「おや、仁王くん」
 声がした。振り向くと、部活でよくダブルスを組む柳生が佇んでいた。その袖がふわりと柔らかく風になびかれている。
「よう」
 ひとこえ挨拶を返してから、手元に持っていたシャボン液に再び専用のストローの先を浸す。その反対側の小さい口のほうに口付けて、そのままふーっと息を吹き込めばたくさんのシャボン玉が宙へと舞った。
「図書室の窓辺で本を読んでいるとシャボン玉が見えたものですから、もしかして貴方ではないのかと」
「ほーう。ようわかったのう。さすがじゃ」
「ふふ、貴方が屋上で時折シャボン玉を吹いているというのは噂で聞きました」
 噂…ねぇ。思いながら、また先程の動作を繰り返す。今度は少なめに飛ばしてみた。宙へと放り出されたシャボン玉は、弱い風に煽られている。上空へのぼったり、そのまま地面へ落ちて割れたりと様々だったが、その様子を見て楽しいとは微塵も思わなかった。
「貴方はよく屋上にいますね。なぜですか?」
 わずかな足音をさせて柳生が傍までやってきた。それをちらりと横目で見てみる。
「なぜじゃろうのう。屋上が俺を呼んどるんじゃないか?」
 またシャボン液にストローの先を浸す。そのまま水面だけをくるくるとかき混ぜてみた。やはり別に楽しいことなど何もなかった。
「質問に疑問系で返すのはよくありませんね。しかも意味がわかりません。しかし私が尋ねているのはそういう意味合いではありませんよ。正しく言いなおしますが、なぜ貴方は直射日光が苦手にも関わらずよく屋上にいるのですか?」
 もう一度シャボン玉を吹いてみると、いくつも出来たうちのひとつが柳生のところへ飛んでいった。それを見ていると、柳生の左袖にぶつかろうとしたところを柳生の右手がガードして、結局シャボン玉は柳生の右手の平と触れて割れてしまった。少量のシャボン液がついた右手を一度じっと見た柳生は、何事もなかったかのように右手を体側へおろしてこちらを見据え直した。
「…確かに日差しは苦手じゃ。でもあそこの貯水タンク室のところに日陰ができるじゃろ。あそこが俺を呼んどるんじゃ」
 左手に持ったストローで、その場所を指し示した。今は昼間ということもあって日陰はとても細く身を隠せないが、これが1、2時間目頃や6時間目の頃になるといい感じに日陰ができる。夏場は風も吹くし、なかなかいい場所なのだ。
「そうですか。では貴方を探すとしたら貯水タンク室の外周を一周してしまえばいいのですね」
「…心配せんでも、練習にはちゃんと顔出しとるじゃろう。俺はテニスはサボったりせんよ」
 やれやれ信用がないのー、と、柳生にじろりと視線をくれてやる。すると柳生はふっと息を漏らすような笑い方をしてから、ずれてもいない眼鏡をくい、とあげた。
「それにしても何故シャボン玉なんです?」
「んー…バッグに入っとったからじゃないか?」
「また疑問系で返すのですか…。とにかく、シャボン玉を飛ばすのは構いませんが片付けはきちんとしてくださいね」
「おーわかっとるわかっとる。水道水で洗ってから分別ボックスに捨てるんじゃろ。はいはいわかっとります」
「よろしい」
「……………柳生、」
 ふと会話に間ができたので、シャボン液にストローを漬けた状態でそれを地面におろした。それから呼びかけると、なんですか仁王くん。と返事が返ってきた。
「…昨日、夢ん中でな。俺、自分に首を絞められちょったんじゃ。お前さん、どう思う?」
 屋上から見るグラウンドの景色はいつも特別なものだった。同じ制服を着たやつらがたくさん居て、確かに自分もこの学校の一員であるにも関わらず、見えるのはまるで別世界のようだった。校舎とグラウンドが切り離されて見え、そこで動く人影はまるで異世界の人間のようだ。まるで校舎と屋上さえも切り離されて、俺は天涯孤独のような錯覚に陥る。俺はひとりなのに、ひとりじゃない。俺はみんなの姿が見えとるが、みんなには俺の姿は見えとらん。今サッカーボール蹴ったやつも、木陰で休んどるやつも、こんなところから俺に見られとるなんて気づいちゃおらん。まるでマジックミラーに閉じ込められたような、そんな瞬間が好きだった。
「自分に首を絞められていた…のですか」
「おう。俺がもう一人おってな、俺の首を絞めるんじゃ。そりゃもう無表情で、俺じゃないんじゃないかと思うほどだったが…絞められてる首からな、いや…絞めている手から。なにかしら思うことが伝わってくる感覚がしてな。結構な力で絞められちょったんじゃけど、ぜーんぜん苦しくなかったナリ」
 詳細を説明すると、柳生は右手を顎に沿えて、まさに悩ましげなポーズをとった。きっと無意識でやっとるんじゃろうけど、なかなかサマになっとって面白いぜよ。
「夢にはいろんな説がありますからねぇ…精神状態を表すとも、なにかの信号であるとも言われています。きっと自分で自分の首を絞めているということは、貴方は自分がなにか苦しい思いをするべきである、と思っているということではないのですか?」
 たった数秒悩んだ割りに、とても明確な返事がされる。よく働く頭じゃの…と思いつつ、グラウンドを見る。おー、さっきのやつゴール決めたのう。感心感心。
「苦しい思いを?…ハッ、どうじゃろうな。つらいことは苦手じゃ」
「ふ、そこかもしれませんね」
「…ん?」
「つらいことは苦手、ですか」
「おう」
「貴方はつらいことや面倒なことから逃げる癖がありますね。その夢が意味していることは、もしかしたら貴方は自分自身に対して何かを乗り越える強さが必要だと感じている、ということかも知れませんね。ですから、自分が苦しむように、貴方自身が首を絞めていた…と」
「なにかを乗り越える強さ、か。…なにをじゃ?」
「さあ?それは貴方自身が考えるべき事柄なのではないですか?」
 口元を笑わせている柳生を見ていると、なんだかやっぱり不思議なやつじゃなーと思う。俺は自分が平凡な人間だとは思わないが、こいつもたぶん平凡な人間ではない。紳士などと呼ばれているが、実は以前に……おっと、これを言うたらいかんのじゃった。これを言わん代わりに試合での入れ替わり作戦を呑んでもらったんじゃけ。約束を破るのは性に合わん…なんて真田みたいなことは言うつもりないけどの。男の約束ってやつじゃ。
「…まぁ、助言ありがとさん。じゃ、もうちょっとテニスの腕でも磨くか」
「向上心があっていいですね」
「赤也が急激に成長しよるけぇの。俺も先輩としちゃまだまだ負けてられん」
「そうですね……しかし、」
「あん?」
「なぜ、夢の話を私に?」
「あー…なんとなくじゃけど」
「…ふふ、いい意味として受け取っておきましょうか」
 いい意味?どういう意味で受け取るっていうんじゃ。と言えば、仁王くんが私のことを信頼しての話題だと思っておくという意味です、と返ってきた。俺が柳生を信頼?…まぁダブルスの時で言えば、信頼しているといえば信頼している。俺が多少無理なプレイをしてもそれをフォローしてくれるしな。
「まぁ…好きに取っておいてくれ。俺には関係ないき」
「そうですか」
 正直、この柳生の笑顔も見飽きたなと思いつつ、こいつは本当に変わったやつじゃ、と妙に感心しているところがあった。以前丸井に「お前って友達いねーの?」なんて聞かれたことがある。確かに俺には友達なんてもんはおらん。というか俺としてはそういう存在を必要としていない。女の子を何人か引っ掛けて遊んでいたこともあったので、大抵の人間は俺に近づこうとはしない。立海といえば中・高・大学と、テニス部はあまりにも有名で、なおかつレギュラーともなればかなり知られる。この間知らないオバサンに声をかけられて困惑している柳を見たばかりだ。まぁそんな感じで俺のプレイ…詐欺師という異名も、もちろん知れているわけで。わざわざ引っ掛かりにくるやつなんておらん。
 しかしこの柳生という人間は違ったのだ。なぜだか知らないが俺のところに平気で寄ってくる。もちろん俺のペテンに掛からない自信はある様子だが。最初のうちは、それこそ部活の関係で用事があって話しかけられることが多かったが、最近では今回のように全く関係のないことで俺のところへ来たりする。なんとも変わったやつだ。俺とはまるで正反対で、他人から信頼を得まくっているこいつからしたら俺はクズ同然なのだろうけど、柳生はそんなことを思うような人間ではない。これまた不思議だ。きっとこいつは何かを隠している。紳士という着ぐるみを着ているに違いない。そう思うと俺は柳生の正体を暴きたくて、接触を試みようと俺もよく柳生を頼るようになった(辞書貸してくれ、がほとんどだが)。
 でも今回は、俺も別に柳生に話そうと思っていた話題ではなかったのだが、何故だか柳生になら話してみてもいいかと思って話を振ってしまった。無意識のうちに行われたその選択が意味しているもの、それは何だろうか。ふと疑問に思ったものの、特に気にもならなかったので深く考えるのをやめた。
「柳生」
「はい、なんでしょう」
「今度俺とデートせんか」
「正気ですか?」
「今のは言葉のあやじゃ。買い物についてきてくれんか。新しいシューズを買うのにお前さんの意見が聞きたい」
「…仕方ありませんね。それじゃあ、今月は予定が詰まっていますので来月の第1日曜日なんてどうでしょう」
「おう、構わんぜよ」
「ふふ、手帳に書いておきます」
 弱い風がふと止んで、とても近いところからチャイムが聞こえた。



























***

最近僕の中で株が上がり気味の柳生と仁王。言いたいことはめちゃくちゃですけど、とりあえず屋上っていーな!




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