幸村部長の髪が、ゆらゆらと揺れている。その口元は微笑んだ形をしているけど、目は少しも笑っていなかった。しっかりと俺の目を見ている、なのにどこか違うところを見ている。言うなれば悲しさを大量に含んだその瞳は、悲しみに揺れることもせずにひたすら暗い影を落とした。幸村部長の髪を揺らすこの風は、冷たいのだろうか。なんて。本当はわかってる。普段ならばただ見過ごして覚えていない夢の内容。俺はまさに、夢を見ながら意識の備わっている状態だった。
「   」
 幸村部長が何か言う。
「………」
 でも俺は何も答えない。音が再生されないこの世界で、俺という人間は俺でありながら、俺自身が操作することは出来ないようだ。本当は、なんスかって問い詰めたい。なんでそんな暗い顔してんスかって、冗談やめてくださいよって言い寄りたい。けれどこの世界の俺はひどく無感情なようで、ただじっと部長の目を見つめ返すことしかしない。意識はあるのに少しも動かない手。幸村部長の髪は風に吹かれて揺れているのに、俺の顔や首元には髪の毛がくすぐる感触はまったくしない。まるで別世界だと思った。目の前にいるのに、目を合わせているのに、まるで生きている世界が別みたいだ。この世界の俺は死んでいるように動かない。目の前の幸村部長は、ただ口元だけで微笑んでいる。藍色の髪を、温度もわからない風に揺らして。
「         」
 また部長の口が動く。そして、言い終えてからもっと口角をあげた。だけどやっぱり目は悲しみだけを映している。一体何がそんなに悲しいのか。なぜ、悲しいのに笑おうとしているのか。俺の足りない頭じゃ測りきれない状況に、ただ戸惑う感覚を覚えた。
「……部長、俺にテニ」
 俺にテニスを教えてください、と言おうとしたらしい。まったく操作できない自分自身は、勝手に幸村部長にお願いをしようとした。テニスを教えてください、だなんて、何言ってんだ俺。もうテニスやってんじゃん。数多い立海テニス部員の中で、2年生で唯一レギュラーに入ったほどじゃん。なに、言ってんだよ。なんで、幸村部長にテニスを教えてくださいだなんて、初心者じゃあるまいし。
 しかしその言葉を言いかけたところで、突然右から手が現れて俺の視界をふさいだ。まるで後ろにいたかのような動き。いや、もしかしたらずっと俺の後ろにいたのかもしれない。でも音も感覚もない世界では、その気配すら感じることはできなくて。ただ一瞬見えたその手の手首にはパワーリストがついていて、手だけにも関わらず、なぜかそれが真田副部長の手だということはわかった。そして白く霞みかけていた視界がその手で真っ暗になる瞬間、部長にテニスを教えてくださいと言いかけた自分の気持ちが少しわかった気がした。初心者じゃないからこそ、レギュラーにまで上り詰めたからこそ、幸村部長に教わっておかなければならないことがあるんだと。その気持ちが、冷たい隙間風のように心臓らへんをひんやりと通っていって、四方に分散しながら血管に流れていくのをぼんやりと想像した。ちっとも楽しくないその想像が、なぜか重要な景色のような気がしてならなかった。

「……っ!!」

 ガバッと顔をあげた。まるで何かに追われていた夢でも見ていたかのように心臓がバクバクと激しく鼓動を鳴らしていた。きょろきょろと見回す教室には誰もいない。一瞬まだ夢の中なのかと思ったが、時計を見て思い出す。そういえば5時間目の数学のとき、満腹も手伝ってひどい眠気に襲われた。そのままいつもみたいに顔を伏せて眠りについて、たぶん誰も起こしてくれなかったんだろう。次の時間は体育だから、みんなそのまま俺を置いて行きやがったらしい。いつもならばここで、体育は受けたかったのに、と思うところだったが、先ほどの夢のせいでそんなことは微塵も考えなかった。ただ心がそわそわして落ち着かない気持ちだけが脳内を占領して、その気持ちは行動に直結する。
 慌ててノートの後ろのページを破って『帰ります。切原』と殴り書く。それを先生の教卓の上に放りなげてから、俺は鞄を掴むと一目散に教室を後にする。生徒玄関に目掛けて走る足が最終的に行くべき場所は、自分ん家でもゲーセンでもない。幸村部長のいる金井病院。いつだかにみんなで見舞いに行ったときは元気そうだった幸村部長。俺らの前では弱音は隠していた部長。でも聞いちまった、部長の叫び。そして夢の中での、悲しそうな顔。俺一人でなんとかできるとは思ってない。でも、向かわずにはいられなかった。
 幸村部長が夢の中で言った言葉がそこでフラッシュバックする。
「負けてはいけないよ」
 その言葉を、そのまま幸村部長に返さないと、と思った。難病に似た病気だかなんだか知らないけど、こんなところでテニスを辞められたら困る。まだ教わってないことが山ほどあんだからよ。思えば思うほど、歩幅は大きくなる。どんよりと降りだした雨が頬を滑って、走り去る俺の2メートル後ろに落ちた。



























***

なんか似たような話ばっかりですんません。


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