前方に、憧れている大きな背中が見えた。部活を終えた帰り道、ちょっとだけ遠回りをしているところだった。僕と同じ白い制服、でも僕とは違う大きな背中。久しぶりに見たその後姿に、思わず走り出した。
「あっくつせんぱーい!」
 身長が低いせいで短い脚。でも実は短距離走が得意で意外と速い。あっという間に追いつくあいだに、亜久津先輩がめんどくさそうに振り向いてくれた。
「…なんだ、またテメーか」
 口にはタバコがくわえられている。まだ長い。たぶん火を点けたばかりであろうそれを、亜久津先輩はごく自然な動作で口から取ると地面に落として靴底でもみ消した。
「最近亜久津先輩の姿が見えなかったんで、ちょっと心配してたです」
「そーかよ。余計な世話焼いてんじゃねー」
 そのままくるりと、また前を向いて歩き出す。慌てて横に並んで歩き出すと、ちょっとだけ、亜久津先輩が歩くスピードを落としてくれる。それでも僕は早歩き気味だけど、やっぱり亜久津先輩は優しいなって実感する。あまり表立っては、優しくしてくれないけど。
「亜久津先輩は、学校にはちゃんと来てるですか?」
「……たまにな」
「勉強は大丈夫なんですか?」
「……るせー」
「ていうかちゃんとご飯食べてるんですか?なんだかちょっとだけ、痩せちゃってる気がするです!」
「っせーな。テメーは母親か」
 僕が一生懸命話しかけても、亜久津先輩はちらりとも僕を見てくれない。視線はずっと前のほうだけ。たまに視線をくれても、じろりと睨まれるように見られるくらいだ。よく南部長とかに『怖くないのか?』って聞かれるけど、僕はあんまり怖いと思ったことはない。
「…それで」
「なんですか?」
「なんでテメーはこっちの道から帰ってんだ。遠回りになるだろーが」
 あまり人とすれ違わない道。昼間だと小学生とかがよくいるけど、今の時間帯では僕たちみたいに部活帰りの学生くらいしかいない。夕日に照らされる道。たまに自転車の人が僕たちを追い越して行く。
「えっ、亜久津先輩、僕が帰るにはこの道が遠回りになること知ってるですか?ていうか僕の家がどこだか知ってるですか!」
「チッ、いちいちうるせーんだよテメーは!……近くだのなんだのって無理やり家にあげたことは覚えてねーのかよ」
「あっ………そうだったですか?」
「そうだったんだよ。ったくめんどくせーな、相変わらず」
 心底めんどくさそうに亜久津先輩が溜め息をつく。そういえば以前、まだ僕がマネージャーで、亜久津先輩もテニス部員だった頃、一度だけ家にあげたことがあったような…。
「ああ!あの時ですか!帰ってる途中に雨が降ってきて、亜久津先輩が傘持ってないっていうから僕の家にあげた時!」
「バカかテメーは。お前の言い方じゃ俺が世話んなったように聞こえるけどな、あれはどう考えてもお前が無理やり俺を家に押し込んだんだろーが。誰も雨宿りさせてくれなんて一言も言ってねー」
「でもあの時はすぐやんでよかったですよね」
「……はぁ。お前は気楽だな。気楽すぎるくらいだな」
「えへへ、そうですか?」
「褒めてねーっつの」
 不意に額を叩かれる。もちろん亜久津先輩からもらったヘアバンドごと叩かれたわけで、その衝撃でヘアバンドがずれる。
「わわっ、前が見えないです!」
「その癖も直んねーのか」
「えっ、あっ、ヘアバンドがずれてるだけですか?」
「たりめーだろ」
 あせあせと、左手でヘアバンドを押し上げる。すると咄嗟に立ち止まっていた僕から2歩くらい前で立ち止まって振り返ってる亜久津先輩。呆れたような目だけど、亜久津先輩はいつだって僕を完全に見放したりしない。突き放すような言い方だって何度もされたし、話しかけても無視されたりしたこともあった。でも僕だってわかってるんです、亜久津先輩はそういう人だって。でもとにかくかっこいいです。僕にはまるでない要素ばかり持ってて。
「…そのヘアバンド、早く捨てろ」
「嫌です!これは亜久津先輩からもらったものですから!」
「だから捨てろって言ってんだ。だいたい俺はお前にやった覚えはねぇ。捨てたのをお前が拾っただけだろ」
 再び前を向いて歩き出す亜久津先輩。僕はさっきみたいに、慌てて横に並んで歩き出す。やっぱり歩くペースは、さっきと同じで少しゆっくりだ。
「でも聞いてくださいよ亜久津先輩!僕、このヘアバンドあんまりずれてこなくなったですよ!」
「……太ったのか?」
「違いますっ!顔だけが大きくなったわけじゃないです!全体的に大きくなったですよ!ほら見てくださいよ、制服の袖だって、親指が全部出るようになったですよ!」
 腕を伸ばして訴えると、亜久津先輩の視線がこちらを向く。それからフン、と少しだけ鼻で笑われる。
「テメーの身長がいくら伸びても、俺からしたらまだまだチビなんだよ」
「う……それは亜久津先輩が大きいだけです。僕だって3年生になる頃には…!」
「バカか」
 再び額を叩かれる。
「わわっ」
 そしてまたヘアバンドがずれて視界が真っ暗になった。すかさず左手でヘアバンドを押し上げる。すると今度は止まることなく歩く亜久津先輩の姿が見えて、慌てて追いつく。
「…テメーはまだまだガキだ。図体が大きくなったところで、お前はいつまでもガキのまんまだ」
「ひどいです亜久津先輩!」
「るせー。本当のことだろーが」
 今度は突然、亜久津先輩が足を止める。夕日のオレンジ色が街中を照らして、ゆっくりと時間が流れるのを感じる。そんな中、不意に伸びてきた手。亜久津先輩の大きな手。少し前までグリップを握っていた、僕の憧れの手。その手が、僕の頭の上に不時着して、そのままガシガシと撫でられる。
「っ、あくつせんぱ…!」
 まるで髪をぐしゃぐしゃにされているようだけど、手を離したあとの亜久津先輩の目がなんだかちょっと優しい気がして嬉しくなる。
 そのままその手をポケットの中に戻した先輩。目の前の十字路を、迷うことなく左へ曲がってくれたけど、亜久津先輩の家は右なんですよね。どうしてこっちへ曲がるですか?って聞くと、うるせー俺に指図すんなって返事が返ってくるのはわかってるです。さっき僕を見てタバコを吸うのをやめたのも、歩くペースを落としてくれたのも、頭を撫でてくれたのも、さりげないですけど亜久津先輩なりの優しさなんだと思います。言葉では表してくれないですけど、それでも僕の憧れる先輩はやっぱりどこまでもかっこいいです。
「先輩、どうしてこっちへ曲がったですか?」
「うるせーな。俺の勝手だろーが。指図すんじゃねー」
 予測通りの返事に、僕は思わず笑ってしまう。するとまた額を叩かれてヘアバンドがずれる。漫才みたいに繰り返される行動に、ずっとこうやっていられたらいいのに、と、胸の奥で小さく思った。



























***

ちょっと亜久津くん優しすぎましたかね…。とりあえず壇くんかわいい。ありゃきっと3年生になる頃にはごっつ強くてイケメンだぜ。笑






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