ガチャ、とドアノブの回る音がして、俺はそっちを振り返った。たった今部室のドアを開けた人物はその開いているのか開いていないのかすらわからないような細い目で俺の姿を捉えると、一直線に俺の前まで歩いてくる。
「なんすか、柳先輩」
 俺よりも少しだけ身長の高い柳先輩に声をかける。しかし柳先輩はなにも言わずに、いきなり俺の右腕、手首の部分を掴んだ。
「?」
 長い指が、俺の手首を触る。そのままじろじろと俺の手首を観察し始めた柳先輩。俺には意図なんてわかるわけもないので「なにしてんスか?」としか言いようがなく、そんな柳先輩を俺もじろじろと見た。
「ふむ…」
 そして一息、唸るように声を出すと、右手首を持っていた手で右手を掴んで、もう片方の手で再び手首を掴んだ。
「柳先輩、なにす…」
 そして次の瞬間、あろうことか柳先輩は俺の手首を故意にひねった。グキッと音がしそうなほどに無理な角度で曲げられて激痛が走る。
「あだだだだだっ!!」
 もがくしかない俺は手首の角度を正常に戻そうとして腕をひねる。するとすぐに手首は開放され、痛みの余韻が残る手首を抑えた俺は、非難めいた視線を柳先輩に投げかけた。
「なにすんスかっ!」
「ああ、すまない。人間の手首がどれくらいの角度まで曲がるのか試してみたかったんだ」
 一言、さらりと言葉を返す柳先輩に、一瞬唖然としてしまう。しかしそれを振り払うように一度頭を左右に振ってから手首を見てみる。別に赤くなったりもしていないし、もう痛くもない。でもひでぇ、痛いうえに右手だぜ?これで俺の手首が痛んだらとんでもないッスよ。俺らテニス部なんスからね、柳先輩!
「すまない、まだ痛むか?」
「いや、大丈夫ッスよ別にっ」
「なにを拗ねているんだ」
「拗ねてないッス」
 でもこの人のことだから、痛まない程度にやったんだろうなーとか思ってると、なんか翻弄されてる気になってきてちょっとイラついた。いっつもそうだ、俺をオモチャにして遊んでんだ。ったく趣味が悪いぜ。
「どうせなら副部長にやればいいのに…」
 思わずポツリと呟く。すると柳先輩が口元を薄く笑わせた。
「弦一郎ならもうやった」
「へ?」
 そしてそれだけ言うと、自分のロッカーのほうへと歩き出す柳先輩。同時に部室のドアが開いて真田副部長が入ってきた。なんだか眉間に皺が寄っているが、どうも怒っているというよりも困ったような顔だった。そして未だに手首を押さえたポーズの俺をちらりと見ると、「む、」と一言唸ってこちらへ近付いてきた。
「…お前もか、赤也」
「まさか…副部長も」
「ああ…蓮二のやつ、俺の手と腕を掴んだと思えば、突然手首をひねってくるのだから驚いたぞ」
「ほんとッスよ。一瞬とはいえ痛かったッス」
 二人して何故か小声になり、ちらちらと柳先輩を見遣るようにして話をしていると、柳先輩がこちらを向いた。俺と副部長の口から、あ、とひとこと漏れた。
「なにを話しているんだ二人とも。……いや、内容はすべて聞こえていたがな」
 ちょ、結局聞こえてんじゃないすか。
「ていうか手首ひねるにしても、何か言ってくれればいいじゃないッスか」
「赤也の言うとおりだ。予告もなしに突然あのようなことをされては困る」
 すると柳先輩が再び口元を笑わせる。
「いいや、雑誌に氷帝の芥川の記事が出ていたものでな。彼は天性の手首の柔らかさ故のマジックボレーを得意とする。俺や弦一郎に赤也、言うなれば精市もそうだが、そういった天性のものというのはどんなに実力をつけてもかなわないものだろう?攻略することは出来ても、実際に真似することはできない。天性の才能、生まれつきのものというのは、理屈や数値、データはすべて揃っていても実現するのは難しい。貞治の真似ではないが、理屈じゃないとしか言いようがない」
「ん、ああ、そうッスね?」
「赤也、納得したフリをするな。蓮二、俺はなぜお前がそのような行為に至ったのか、ではなく、なぜ予告もなく突然手首をひねったのかを聞いているのだが」
 柳先輩の説明を聞いていると、なんだか洗脳されていくように自分の質問を忘れてしまう。それを副部長が的確に指摘すると、柳先輩は少しだけ眉を困らせた。
「まぁそう焦るな弦一郎。俺の近くには精市もいたし柳生もいた。ジャッカルや仁王に丸井は少し遠くにいたが、なぜ赤也と弦一郎を選んだのかについて、まず答えよう。お前たちのほうが、多少無理をしても平気そうだったからだ」
「はぁ。そうッスか」
「だから赤也、納得するな。…ふむ、俺と赤也を選んだ理由はわかった。それで、なぜ予告もなしにこのようなことを?」
 再び納得しかけた俺を、再び副部長が制す。俺と副部長なら多少無理しても大丈夫そうってどういうことだ?頑丈そうってことか?え、これって褒められてんのかナメられてんのかわかんねぇ。
「芥川のように、自然な動きでどこまで手首が曲がるのかが知りたかった。赤也はまだ少し柔らかさがあるが、弦一郎は固いな。力は込めやすいだろうが、そのままだとパワープレイヤーと試合をした場合に力を分散できずに手首を痛めるな。今日から風呂あがりに毎日手首のストレッチをやるといい」
「む、わかった。欠かさずやるとしよう」
「副部長、今度は副部長が流されかけてるッス」
「んっ?ああ、そうだったな。蓮二、いちいち説明を長くするな。流されて本来の質問を忘れてしまうだろう」
 今度は副部長が納得しかけたところを俺が制した。なんか俺たち漫才やらされてるみたいだ…これも柳先輩の策の内なんだろうか。そう思うと、やっぱなんか悔しい。テニスでも頭でも、どこまでも敵わない。
「フッ、わかった。仕方がないから白状しよう。予告もなしにお前たちの手首をひねったのは、ただ反応を楽しむためだ。それだけだ」
 鼻で少し笑った柳先輩の顔。なんとも上から目線だ。俺たちの反応を見て楽しんでたなんて、やっぱり柳先輩は趣味が悪い。ていうか幸村部長に影響されてきたんじゃ…いや、でもよく無理なメニュー組んできたりするし、もしかしたら本質が同じなのかも。うわ、恐ろしい人たち。
 俺が悶々と思い巡らせている横で、真田副部長がわなわなと震えだした。あ、怒鳴るぞ、これは。
「蓮二!貴様そのような趣味の悪い考えを…!」
「趣味の悪い考えを?ああ、ならばそれは精市に言ってくれないか。なにも俺はひとりで雑誌を読んでいたわけでもなければ、このことを思いついたのも俺ではない」
 すべて精市の策だ、そうだな?精市。そう言って柳先輩がドアのほうを見たから、俺と副部長もつられてそちらを見ると、いつからいたのか幸村部長が腕を組んで立っていた。
「ゆゆゆ幸村!いつからそこに…!」
「まったく、俺は気配を消すのが得意なわけじゃないんだよ?そんな俺に気づかないなんて…真田、たるんでる証拠だよ」
 にこにこと人の良さそうな顔で副部長に毒づくのは幸村部長の得意技だ。たまに俺にも使ってくるけど、ぶっちゃけ効果は絶大。笑いながら毒づかれると、金縛りみたいに身体が動かなくなるから不思議だ。あーやっぱり趣味悪い人ばっかだな、うちのテニス部。ペテン師とかいるし。ありえねーよな。
「た、たるんでいるとは…」
「なんだい、本当のことじゃないか」
「いや、俺はだな…」
「ふふ、嘘だよ」
「………」
 副部長が視線でうなだれる。まったくこいつは何を考えているのかわからない、と顔に書いてある。うん、俺も同意見です副部長。
「それにしてもひどいッスよ部長、やっぱ趣味悪い人多すぎッスこの部活」
「ふふ、まぁ…柳は本当にギリギリのところまでやっちゃうからね」
「ふ、大丈夫だ。限界点まであと3ミリ程度のところで止めたんだからな」
「ちょ、柳先輩、3ミリって限界点に極限まで近い気がするんですけど」
 でも、この一件が幸村部長の仕業であるとわかると、なんだか一気に肩の力が抜ける。また幸村部長のオモチャですか俺、的な。幸村部長も柳先輩もそうだし、仁王先輩に丸井先輩まで、俺をオモチャにして遊ぶ人ばっかで本当疲れる。なんていうか、俺ってそんなに単純なんだろうかと思うほど。いや、単純かもしんねーな…まぁそこは、否定しねーけどよ。
「ふふ、まぁジャッカルはかわいそうだからしなかったけど、柳生は地味に"痛いです"しか言わなかったし、丸井もたいしておもしろくなかったなぁ」
「えっ、先輩たちの手首もひねってたんですか?」
 幸村部長の発言に俺はおどろいた。ていうか柳生先輩にもやったんだ…なんつーか柳生先輩って、意外と根に持ちそうで怖いよな。本人に言ったらそれこそ根に持ちそうだけど。
「ああ、俺がやったのは赤也と弦一郎だけだが、他のレギュラー陣は精市がやって回ったみたいだな」
「まったくお前たちはくだらんことばかり考えおって」
 副部長もいつも通り腕を組んで、ジロリとした視線で柳先輩と幸村部長を見る。しかしそのことにまったく動じない二人。こんなにおっかない副部長にもビビらないなんて、やっぱり肝が据わってんだろうなこの人たち。
「ああでも仁王はちょっとおもしろかったかな。俺もつい手加減を忘れて本当にひねっちゃったんだ。涙目になってたね」
 にこにこと、仁王先輩の痛がる様子を心底楽しそうに話す幸村部長。やっぱりこの人神の子なんかじゃねぇ。ただの魔王だ。
「幸村、貴様仁王の手首を、」
「大丈夫だよ真田。ひねっちゃったのは右手首だし。それにすぐ湿布を渡しておいたから」
「…貼るのはセルフサービスなんスね」
 そこでふと、かわいそうな仁王先輩の姿を想像してみた。うん、やっぱかわいそうだな。ていうか仁王先輩が涙目になるほどひねるって、相当な角度までやっちゃったんじゃねぇ?折れてんじゃないッスか?…やっぱり幸村部長って恐ろしい。チームメイトをなんだと思ってんだ。
「…ふふ、赤也。俺のことを恐ろしいと思っているだろう?顔に書いてあるよ」
 すると幸村部長がにこりと笑った顔のまま俺のほうを見る。
「えっ?いや、そん、な、ことは…ないッスよ、ね、副部長!」
 心の中を読まれたことで不意をつかれて、とりあえず今回は同じ被害者として味方の副部長に助けを求める意味で話を振る。
「…恐ろしいというよりも、お前たちのくだらん思考に呆れるぞ、まったく」
 しかしここは副部長、言うことは相変わらずだったが、おかげで幸村部長の視線が副部長に移る。
「なんだよ真田、お前こそ冗談が通じないから呆れるよ」
「なんだと?」
「ほーら、そうやってすぐに睨みつける癖直しなよ。先生たちがビビるから」
 言われて、副部長が「む、」と言葉をにごらせた。確かに先生たちも、副部長は扱いづらいようでいつも困ったような顔で接しているのを見かける。そりゃな、こんな老け顔の生徒が、中身まで老けてたら話しづらいよな。たるんどるーとか、たわけーとか。
 ガチャ。再びドアの開く音。すると条件反射とでも言おうか、俺たち4人ともほぼ同じタイミングでそっちを振り返った。
「……」
 そこには手首を押さえた仁王先輩。眉間に皺を寄せた状態で、振り返った俺たちに気づくと特に幸村部長を凝視した。信じられないものでも見たような目つきをしている。
「やあ、仁王」
「……おう」
 そして軽やかな挨拶をする部長をさらりと流し、なんでもなかったかのように手首から手を離すと自分のロッカーの前へ行く。いつもの通り右手でロッカーの扉を開けようとして、取っ手に手をかけて引っ張る瞬間、「いっ」と小さく声をもらした。すると何故か幸村部長がすかさず仁王先輩に駆け寄る。
「どうしたんだい?」
 幸村部長がそっと手を肩に置くと、仁王先輩がその手を見た。その顔がなんとも言えないもので、眉間に皺を寄せ、売られた喧嘩を買うような目だった。そしてすぐにその視線を幸村部長に移す。
「……なんでもないぜよ」
 そして間を開けて返事をすると、ガタッと音をさせて、そのまま右手で扉を開ける。柳先輩が小さな声で「仁王が痛がっている確立…いや、計算するまでもない」と呟いた。かわいそうな仁王先輩に幸村部長がしつこく絡んでるのを見て、俺は自分の口元が引きつるのを覚えた。
























***

スランプ?知るかそんなもん!誰か助けろ!←




back

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -