「やなぎー」
 ベンチに座って皆の練習風景を見ていると声がかけられた。振り返ればタオルをかぶった仁王の姿があった。仁王は普段俺のことを参謀と呼ぶので苗字を呼ばれたことに多少驚きつつ「なんだ」と返事をしてやる。
「あれ、傘、貸してくれ」
「傘?ああ…貸すのは構わないが、傘など差していては弦一郎に怒鳴られるぞ」
 俺がじっと見て言ってやるが、まるでやる気のない顔をしている仁王が俺の腕を掴む。そのまま引っ張り上げるようにして俺をベンチから立たせると、掴んだままの腕をぐいぐいと引いて俺を歩かせる。行く先は部室だ。
「怒鳴られようが何しようが関係ない。この日差しの中じゃ、倒れちゃ練習にもならんじゃろ」
 引っ張っていた腕を離されたかと思うと、その手が俺の背中に回って部室へ押しやられる。仁王本人は入り口のところで俺の様子を見ているつもりのようだ。俺は静かに一息ついてから、自分のロッカーの中の鞄から番傘を取り出した。日差しが強くなってきた最近では、また出番が増えてきていたところだった。
「ほら」
「おー、さんきゅー」
 傘を渡すと、早速それを開いた。
「んー、参謀ん家の匂いか?井草っぽい匂いがするナリ」
 そしてそのまま芝生の土手を降り、コートに入っていく。他の部員がじろじろと見ているのもお構いなしで、そのまま真田と柳生が練習試合をやっている傍のベンチに腰掛けた。俺もその後ろを追うようにして、そのベンチの後ろに立った。
「……静かなること、林の如く」
 タン、と音がして、弦一郎は球の威力を分散させてしまった。バックコート内にいた柳生が走るが間に合わず、ボールはネットの傍をころころと転がる。
「ゲーム真田3‐1」
 審判をしている部員が声をあげる。柳生がくい、と眼鏡をあげる動きをして微笑んだ。
「さすがですね、真田くん」
「む。しかしお前のレーザービーム、まだ進化する余地がありそうだな」
「ええ。誰にも返すことのできないパッシングショットにしてみせますよ」
「ふん、期待しているぞ」
 お互いが握手をする。そして疲れた身体で、弦一郎がそのままこちらへと直行してくる。
「おい、仁王」
 俺がタオルを取ってやると、礼を言うより先に仁王へ声をかけた。
「おー真田。お疲れさん」
「なんだ、その傘は」
「見てわからんか?参謀から借りたんじゃ」
「…それはわかっている、なぜ差しているのかと聞いている」
「ッハ、そりゃお前さん、日差しから頭を守るためじゃ。俺は直射日光が苦手でのう。こう暑いとたまらん」
「この程度の日差しで音を上げるとは軟弱極まりないな」
「…だとよ、参謀。どう思う?」
 不意に話題がまわってくる。こちらを見上げる仁王の目線を見ながら口を開く。
「……ああ、正直なところ、俺も立っているのがやっとだ」
 言えば、弦一郎が視線を俺に向けてくる。仁王がガタッとベンチから立ち上がり、俺の横にくると傘を傾けた。
「ほーら見んしゃい、参謀じゃってクラクラしとるじゃないか。よしよし、俺が傘を独り占めして悪かったのう。気味が悪いが相合傘でもするか」
 なぜだか楽しそうな仁王が俺の頭を撫でてから、俺との間に傘を持ってくる。鞄に入るほどの番傘なのでそんなに大きくはないが、男二人が並んで入っても頭と首くらいなら守ることはできる。
「大丈夫か、蓮二」
「ああ」
「…真田。俺のことは心配してくれんのじゃな」
「無論だ。お前は心配しても損することしかない」
 弦一郎が眉間に皺を寄せて言えば、仁王がつまらなさそうな顔をして「見返り主義か」と呟いた。
「仕方ないじゃないか、弦一郎。仁王も柳ももやしっ子なんだから」
 すると不意に声がした。まさに横に現れたのは精市で、相変わらず肩にジャージを羽織っている。俺も他人のことを言えた身ではないが、暑そうだな、と思ってしまった。
「もやしっ子?なんだそれは」
 精市の発言に、弦一郎があからさまにキョトンとする。まぁそれもそうだろう。弦一郎に『もやしっ子』が一度で通じるはずはない。
「細くてガリガリで、まるでもやしばかり食べて生きていそうな人間のことだよ」
 にこにこした顔で弦一郎に説明をする精市。当たりともハズレとも言えぬ説明だったが、弦一郎はそれを聞いて妙に納得したような視線で俺と仁王をじろじろと見た。
「軟弱極まりないもやしっ子の俺らじゃ、この日差しの中でテニスなんぞできん。なっ、参謀」
 仁王が不意に俺のほうを向く。すると精市もなぜかにこにこした顔を俺に向けた。
「ん、ああ。そうだな。今日は気温も高いが、今朝の雨がハケきれずに妙に湿気がある。蒸し暑いな」
俺がそういうと、また精市がにこにこした顔で弦一郎を見た。
「蒸し暑いんだってさ」
「ああ、そうだな」
「それも、昨日よりも気温があがったうえに、蒸されてるんだよ弦一郎」
「む?…そ、そうだな」
「蒸し暑いんだって。仁王も柳も白旗あげちゃうくらい蒸し暑いんだ」
「……幸村。何が言いたい?」
「今日の練習はこれくらいにして、みんなでアイスを食べよう」
 なにやら妙に精市の目が輝いているなと思えば、どうやらアイスが食べたい気分だったらしい。しかしそれを聞いた弦一郎の顔が、呆れきったものになる。
「精市。全国大会も控えている今、俺たちがやるべきことは…」
「わかってないな弦一郎。ここで無理して倒れたら意味がないと言っているんだよ」
「そうとは言ってもだな、」
「真田、お前さんが負けた青学なんか全体的に見ても週に3日休みがあるらしいぜよ」
 俺の横で弦一郎と精市のやりとりを見ていた仁王が口を挟む。すると弦一郎が「よそはよそだろう!」と怒鳴ったが、幸村がわざと切ない表情をして「真田…じゃあ俺がまた倒れてもいいって言うんだね…俺のいない関東大会で負けたくせに…絶対勝つって言ったくせに…」などとぶつぶつ言い始めた。
「嘘じゃないき、のう参謀?」
「ああ、青学では基本的に火曜と木曜と日曜がオフ、火曜に関しては大会前になると練習が入るが木曜と日曜は完全なオフだ。各個人が丸1日のオフを利用して自主練習を行ったり、身体を休めたり、様々に行動しているようだ」
「すごいね青学は…うちみたいにみっちりほぼ毎日やってるわけじゃないのに、勝っちゃうんだもんね…あーあ、すごいらしいね、青学のルーキー。強いんだろうなぁ、弦一郎に勝っちゃうんだもんね」
「テニスに飽きるわけじゃないが、部員の顔には飽きたぜよ」
「それにしても蒸し暑いな。そろそろ熱射病で誰か倒れるんじゃないのか、俺のデータからいくと、まずあのへんの1年生…特に浦山なんかが」
 俺たちがバラバラと話すと弦一郎が押し黙り、そのうち拳を握り締めてわなわなと震え出した。これは怒鳴り出す前にやる行動だ。ほれ見ろ、あと6秒というところだ。
 すると予想通り、その辺一帯に響き渡るような声で、今日の練習はもうやめだ、アイスでもなんでも食べに行くといい、と怒鳴りつけ、ポカーンとしている部員たちに早く集合しろと言いつけ、手早く終礼をすると怒っている様子で部室へと歩き出した。
「弦一郎もアイス食べに行くんだよ、これは命令だからね?」
 すかさず精市がついていきながら言うと、そこから行くだの行かんだの言い合いを始めてしまった。まったく元気なやつらじゃのーと呟く仁王と番傘の中を並んで部室に戻る途中、赤也が駆け寄ってきて「どうしたんですか副部長?」と聞いてきたので軽く事情を説明するとニヤニヤしながら弦一郎と精市のもとへと走って行った。遠くてよく聞こえないが「副部長もアイス食べるんスかーっ?」とかなんとか言って遊んでいるらしい。まったく愉快な連中だな、と思いながらその背中を見守った。
























***

真田ってアイスよりカキ氷って感じかも?



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