「ささ、さ、さな、さなだふくぶちょう!!」
 昼休みになったとほぼ同時、ものすごい勢いで赤也が3年A組のドアを開けた。スライド式の戸がバターン!と派手に音を立て、その振動が床を伝ってにわかに感じられた。クラス中の視線は一度赤也に行き、それから俺に移る。毎回の如く廊下を走ってきては俺に怒られている赤也だが、ここまで騒がしく登場したことは今までにもなく、俺は同じ部活内の上級生としてというよりも同じ学校の生徒であることとして、このようなはしたない登場の仕方に恥ずかしさすら覚えるというものだ。
「赤也!お前というやつは…!」
 しかしいざ怒鳴ろうとするも、赤也はあっという間に俺の目の前まできて、手に持っていた一枚の紙を俺の眼前に広げた。顔から5センチほどの距離で見せ付けられたそれが見えるはずもなく、反射的にその紙を奪ってから顔の前からどけると、赤也が焦った様子で早くそれを見るようにと急かす。
「さな、ふ、副部長っ、そそそそれっ、見てくださいっ!」
「な、なんだと言うのだ、とにかく落ちつかんか」
「おおおおおちついてらんないッス、それ見てくださいよっ!」
 まったくどうにもこうにも騒がしい赤也。俺の机を手でバタバタと叩き、必死にこの紙を指差す。一体どうしたものか、とりあえずはこの紙を見ればいいのか。そう思い、今しがた赤也から奪ったその紙をもう一度広げ直す。む、これは回答用紙…赤也のものか。…………ん?
「………64点…だと……?」
「そそそそう、そうなんスよ!おおおおれ、え、英語で初めて35点以上取ったんス!!」
 もう一度名前の欄を確認してみる。決して綺麗ではない文字で切原赤也としっかりと書いてある。それぞれの回答欄にも、へたくそながらに必死に英単語が書かれ、時には記号や数字での回答になっている。丸がついているのはほぼ記号や数字で答える選択系のものだが、英単語での回答のものにも丸がついているものがあるし、英文においても、さすがに一文まるまる正解とはいかずとも部分点をもらっているではないか。名前の欄の横には、64という数字と、英語教師からのものだろう、「奇跡だな!」とコメントがついていた。
「な…!毎度の如く英語で追試を受けるために部活に遅れていたお前が、64点ではないか!」
「そうなんスよ!4時間目が英語で、テストが返ってきて、それで、とにかく副部長に教えなきゃと思って!」
「やればできるのではないか!」
 確かに今までに赤也が追試を受けなかったことは数えるほどしかない。ほとんど毎回赤点を取っては追試を受け、ひどいときは追試の追試を受けることもあったようだ。生徒に配られる宿題が赤也のみ専用のもの(他者よりも簡易版)になっているというのも蓮二から聞いていたし、まさかこのような点数を取ることなど全くもって考えられることではなかった。
 俺がつい褒めるようにして赤也に視線をやると、赤也が照れくさそうに後頭部に手をやって笑った。この大声での騒がしい会話に、クラスの連中が思わず拍手をし始める。
「へっへへ、なんか照れるッス」
 そんな周囲の人間の存在を初めて思い出したかのように赤也がキョロキョロと教室を見回す。それからぺこぺこと浅く頭を下げながら「どうも…」と相変わらず照れ笑いを見せた。
「奇跡だな……一体なにが起こったというのだ?」
 改めてまじまじと回答欄を見ながら問いかけると、赤也が視線を遠くに投げた。
「えーっと…そのぉ……たぶん、あいつのおかげッスかねぇ……?」
「あいつ?誰だ」
「あの…あいつです。俺をぶっ飛ばした、あの…ウザウザーとかいう外国人」
「うざうざー?お前をぶっ飛ばした…?……名古屋星徳の、リリアデント・クラウザーとやらのことを言っているのか?」
「ああ!そう!そんな名前だったッスかねぇ!」
 不意に思い出した名前を口にすると、赤也が首を縦に振って頷いた。今でも思い出す、フェンスに磔にされた赤也の姿。血まみれで痛々しいことこの上なかっただろう光景だったが、なぜここでそやつの名前が出てくる?
「クラウザーがどうしたというのだ?」
「ああ、えーっとですね。あの試合のすぐあと、自販機の近くでまた会ったんスよ」
「ほう」
「そんで俺、顔見たらまた腹立って来ちまって」
「それで?」
「それで、腹立ったまんま、すんげー罵ってやったんスよ!」
「………お前というやつは…」
 赤也が身を乗り出すようにして話すのを聞いて、想像するに容易いとともに、呆れる気持ちが芽生えてきてつい怒鳴ることさえやめてしまった。若さゆえの特徴とでも言おうか、なぜこうもこいつは血の気が多いのだ。蓮二を見習わんか。……いや、蓮二では冷静すぎるか。
「でもあいつ俺の言ったことわかんなかったみたいで、首傾げられて終わっちまったんスよ!こっちは喧嘩売ったのにスカされて気分悪いっつーか」
「まったくくだらんな」
「でもでもっ、俺、思ったんス」
「なにをだ」
「あいつを英語できちんと罵ってやろうって」
「……………」
 あまりのくだらない理由にしばし唖然とする。先ほどの大声での会話から今まで引き続き話を聞いていたクラスの連中がこそこそと笑い出していた。それをチラリと見てから、ごほんっと一度咳をする。
「くだらん。まったくくだらんぞ赤也」
「うっ……まぁ、そりゃ言い返す言葉はないんスけど」
「……くだらんが、結果的にはお前自身に奇跡といえる事象を生み出したのだ。クラウザーには感謝しておけ」
 そう言って、手元の解答用紙を二つ折りにしてから赤也へと差し出す。ほぼ条件反射的に赤也がそれを受け取るのを見てから「どうせ今から幸村や蓮二たちにも報告に行くのだろう」と言うと、赤也が再び嬉しそうな顔になって「はい!」と無駄に良い返事を返した。
「いやぁ〜自分でもビックリしたッスよ、まさか64点だなんて」
「理由はどうあれ、実力で勝ち取った点数なのだからな。今回は褒めてやることにしてやろう」
 よく頑張ったではないか。と言って赤也の目をじっと見てやれば、今までよりも一層嬉しそうに笑って大きく頷いた。
「うっしゃぁぁぁ!!そんじゃっ、隣行ってきますんでっ!」
 そして解答用紙ごと握り締めそうになりながらガッツポーズを作ると、そのままバタバタとまた騒がしく教室を去って行った。隣、ということは仁王と丸井に見せに行ったということだろう。たぶんこのまま順番に教室をまわるつもりなのだろう。
「…真田くん」
 すると不意に横から声がしてそちらを見る。そこにはいつも通りの表情で柳生が立っていた。そういえば柳生には見せつけに行かなかったなと思いつつ「聞いていたのか?」と聞くと、「ええ、ばっちり。切原くんと一度目が合いましたから」と答えた。
「まったく騒がしいやつだな、あいつは」
「あの様子では、わざわざ見せに行かなくとも隣の教室まで聞こえていたでしょうね」
「まぁ確かに奇跡的な点数であったことに違いはないが」
「理由はさておき、切原くんにしてはずいぶんな高得点ですからね」
「しかし重要なのはあのやる気がいつまで続くかだな」
「そうですねぇ…今回高得点を叩き出したことで達成感が生まれてしまえば、熱意が消えて次に繋がることはないでしょう」
「また追試の常連に逆戻りか」
「その可能性は高いですね」
「まったくそれにしても、もっと冷静に物事を報告できんのか、あいつは」
「よほど嬉しかったのでしょうねぇ」
「だからと言って、あのように騒ぎたてずとも報告はできるだろう」
「ふふふ…それもそうですが、」
「…なんだ。俺はなにか面白いことでも言ったか?」
 不意に柳生が笑い出す。それはいつも見せている愛想的な微笑ではなく、楽しいことがあったときに見せる微笑だった。このタイミングでのその微笑に違和感を感じて問うと、相変わらず微笑んだまま柳生がメガネをあげる仕草をした。
「…いいえ。あんなに騒ぐほど嬉しがっていた切原くんですが…」
 柳生のメガネは、度が強いのか目が透けて見えない。しかし蓮二と同様に、その視線がどこを見ているのかはわかる。ちらりと、一度微笑みながら視線をはずした柳生が再び俺の目を見た。
「なんだ」
「ふふ…解答用紙を確認した真田くんのほうが、まるで自分のことのように嬉しそうでしたよ?」
 言われて、一瞬動きが止まる。驚いたのと、こみ上げてきた羞恥からいつもの癖で怒鳴ろうと口を開いた瞬間、柳生がすかさず「それでは、私は購買へ行ってきます」と、今度は愛想的な微笑みに戻してから歩き出した。そのまま無駄のない動作で教室を出て行く柳生の背中を呆然と見ていた俺は、周囲のやつらが俺に意識を向けていることに気がついた。ほんのり熱く感じる頬をごまかすように一度咳をしてから、俺に意識を向けていたやつらをジロリと見遣るとその気配が一瞬にして消える。
「まったく、くだらん」
 ぽつりと言い捨ててから、さきほどからギャーギャーと騒がしいB組を注意しに向かうべく席を離れた。






























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あれ?中学校って義務教育だから追試とかないっすよね?…まぁいいか。←





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