遠征予定が急遽中止になって、俺たちはいつも通り立海のテニスコートに集まっていた。寒くもなく暑くもなく、薄い雲が空を覆っているだけで、たまに太陽がチラついてる程度というなんとも絶好の日和であることに間違いないが、そもそも遠征予定の場所が悪かった。青学に行く予定だったのだ。
「なーんかこう、一気にやる気が失せるッスよねぇ…」
「うむ…妙に気を引き締めていただけに、中止となるとなんとも気が落ち込むものだな」
 コートの上にしゃがみ込んでうなだれたポーズの赤也が呟いた言葉に真田が同意見だと頷くという奇跡まで起こるほど。それほど皆、青学との練習試合に気持ちを高ぶらせていた。なにかとやってくれる青学のこと、きっと普段試合をしている他の者たちとは一味も二味も違うはずだった。
「あーあ、今日こそ手塚と決着をつけたかったのになぁ」
 ラケットのガットを指先でなぞりながら幸村が残念そうに呟くと、その横にいた柳も眉を下げて笑ってみせた。そしてその更に横に、ひょいっと仁王が現れる。
「あの1年坊主とはやらんでええんかのー?」
「うーん、あの坊やは強いよね。でも今は手塚と試合したい気分なんだ」
 坊やとどう違いをつけてくるかが楽しみだったのに…。そう嘆く幸村が、不意にボールカゴまで歩いていく。何をしているんだろうと思って目で追っていれば、ボールをひとつ掴むとアンダーサーブの要領で軽くボールを打ってきた。そのボールの行く先は真田で、取り乱すこともなく真田が面で受け止めるように打ち返すと、幸村へと返って行くボールが再び軽く打たれる。そのボールの次の行き先は…
「俺かよ」
 咄嗟にポンと打ち返すと、幸村が更にまた打ってくる。どうやらトスを繋げて遊びたいらしい。部長である幸村がこんなことをしだすくらいなんだから、青学との試合が中止になったことで失われたやる気というものは相当なものだったらしい。何よりも真田や柳生がとやかく言わないのが恐ろしいくらいだ。そりゃ俺だって、またあの黄金ペアとか言う二人ともやりたかったし、何よりも海堂とまた体力勝負をしたかった。
「ほらほら、柳も」
「精市はたまに子供のようだな」
「失礼だな。初心に返ると表現してくれ。ほら、赤也」
 相変わらずしゃがみこんでいた赤也が咄嗟に顔を上げて顔をガードする。垂直に立てられた面に当たった弱い球が、上方向へ打ちあがらずに下に落ちる。ころころと転がるそのボールは仁王の足に当たって停止した。
「幸村部長〜、もう俺やる気出ないッスよ〜」
「そうだなぁ…期待が大きすぎたのがいけないんだろうね」
「でも決勝で戦った相手だぜぃ?しかも俺ら負けてっからよ。このままじゃいられねぇと思うとよー、つい力まずにはいらんねーだろぃ」
「この練習試合でリベンジを…と思っていたわけですね?」
「柳生、お前さんは決勝では補欠だったぜよ」
「ええ、ですが私もまたあのゴールデンペアと試合がしたかったですねぇ…今度は変装をせずに」
 チラリと他の部員を見てみるも、やはりテンションが下がっているのは同じのようで気だるそうに打ち合いをしたりしている。こんなに気合の入らない部活の時間が今までにあっただろうか。いや、俺が知るうちには一度もない。
「あ、そーだ」
 すると突然、また幸村が何か思いついたらしい。仁王の足元のボールを拾い上げて、ネットから少し離れた位置に立った。
「丸井、軽く打ち合おうか」
 そしてボールを持った手、人差し指だけをピンと伸ばしてブン太を指差す。
「ん?俺?」
 指を差されたブン太が自分を指差して確認するも、幸村は小さく一度だけ頷いてみせた。それからブン太が、気だるそうに歩いてネットの反対側へと向かう。同時に俺たちはギャラリーとなるべくコート外に出て行く。
「軽い打ち合いだからなー、五感とか奪うのナシなー」
 打ち合いを始める前にブン太がラケットを振ってみせた。幸村はそれを聞いてから「ふふっ」と笑って「わかってるよ」と返事を返したが、その直後に「五感なんて奪ったら意味がないじゃないか」と小さく呟いたのが聞こえた。やべぇ、何か企んでる。
「じゃあ、いくよ」
 幸村の透き通る声が聞こえて、軽く打ち合いが始まる。軽いストロークで打たれた打球は大した勢いがあるわけでもなく、なんの特徴もなくバウンドしてブン太の手元まで飛んでいく。それをブン太も同じような特徴もない打球でリターンする。
「ふあーあ…」
 俺の横で座って見ていた赤也が眠たそうに欠伸をして、それからゴロリと仰向けになってしまった。しかしいくら気だるい雰囲気とは言え寝転がるのはNGだったようで、すぐに真田が寄ってきて起こしていた。もちろん赤也は一発で起きた。
 ポコーンだの、パコーンだの、それはそれは気の抜けるようなインパクト音。やる気の微塵も感じられないような軽い打ち合い。そろそろ幸村が変化をつけてきそうだなと思いながら見ていると、やはり幸村の足が動き出していた。それまで横移動しかしていなかった足、その右足が前に踏み出すように少しだけ浮いた。と思った瞬間、その足を踏み出して勢いをつけた打球を打ち放っていた。突然インパクト音が鋭くなり、もちろんスピードもある打球がブン太めがけて飛んでいく。しかも打ち返しづらい胴体の位置を狙っていたらしく、咄嗟にブン太が身を翻して避けた。
「っと!おい!危ねーだろぃ!」
 避けた打球が凄い勢いで壁に当たって跳ね返るのを見てから、ブン太が幸村の方を向く。
「ごっめーん、手が滑っちゃったみたいだ」 
 すると幸村はわざとらしく左手を後頭部に添えて困ったような顔で笑っていた。わざとブン太を狙ったのは間違いない。そして本人がそれを隠す気がないことも間違いない。まったく恐ろしいぜ、幸村ってやつは…。
「ちょ、そういうのはナシ…」
「ほらほら次行くよ構えて」
「だから…!」
 有無を言わせずにボールを打ち出す幸村。気がつけばいつの間にか柳が近くまでボールカゴを持ってきていた。
「ちょっと待てって!身体狙うのナシ!」
「ふふふ、なんのことだい?手が滑ったって言ってるじゃないか」
 慌ててブン太も綱渡りや鉄柱当てで対抗するも、さすがに同部活内の仲間ともなれば対処法も簡単にわかるらしい…いや、もしかしたら幸村だからこそ簡単に対処できているだけなのかもしれないが。しかしブン太がいくらスマッシュやボレーで決めようとしても、幸村の動きに迷いはなくどれもアッサリと拾われてしまう。そして打ち合いの中で隙を見つけるたびにブン太は狙われる。
「おわっ!」
 今度は左肩あたりを狙ったらしい。ブン太はサッと避けたものの、やはりその打球は壁に激しくぶつかる。ブン太を狙うときだけ異常にパワーを込めてあるのは気のせいだと思いたい。しかし真田が呆れた顔をしていたり、柳が止めに行かずにむしろ幸村を援助しているということは、きっとブン太が避けれる範囲でやっているということなんだろう。尚のこと、恐ろしい。
「ごめんごめん」
「絶対わざとやってんだろぃ!」
「そんなことないよ、ほら」
 新たに繰り出されるボール。先ほどからブン太を狙ったボールがコート内に散らばっていてもおかしくないはずだが、そのボールはいつの間にか仁王が拾ってコート外に出していた。柳といい仁王といい、なんてさりげねーやつらだ。
 しかしずっと見ていると、幸村が左右に打ち分けたりしてブン太を走らせているのは間違いなかった。誰かを振り回して遊ぶのであれば、赤也あたりのほうが反応的にはおもしろいはずだったが、なんでブン太を選んだんだろうかと思っていると、不意に真田が「…うむ。丸井は最近たるんでおったからな…」と言いつつブン太の腹に視線をやったので言いたいことはわかった。なるほど、それでブン太を振り回して鍛えてやろうと思ったわけか。そりゃブン太が悪ぃな。確かにあいつ最近、前にも増してよく食うからな。
「ほらほら丸井、避けて避けて」
「ちょっと待て、完全に俺を躍らせるためにやってんだろぃ!」
「そんなことないって、ほら次は足元だよ!」
 幸村が宣言してからジャンピングスマッシュでブン太の足元を狙う。ボレーが得意でもともと足元を狙われるのが好きではないブン太が慌てて避けようとする。
「ほーれブンちゃーん、そこで向日ばりのムーンサルト〜」
「ムーンサル…ッ、できるかぁぁぁ!!」
 不意に仁王が茶々を入れた声に対してブン太が声を荒げるのを聞きながら、頭上を鳥が飛んでいく気配に気がついて空を見上げた。柔らかい日差しの中、あれ、立海テニス部ってこんなに平和だったっけか?と疑問が湧いてくる。関東大会直後、幸村が復帰してからは全国に向けてひたすら厳しいトレーニングをしてきたし、いつでもキビキビと活動していたこの部活。こんなに穏やかな部活動なんて経験したことがなく、この目の前で行われているバカみてーな打ち合いにすら安らぎを感じる。これもひとえに、期待させるだけ期待させておいて、いざ当日になると遠征を中止にしてくれた乾に感謝するべきだと思った。ありがとよ。


























***

終われよ、もう(笑)
今回の言わせたかった台詞は幸村の「手が滑っちゃった(てへぺろ)」でした。ちなみに青学で乾が何をやらかしたのかは想像に任せます(笑)



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