「待たせたね」
 先にテニスコートに入っていた仁王が、ラケッティングをしていた。そのままこちらを見た仁王。完全によそ見だけど、慣れたものだからラケッティングを失敗することはない。
「おう」
 そして一言返事をすると、そのままボールを地面に落として、跳ね上がったボールをもう一度ラケットで地面に叩きつけて高く跳ね上げる。垂直に昇るボールが、また垂直に落ちてきて、仁王の右手がそれを受け止めた。
「じゃあ早速、見せてもらおうか」
 ネットを挟んで向かい合う。すると仁王がニヤリと口元を笑わせた。
「そんじゃ手始めに…」
 すると、ラケットを右手に持ち替えた仁王。何をするんだろうと思っていると、音もなく仁王の持っている独特のオーラが消えていくではないか。そして同時にかもし出される新たなオーラ。ふわりと仁王を包み込むように広がるそのオーラに、俺の感覚が騙されていく感覚がする。
「……柳生?」
 それは見慣れたチームメイトの姿。しかしそれもほんの一瞬で、まばたきをすると仁王の姿になっていた。しかしオーラは柳生のまま、頭が混乱しそうなほどに錯覚が邪魔をする。
「…いきますよ、幸村君」
 仁王の口が動いた…と思った瞬間、声までもが柳生で、また俺と向かい合っている人物が柳生に見えてくる。ゆっくりとトスをあげる動作、やはり柳生にしか見えない。そしてボールを打つ瞬間、その構えまで、すべてにおいて柳生そのもの。トスをゆっくり上げるので左手が高くまで上がる柳生は、インパクトの瞬間に左手がまだ肩くらいの位置までしか下がらない癖がある。そんなところまで、そっくりだなんて。
「……」
 頭が少し呆然としたまま、仁王…いや、柳生のサーブを感覚で打ち返す。すると仁王はそれを打ち返す気がないのか、そのまま左手でボールを受け止めてしまった。まるで離脱するように、仁王から柳生のオーラが消えていく。
「…驚いたかのう?」
「……ああ」
「じゃあ次、いくぜよ」
 そしてまた仁王のオーラが変わっていく。このオーラ…次はジャッカルか。
「変幻自在か…」
「なんか言ったか、幸村?」
「いいや、なんでも」
 目の前のジャッカルが、サーブを打つ体勢に入る。俺はそれを見て、レシーブの姿勢に入る。そう、ジャッカルはサーブ前、ボールを地面に投げる仕草をきっちり3回やる。そしてさっきの柳生とは違って、トスを上げる仕草が速く、手首を使って少し高めに飛ばす。そのうちに引いておいた右腕を大きく旋回させて…
「ファイヤー!!」
 そして打ちやすいのか、ジャッカルのサーブはコーナーよりも1メートル内側に入ることが多い。この癖まで完璧に真似ている。
 勢いのある打球のパワーを吸収するように軽めにして返すと、仁王はやはりそれを左手で取った。すでに仁王に戻っている。
「これがキミの、切り札なのかい?」
「まぁ待ちんしゃい。まだまだあるぜよ」
 相変わらず右手に持たれたラケット。次は一体誰の真似をする気なのだろうか。いや、もはや真似という言葉も合わないほど、仁王は完璧に成りきってみせた。それはたまに使う、柳生との変装ごっこではない。たった一人で、別の人物のオーラを身に纏ってみせたのだ。
 ふわりと、またオーラが変わっていく。次は見慣れた姿ではないけど、でもこれも知っている。このオーラ…これは…。
「跡部か…?」
「あーん。なんだ幸村、ビビってんじゃねーぞ」
 生意気な口調、髪をかきあげる姿。やはり跡部だ。
「…キミは、他人になりすますことが出来るということなのかい?」
「ああ、そうだ。これがテメーの言うところの"切り札"ってやつだ」
「…じゃあ今キミは跡部だから、もちろん跡部の技も使えるのかい?」
「もちろんだ」
「…恐ろしいな。この俺までも騙すなんて」
「恐ろしいのはお互い様だろ?あーん?」
 にやりと笑う顔。喋り方まで同じなのは、なりきっているからなんだろうか。ネットに近付いてよく見てみる。ようやく俺の脳が冷静さを取り戻してきて、姿だけは仁王のままだと認識できるようになってきた。しかし持っているオーラは相変わらず跡部そのもので、姿は仁王のはずなのに、やはり跡部だと思えてしまう。これが、仁王の切り札。
 じっと見ていると、不意に跡部のオーラが消えていく。目の前の男はただの仁王になった。
「名づけて、イリュージョンぜよ」
「…まさにその通りだね。完璧なイリュージョンだ…オーラや立ち振る舞いだけならば、ね」
「さすが幸村。痛いところを突いてくるのう。でも安心しんしゃい。俺のイリュージョンはハッタリでもなんでもない」
「そうだね…自分のチームメイトである柳生やジャッカルなら、仕草や技なんか習得しようと思えばプレイは見放題だし、無理なことではない。でも試合のすべてを見れるわけではない、熟知できない跡部にまでなりきってみせるということは、キミのイリュージョンの幅がとても広いことを意味している」
「確かに俺も、見たことのない技なんて使いきれん。だがある程度ならばこなすことはできる。もちろん習得に時間のかかるものは、参謀に聞いてみたりするけどの」
「柳もこのことは知っているのかい?」
「どうじゃろうなぁ。あの技はどうやれば出来るんじゃろーかって聞けばなんでも理屈を教えてくれるからのう。まぁ半分気づいとるんじゃないか?」
 言いながら、ようやくラケットを左手に持ち変える仁王。自分の足元を見て、靴紐が解けていないかを確認すると再び俺と視線を合わす。
「…お前さんの話だと、青学のシングルス、手塚と不二と越前の3人になるんじゃな?」
 ここに来る前、部活中に話した内容のことだ。柳と話したうえで、その確立が高いという結果になった。しかし手塚がシングルス1でくる可能性は低い。たぶん越前というあの坊やがシングルス1で来ることになるだろう。
「ああ、そうだ。手塚がシングルス1でないことも、わかっている」
「じゃあ俺がシングルスで出るうえで…不二か手塚、どちらかに当たるということじゃろ?」
「そうだね…今までの青学から考えて、不二がシングルス3、手塚がシングルス2で来る可能性のほうが高い。ただ、準決勝や準々決勝のオーダー次第で変わってくるかもしれないけど」
「でもどうなるにせよ、幸村がシングルス1であることは変わらん。そして真田が手塚と当たるように組むんじゃろ?」
「ああ、そのつもりだよ。真田が一番、手塚を倒したそうだからね」
「そうなると、俺は不二と当たるようになるんじゃな」
「不満かい?」
 不意に、フェンスの周りに生えている背の高い雑草を眺めた仁王が、再び俺を見る。その目はなんとも挑戦的に笑っていた。
「そんなことないぜよ?むしろ大歓迎じゃ」
「油断は禁物だよ、仁王」
「わかっとる。天才と呼ばれとる不二のことじゃ。少し様子を見ながら試合を進めるナリ」
「まったく…本当に大丈夫なのかい?いくらイリュージョンがあるとしても、キミと戦う前にもっと成長を遂げたとしたら」
 俺が忠告をしようとすると、仁王が目を閉じた。するとまた、イリュージョンを発動する。仁王のオーラが消えて、新たなオーラを纏っていく。
「…これは……」
 一瞬見えた錯覚に、俺は動揺した。ゆっくりと目を開けるその視線が、俺の動きを少しばかり止めた。この静かに燃える炎のようなオーラ。これはまるで…
「……手塚にすら、なれるというのかい?」
 グリップを握りなおしたときの、ギュッという音。目の前の男は、一瞬にして手塚になりきってしまった。姿は仁王だ。確かに仁王なのに、脳が手塚だと認識してしまいそうになる。
「立海の全国3連覇に、死角はない」
 内容は俺たちの勝利宣言だが、声ももちろん手塚そのものだった。しかしその一言だけ言うと、またオーラが消えていく。仁王がその銀髪を小さく振り、顔をあげた。
「…不二相手に、手塚を使うつもりかい?」
「そうじゃ。今まで2番手として存在していた不二のことじゃ。手塚には敵わんのじゃろう」
「…キミのイリュージョン、甘くみてはいけないようだね」
 くるくると手元でラケットを回す仁王。まったくこいつの底が知れないと思った。コート上のペテン師は、俺たちチームメイトですら騙すという始末。
「ちなみに言っておくが、手塚になりきった俺は手塚ゾーンも使える」
「それは是非、決勝の不二戦で見せてもらうよ」
「ああ、楽しみにしときんしゃい。不二のやつを泣かせてやるぜよ」
 くるりと俺に背を向ける仁王。そのまま歩いていくと、自分の荷物を掴んだ。
「さて、見せ物は終わりじゃ。そろそろ帰るぜよ」
 仁王の使うイリュージョン。きっと真田にだって、俺にだってなることができるのだろう。なんとも恐ろしいペテンだ。柔軟性という言葉では済まされない、まさに変幻自在のプレイスタイル。様々な人物になりすますことで相手の苦手意識を必然的に引き出す。俺は仁王のことを勘違いしていたのかもしれない。いや、むしろこれこそ仁王のペテンだったのかもしれない。今まで俺は、仁王は自分を見失っているのだとばかり思っていた。行く末が見つからないからこそ、様々なプレイスタイルを演じ分けることで変幻自在さを手にし、なにか浮ついているような印象を与えているのだと。しかし違っていたようだ。仁王は先天性の変幻自在さを以って、プレイスタイルを演じ分けることこそがもともとの仁王のプレイスタイル、仁王の生き方そのものなのだ。他人になりすまして勝利することに、まったく悪意を感じていない。
 何かのために、このプレイスタイルになったわけではない。彼のペテン能力が後天性ではなく、先天性の才能であること。そのことは、彼の無限の可能性を知るうえで最有力な情報となることは間違いない。
「3連覇、必ず成し遂げてみせる」
 思わず呟いた言葉に、仁王が「プリッ」と返事をした。


























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2話に分けちゃいました。イリュージョン初お披露目の話です。結局なにが言いたいかわからんぜよ\(^O^)/







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