「…すごい雨だな」
 柳蓮二は、別段に変わった様子もなくポツリと独り言のように呟いた。部活がオフの放課後は、委員会の会議があっていつもと同じか、それ以上に遅い時間に下校することとなった。生徒玄関から外を見れば、ザァザァと轟音を立てて一直線に視界を遮る激しい雨。コンクリートに当たった雨が10センチ近くも跳ねていて、雨のひどさを更に助長している。ちらりと職員室のある方を見れば、うっすらと明かりがついているのが雨の隙間に見えた。
「あちゃー、柳先輩も今っスか」
 ひとまず靴を履いた状態で右手に傘を持ったまま立っていた柳が、その声に振り向く。そこには、後輩の切原赤也がワカメ頭をわしゃわしゃとかきながら歩いてきているところだった。
「ああ。俺は委員会で遅くなったんだが、お前はこんな時間まで何をしていたんだ」
 柳と同じように、ひとまず靴を履いた切原が柳の隣に立つ。じっと雨を見つめた後、柳の問いかけに答えるべく顔を向ける。
「…あー……なんつーか…、英語の補修的なものを」
「またお前ひとり特別授業だったのか」
「部活がない日を把握されてるんスよ〜…ホント勘弁して欲しいっス」
 誤魔化すように笑って、それから肩を落とすような仕草をする切原は、柳と正反対に表情に富んでいる。それを少し高い位置から見つつ、再び外へと視線を向ける。それにつられた切原も、同じ方向へと顔を向けた。
「さて、どうしてくれようか」
「どう…って、先輩、傘持ってんじゃないっスか。帰らないんスか?」
「今日は風がない。雨はほぼ垂直に落ちてきているが、地面からの跳ね返りなどが激しいために傘で守れる部分は上半身に限られる。そして視界も悪い。もう少し待つ価値はあると思うが」
 柳が、糸目はそのままに口元で少しだけ笑った顔を見せると、切原は「そっスね」とニカッと笑ってみせた。傘を持っていないところを見ると、柳の傘に入れてもらう気でいるらしい。
 相変わらず激しい雨が地面をバタバタと叩き続ける。分厚い雲は太陽を遮り、地上に熱を届けない。増して雨による冷却効果で今日は一日ひんやりとしていた。もうすぐ夏が来るこの時期、ありがたい現象であることには違いなかった。しかし目の前の度合いを超えた世界に、やはりまだ踏み込む気にはなれない。不意に切原がしゃがみこんで段差に腰をおろしたのを視界の端に見た柳が、そのワカメ頭に目を向ける。
「あーあ……雨ってホントやーな感じっスよねぇ…」
 溜息混じりに呟かれた声に少し違和感を覚えた柳が、切原のまつげに視線をやる。黒く伸びたまつげが、目元に薄く影を落としていた。
「…なんだ、雨に嫌な思い出でもあるのか?」
「思い出っつーか…髪が広がるし」
「…なるほどな」
「あーあー、いいよなー柳先輩はサラッサラのストレートで!」
 じろっと、まるで睨みつけるような目つきで切原が視線をあげて柳を見上げる。しかし柳は臆することなどなくフッと笑って切原の頭に視線を向けた。
「しかし俺は、お前の髪は嫌いではないが」
 柳が切原の髪を少し指先で触ると、「やめてくださいよ」とすぐに振り払われてしまう。だがそれすらも微笑ましいことのように、口元の笑みを崩さないまま柳の視線は切原を見ていた。
「……はぁ。柳先輩、」
 柳の視線に気づいているのかいないのか、再び切原が雨に目をやる。相変わらず弱まらないを黒目に反射して、切原は溜息をついてからポツリと柳に呼びかける。
「なんだ」
 それに対して柳がいつも通り手短に返事を返すと、今度は切原が少し不安げな視線で柳を見上げた。その視線を察知した柳が、続けて「どうした」と声をかけると、切原は再び雨のほうへと視線を投げ、どこか挙動不審さを醸し出した。これは何か言いづらいことか、もしくは言うかどうかを迷っている確率90%…と柳が確率を計算していると、不意に切原が自分の足元に目を向け始めた。
「…なんつか、俺って、どうなのかなって」
 そしてポツリと、自信なさげにこぼれた声。それを柳の耳は確実に拾ったが、意味がよくわからずに「どう、とは?」と聞き返す。
「んー…なんていうんスかねぇ。先輩たち、強いじゃないっスか」
「ああ」
「俺、一応レギュラーっスけど、なんか…どうなんだろうなって、ちょっと思っちまって」
「レギュラーに入っていることに対して、不安を感じているのか?」
「いや、そういう不安とかじゃなくて。なんつか…ホントに俺、先輩たちを倒せんのかなぁって」
 言葉の後半で、半分やけくそのように顔を上げた切原は、どこかふてくされたような、納得のいかないような顔をしていて、表情に忙しいやつだな、と内心思いながらも柳は微笑むのを耐えた。
 雨が、わずかに弱くなってきている。
「……自信がないのか?」
「…だと、思います。俺って、ただ攻めるばっかりで、一撃必殺みたいな技もなければ、かっこいい技もないし。こんなんでいいのかなーとか、考えちゃったんスけど」
 座っていることに飽きたのか、切原が再び腰をあげる。雨のかからないギリギリのところまで歩いていき、両手をポケットにつっこんだ姿勢のまま大量の水滴をこぼす灰色の空を見上げた。柳から見たその背中はひどく不安定に揺れているように見える。
「…はぁぁ……」
 柳の返事を待つわけでもなく、切原の口から長い溜息が漏れる。それを聞いた柳が、すっと切原の背中に近づく。右手の平を、その背中に向けた。
「…そのような煩悩は、雨に打たれれば消える」
 ドンッ。次の瞬間、柳は切原の背中をたいそう強く押した。雨のかからないギリギリの場所にいた切原が押された衝撃で前へ出る。もちろんそこは土砂降りの雨の中だ。
「…!!」
 そしてその切原が、声もなく柳を振り返る。どうやら驚きすぎて言葉が出ないらしい。その顔を見た柳が笑ってみせると、ようやく柳に背中を押されたのだと理解した切原がすぐに屋根の下へ戻る。
「な、なにすんスかっ!」
「くだらないことを考えるな。お前らしくもない」
 突然激しい雨の中に放り込まれた切原の髪が水滴で重くなっているのを目に見た柳は、しかし強い口調で切原に言葉を突きつけた。
「そのようなくだらないことで落ち込んでいる暇があるなら体を鍛えたらどうだ」
「だ、だって、でも雨ですし!」
「雨は関係ない。筋力トレーニングはどこでも出来る。鍛えることが嫌ならば、英語の勉強でもしていろ」
「ちょ、選択肢がひどいっス!」
 手のひらの水滴を払いながら未だ驚いた顔で柳を見る切原に、柳は話しながらハンカチを差し出す。当然そのようなハンカチサイズで拭いきれる水滴ではないが、ひとまず豪雨の中に突き出したことに対しての若干の詫びだった。しかし切原は反射的にそのハンカチを受け取り、手を拭いてから顔を拭き、それから髪の水滴を軽く拭った。
「まったく、お前には失望したぞ」
 そんな切原を見て見ぬふりをして、柳がようやく傘を開く。先ほどよりは弱まっているものの、相変わらずよく降っている雨にしびれを切らしたのだった。振り向き気味に切原を見ると、「そ、そんな」と焦った顔で柳を見ていた。
「さ、帰るぞ」
 そして柳が傘を片手に雨の中へと進み出す。すると慌てた切原が急いで柳の傘の中へ入る。さきほど柳が突き飛ばしたせいで濡れた切原の肩が、柳の腕に当たる。当然ながら冷たいその感触に、柳が困った顔をした。
「…冷たいな」
「誰のせいっスか!」
「俺だな」
「…わかってんじゃないっスか」
「しかしくだらない悩みは吹き飛んだだろう?」
「あー、そりゃーもう、ぜってー柳先輩倒すって誓いました」
「フッ、それは楽しみだな」
 切原が柳を見て視線を鋭くするのを見て、柳は少し嬉しさをにじませた顔で笑った。相変わらず雨はひどく、ふたりの足元はあっという間に靴の意味をなくし、制服のズボンもえらいことになっていた。重たい雲はその後も激しく雨を降らせ続け、結局轟音は夜更けまで収まらなかったが、翌朝には清々しく太陽が顔を出していたという。






























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そんで翌日、赤也は風邪なんだ。たぶん(笑)



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