閉じられた襖の向こうから、鼻をすする音が聞こえる。目を閉じずとも、その肩が大げさなほどに上下しているであろうことは想像ができた。じきに嗚咽を堪えられなくなり、最後には大声で泣き出すであろう。

 北条氏康が死んだ。

 思えば、結局は長い間氏康の側にいたことになる。はじめの頃は鉄砲の音にすら驚き腰を抜かしていた奴だったが、歳を追えばさすがに驚くこともなくなっていたが始終あの音を嫌っていた。もちろん自分も銃を扱う部隊を持っていたし効果的に活用はしていた。だがあの男は最後まで戦が嫌いだった。自分の命を取られることが怖いというよりも、自分の大事なものを失うことを生涯恐れ続けていたように思う。
 氏康にとってみれば、領地に住む民は皆宝だった。その民を愛し、そして愛想をつかれぬようにと政務に励んだ。信頼だの何だのは正直な所我には意味も分からぬようなものでしかないが、氏康にとっては至極大事なものであった。
「うっ…、く……」
 襖の向こうから、低い嗚咽が聞こえる。熊などと散々言われているが一応あれでも女人である。なので嗚咽くらいは高い声でも出すかと思っていたが、意地を張る子どものようにその嗚咽は低くくぐもって響いた。そのことに声も出さずにフッと笑う。
「おや、か、さま…、うぅぅ…っ」
 毎朝飽きもせず時間ばかりをかけて化粧しているが、泣きはらしている今では我ですら恐ろしいと思えるような顔になっているかもしれない、などとくだらぬことを考えた。
 実の父でもない氏康を、まるで親父であるかのように慕っていた。我にはその感覚すら理解不能であり、しかしそれこそ人間の愉快なところでもある。情、とは厄介なものだ。人間は生まれてしまえば情に振り回され続ける。その者から信用されていなくても、愛されていなくても、だ。だがこの二人の間には、相互的な情があっただけ幸せだったであろうと淡々と思う。情に包まれて死んだ人間のことを思うとき、情も何もなくただ戦場で掻き切られた命の軽さばかりが目立つ。乱世とはそういうもの、混沌とはそういうものだ。人生に物語のある者と、そうでない端切れのような者。様々な者が織り成すこの乱世は、この混沌は、それこそが人間であるとすら思う。
 なんと、もろい。
「うっ…ううー……、うわぁぁぁん!!」
 襖の向こうから突如として聞こえてきた大声に、さして驚くこともない。予想通りの展開に、この熊の行く末すらも見えてしまいそうになる。
「ほら、泣き出した…」
 ぽつり、そう呟くと、大げさな泣き喚きの途中に嗚咽を混ぜる熊が「小太郎ぉぉぉ!!いるんでしょおぉぉぉ!!寂しいから出てきてよぉぉぉ!!わぁぁぁんお館様ぁぁぁ!!」などとよくわからない叫び声を上げだした。これでは聞き手の解釈によっては我がいないことを吠え、あまつさえ氏康にどうにかしてくれと言っているようにも聞こえる。
「氏康を…大切なものを、守りたいものをひとつ失くし寂しいことをただ紛らわしたいために我を呼ぶとは…」
 呆れてため息すらもらす。しかしどうせ鈍感な熊には我のため息も、気配にすらも気づいていないだろう。なんと愚かな。
 そう思いながら襖を静かに開けて「呼んだか」と声をかけると、涙でぐしゃぐしゃになった恐ろしい顔をこちらに向け、次の瞬間には思い切り抱きついてきた。いや、抱きつくというよりも体当たりに近い。それを一寸も動くことなく受け止めると、我の腹で再び泣き出した熊を見下ろした。まったく情というものは厄介だ。


























***
3になって北条勢が出てくると小太郎がちょっと優しくなったよね。とてもかわいい(´∀`)




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