まるで死んだような寝顔だと思った。具合の悪さからだろう、ただでさえ色白気味な精市の顔は更に白さを増していた。何時間か前まで酸素マスクをつけていたそうだが、呼吸が安定したので取り外したらしい。しかしこの顔を見ていると、どうにも不安に掻き立てられる。よもや、死んでいるのではないだろうか。
「………」
 そっと、精市の顔に手を向けてみる。鼻先が手のひらにつくのではないかというほどに近づけてみると、わずかながら吐息が感じられた。そのことに多少安堵する。
 先日、精市が言っていた言葉のなかに「病気になってみないとわからないものだよ」というものがあった。いつ治るのかすらわからないような不安定な病と闘っている精市は、不安からか少し卑屈気味になっているらしかった。どこか拗ねたような、諦めたような、そんな揺らいだ雰囲気をまとっていた。そのような中で、口にしたその言葉。俺には、「病気じゃないお前たちにはわからないだろう」と言っているように聞こえた。卑屈になり、自分を蔑み、必要以上に自分自身の価値を引き下げて、俺たちのことを遠くの人間だと思っているように見える。俺には何もない、などと頭を抱えているのと同じだった。何もないことなどない。人間誰しもがその人なりのものを持っている。ただ、自分にはそれが当たり前に感じられているから、気がついていないだけであって。ただ、精市のその「お前たちにはわからないだろう」という発言は、あながち間違いではないとも思う。確かに俺たちは実際に病にかかったわけでもないし、もし万が一同じような状況になったとしたら、精市と同じように卑屈になる可能性も十分にある。だが、その言葉に頷くことをしないのは、精市にも同じようなことが言えるからだ。
「…お前とてわかるはずがあるまい。友人を病に乗っ取られ、何をすることもできずに回復をただ待つことしかできない俺たちの心情など」
 精市が駅で倒れた日、運び込まれた病院で、処置室にまで駆け込まんばかりの勢いだった弦一郎が言った言葉。無敗でお前の帰りを待つ。あれから、俺たちはひたすら精市の一刻も早い回復を祈り、ただ待つしか方法はないのだ。原因不明の病は、回復速度も人により曖昧らしい。何もできずにただやきもきとした気持ちを表に出さないようにしながら見舞いに訪れる他ないのだ。治療のためか、日々細さが目立つようになっていく腕。もう一度ラケットを持っても、うまく振り切れないかもしれない。そんな印象を受けながら、学校であったことや部活中の様子など、他愛もない話だけをした。しかしそれもいつしか、段々と精市がテニスに関する話題を避けるようになった。時には強引に違う話へと持っていく精市を見て、皆も少し戸惑っていた。───精市が、テニスを拒絶し始めている。そのことは、少なからず俺たちに衝撃と沈黙を同時に与え、どう接して良いのかすら、わからなくなってしまった。精市がテニスを避ければ避けるほど、あくまでもテニス部員である俺たちは近寄りがたくなる。きっと精市は、テニスができなくなるかもしれないという恐怖感を抱いたとともに、自分にはテニスしかないのに、という卑屈な妄想を始め、そしてその事柄から逃げ出そうとしている。人間の心理と、精市の性格からして予測は容易かった。しかし、その対応については、俺もどうしようもなく困惑してしまったことを覚えている。ただひたすら、真っ直ぐにぶつかっていく弦一郎や、空気の読めていない赤也、慎重な仁王や柳生、過敏になっているジャッカル、テニスの話題はNGと決め込んだ丸井たちとの様子を見張っていることしかできず、会話も相変わらず体調を心配する内容や病院生活の話ばかりしかできなかった。
「迷い続けてはいけないが、逃げてもいけない。ならばどこに行けばいいのかと、お前なら言うんだろうな」
 精市の髪の一部が、枕と頭に挟まれている。それを遠巻きに眺めてから、相変わらず白い顔を見つめた。本当に、死んでいるのではないだろうかと思うくらい動かない精市は、寝息を立てることもなくただ深い海の底に沈んでしまったかのように思えるほどだった。きっと今、精市の意識はまさに海の底なのだろう。深く眠っていて、俺が独り言を喋っても全く反応を示さない。
「……生きているのか」
 不意に、精市の頬に指先で触れてみる。生きているのか、精市。お前のテニスに対する思いは、まだ生きているのか?さらりと撫でてみるものの、やはりその感触にも反応はない。ああ、これはいよいよ死んでいるなと冗談めかして思わず笑みをこぼすと同時、ふと精市の目尻に光るものを見つけて、俺はそれを指先で拭った。テニスを拒絶している今、精市の「テニスをしたい」という気持ちが逆に強まりすぎていることは明白だった。俺たちはただ、その気持ちをうまく整理させ、確信に近づけさせることしかできず、結局はいつまでも待つより他ないのだ。

































***

当人もつらいはずですが、待ってる方だってつらいんです。それが病気ってもんです。みんなが幸せになれればいいのにね。



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