「…銀千代、そんなところで何をしているんだ?」
 あまり驚かせるとキーキーと怒ると思い、少し控えめな音量で声をかける。しかし俺の珍しい気遣いも無駄だったらしく、銀千代は声にもならぬ声を上げて肩を思い切り跳ねさせた。それからすぐに振り向くかと思ったが、銀千代は顔だけを動かして「なな、な、なんだ、き、貴様かっ」と動揺しきった返事を返してきた。
「こんな人通りもない場所の、よりによってそんな隅っこで当主が座り込んでいるとなると心配にもなるさ」
 口ではそう言って、相変わらず少し離れた距離から銀千代を見下ろす。別に心配などしているわけではなかった。ただ、なんとなくふらりと散歩をしていたら銀千代の姿を見かけたので単純に何をしているんだろうかと思い声をかけただけだ。
「べ、別に、どうでもよいだろう、私がどこで何をしようと…っ」
 そう言う銀千代は、縁側を降りて小姓たちが使う道から少し外れた場所にある塀の角に向かってしゃがみこんでいた。小姓たちが使う、と言っても、こちら側の居室自体をあまり使用しないので基本的に人通りが少ない。そのようなところから外れた場所、しかも塀の角ともなるとほとんど人影がない。そんなところに座り込んで一体何をしているというのか。
「…まさか、具合でも悪いのか?」
「うわぁぁっ、く、来るな!止まれ!」
 近づこうとすると、相変わらず顔だけでこちらを振り向く銀千代が声を荒げた。それもどこか悲鳴に近いものだが、俺に止まれと命じる銀千代はなにか必死だ。いつもなら銀千代の指示など聞かずに行動するものだが、今回はなんとなく面白そうだと思ったので指示どおりに立ち止まる。まだ二歩ほどしか近づいていない。
「確かにお前がどこで何をしようと構わないが、当主を案ずるのは当たり前のことだと思うが」
 以前、清正に『お前はいつも自信に満ちた顔をしてるから無駄に腹立つんだよ』と言われたことがあるが、たぶん今俺はそういう顔をしているはずだ。うぬぼれているわけではないが自分の腕に自信はあるし、と言ってもただ常に顔色を変えないだけ、ということなのだが。どうもそれが『余裕で生意気で何を考えているのかわからないように見える』らしい。
「し、心配などいらない、具合など悪くもない。いいからそのまま来た道を戻れ!早急に!これは命令だ!」
 銀千代が早口で俺に命令を下す。俺が命令や指示を聞かないことくらいよく分かっているだろうが、焦っているせいなのかひたすら俺を睨みつけることしかできないらしい。しかし相変わずしゃがみこんだ姿勢のままだ。ちょっとからかうとすぐ反論してくる銀千代だが、それと同時に身体も素直で、すぐに立ち上がったり腕を組んだりイライラしながら歩き去ってしまったりするものだ。だが今、銀千代はまったくをそこを動こうとしない。何かを隠していることは明白だ。だがここで嘘のひとつもつけないのがまた銀千代らしくて笑える。
「銀千代」
「な、なんだ、いいから早く戻らぬか!」
「何を隠してるんだ、そこに」
 喚く銀千代の声を無視し核心に迫る問いを投げかけると、銀千代は最初に声をかけた時のように肩を跳ねさせた。
「べ、べ、別に私はっ、な、にも、隠してなど…!」
 俺を睨みつけていたはずの視線が、あちこちに動き回る。ああ、これは相当焦ってしまっている。ここまで焦る銀千代を見るのはとても久しいような気がして思わず笑いそうになる。女当主として高らかに誇りを掲げる銀千代が、こうもあっけなく普通の女…それも、気丈さを崩された女に戻る。きっと愛おしむべきところなのだろう。
「さ、怒らないから観念するんだ。何を隠してるんだ?」
 いよいよガキの相手をしている気分になってきて、こっちもガキのつもりになって秘密を暴いてやろうと思い近づこうとする。それを再び制止しようと銀千代が口を開いた瞬間だった。
 にゃー。
「あっ、こら…!」
 か細い鳴き声が聞こえ、銀千代が焦って手元に視線を戻したと思ったら、しゃがむ銀千代の足元をすり抜けてそれが顔を出した。白地にぶち模様のふわふわした…
「子猫か」
 まぁこんなところでこっそりやることといえばそんなものだろうとは検討がついていたのであまり驚くこともなかったが、しかしまさかこんなに小さな子猫だとは思わなかった。
 俺の顔を見ながら口をパクパクさせて青ざめている銀千代の足元に覗く子猫に声をかける。
「そら、こっちへ来い」
 衣服が地面に擦れるのも気にせずしゃがみこみ、右手を伸ばして指先だけで呼ぶ。するとすっかり人に慣れているらしい子猫は迷うことなく小さな身体を揺らして小走りで寄って来た。
「よーし、いい子だ。よくなついてるみたいだな」
 子猫を拾い上げると、俺の両手の上で体勢を崩してころりと転んだ。見た目どおり感触はふわふわで、そのままずっと持っていてもいいと思えるほど手触りがいい。
 しゃがんで両手の中に子猫を持った姿のまま銀千代に視線をやると、目が合った途端にそらされる。どうやら悪い気がしているらしい。
「どうした銀千代。子猫を隠していたんだろう?」
「……そ、そう、だ。露見してしまっては、仕方がない…」
 どこか絶望に似た顔をしている銀千代をよそに、子猫は俺の手を舐める。しゃがみこんでいた体勢から立ち上がり銀千代に近づく。その銀千代が向かいあっていた塀の隅に、水とすり潰されたらしい何かが置いてあった。
「なるほどな。ここでエサを与えていたわけか」
「………」
 どうやらまだ食べ足りないらしい子猫を元いたであろう場所に戻してやると、エサの匂いを確認してから少しずつ食べ始めた。すぐ横の銀千代に視線を戻すと、銀千代も子猫の様子を見ていた。しかしその視線にはどこか脱力感すら感じられる。
「このエサは何だ?」
「……昼に食べた鯖の半分を取っておいたのだ。それを刻んですり潰したものだ」
「なるほど。いつからここで飼っていたんだ?」
 尋ねると、銀千代が一度俺を見た。それから地面に視線を落とす。なんだ、そこまで落ち込むこともないだろう。まさか今すぐ捨てに行けと言われるとでも思っているのか?
「…昨日、からだ」
「昨日?どこから拾ってきたんだ?」
「拾ったのではない。徳川家康のところに井伊直虎という者がいるだろう。あれが飼えないと言うから、貰い受けたのだ」
 だんだんといつもの調子を取り戻しつつある銀千代の言葉に、ひとりの女を思い浮かべる。井伊直虎。ああ、あの身長が高く、そのくせ気の弱い女か。
「べ、別に私が欲したわけではない!あやつが飼えぬと、貰い手がいなくて困っていると言うから助けてやったまでだ!私が貰い受けてやらなければあやつは子猫をそのへんに逃がすことになる、そうなれば子猫は生きてはいけまい。救える命を見捨てるなど立花のやることではない、それだけのことだ!別に私が欲したわけではない!」
 横でキーキーと声を上げる銀千代はすっかりいつものようだ。いや、いつものような気丈さを崩されかけて焦っている姿、ではあるが、それすら『いつもの姿』になってしまっている。
「わかったわかった。つまり銀千代は子猫が欲しかったから貰ってきたんだな」
「き、貴様は私の話を聞いていなかったのか?そうではないと言っているだろう!」
 銀千代の声を受け流しながら、小さな口で順調にエサを食べる子猫を撫でた。エサを食べることに夢中で俺の手なんて気にもしていない子猫。たまにエサを咀嚼しながら俺たちを見上げるが、無垢な瞳はまたエサへ向けられる。
「猫というものは、風のように自由だな」
「……決して私が欲したわけではないからな」
「ああ、そういうことにしておいてやろう」
「貴様なぁ…!」
 怒りに震える銀千代をよそに、さて、と一息ついて立ち上がる。すると銀千代が座り込んだまま俺を見上げて「宗茂、」と焦ったように声をかけてきた。視線を向けてみると、見下ろした先の銀千代は一度視線を泳がせてから、再びこちらを見上げてくる。
「なんだ?」
「…その…、この子猫、飼っては、ダメか…?」
 銀千代にしては妙にしおらしく女らしい姿に、思わず笑いそうになる。つい口元がほころんで、それを隠そうと口元に手を当てて横を向くと、その動作すら不安を煽ったようで銀千代が再び「宗茂、」と口にした。おっと、勘違いさせてしまったかな、と表情をいつもどおりに戻して顔を向けなおす。
「別に子猫がもう一匹増えたところで構いはしない」
「…ということは、飼っても、いいのか?」
「ああ、好きにするといい。どうせ世話も自分でやるんだろう」
 つまり俺は世話をする気はまったくない、ということだが、果たして銀千代は理解しただろうか。しかし「無論だ!」と返事をした銀千代は嬉しそうに子猫を見つめ、「では名前を考えなくてはならないな」と上機嫌な声音で呟いた。まったくガキだな…この歳で、しかも立花の女当主ならば俺の意見も聞かずに飼うと宣言してしまえばいいものを。見下ろした銀千代の瞳はこの子猫と同じくらい無垢そうだ。
「さて、そろそろいい時間だろう。俺は戻るぞ」
「…いや、ちょっと待て」
「どうした?まだ何かあるのか?」
「…貴様さっき、子猫がもう一匹増えたところで…と言っていたな」
「ああ、それがどうした」
「もう一匹、ということは、どこかに猫を飼っているのかっ?」
 ようやく気がついたらしい銀千代が驚いたような顔をして俺を見上げている。いよいよおかしくて笑いたかったが、俺は銀千代に背中を向けてから顔だけ振り返ってみせた。
「ああ、けっこう前から飼っている。銀千代という猫をな」
 そしてそれだけ言って歩き出すと、一拍遅れて銀千代が「貴様、この私を猫扱いする気か!」と声を荒げたので「心配するな、これでも可愛がってやってるつもりだ」とだけ言ってやると静かになった。その顔を見てやるつもりでまた振り返ってみれば、エサを食べ終えたらしい子猫が水を飲むその前で、立ち上がった銀千代がわなわなと震えていた。その顔は真っ赤だ。
 それを鼻で笑ってから、また前を向いて歩き出す。さて、これから一段と賑やかになりそうだ。

























***
クロニクル2での銀千代と直虎のやりとりから。まったく銀千代かわいすぎる。




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