
 女性がくるりと背を向け、アナウンスをかけ始めた。女の子を見ると、その女性の後姿を尚見つめ続けている。
「お前は人見知りなのだな」
「…しとみしり?なにそれ」
「ひとみしりだ。他人になつきにくいということだ」
「それ、悪いこと?いい子じゃないってこと?」
「いい子かどうかはわからんが…まぁ悪いこととは、あながち言えないかも知れんな。最近では不審者も多いことだ、お前くらい警戒心が強いほうが安全だろう」
「…おじさん、難しい言葉ばっかり」
「む、すまない。とにかく人見知りは悪いことではない」
「うん」
「それよりもだな。俺はおじさんではない」
「おじさんじゃないの?」
「失礼だな。俺は中学生だ」
「中学生?近所のお兄ちゃんも中学生だけど、おじさんほど大きくないよ」
「だからおじさんではないと言っているだろう。とにかく俺は身長が高いだけだ。断じておじさんではない」
 少々意地になって話をしていると、従業員の女性が「親御さんが見えられたみたいですよ」と声をかけてきた。言われて差された方向を見ると、こちらに向かって歩いてくる両親らしき人物がいた。
「まったく、どこに行ってたの」
「…わかんない」
「わかんないって…本当に私に似て方向音痴なのね。…あ、どうもすみません。ご迷惑おかけしました」
 母親と思われる女性が俺を見て頭を下げた。隣にいる父親であろう男性も同じようにした。
「いえ、俺は別に何もしていませんから」
 するりと手を離すと、女の子がこちらを見上げた。
「よかったではないか。ご両親が迎えに来てくれて」
「うん。ありがとう、おじさん」
「おじさんではない」
 相変わらずおじさん呼ばわりだったが、そのやりとりを見て男性が「すみません、こら、お兄さんだろうが」と言って女の子の頬をつついた。
「うん。わかった。じゃあ、中学生のお兄さん、またね?」
 今度は男性の手を握った女の子が、反対側の手をこちらに向けた。
「どうもありがとうございました」
「いいえ、礼には及びませんので」
 もう一度女性が頭を下げる。それを制するように手の平を向ける。
 ゆっくりと踵を返して歩き出した3人の後ろ姿を、サービスカウンターから少し離れたところで見ていると、女の子がちらりと俺を見て笑った。その笑顔はいかにも純粋な、子供特有のかわいらしい微笑みだった。俺と話しているときにも、両親と話しているときにも仏頂面だったが、あのような表情もできるのではないか、と思うと妙に安心した。























***

おじさんではない、が言わせたかった。


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