「今日はなんだか嬉しそうだね」
 俺が声をかけると、アヒル口が一層嬉しそうに弧を描いた。
「当たり前だーね!なんたって観月がいないだーね!これで夜は静かに寝られるだーね!」
 事の始まりは5時間ほど前。部活もそろそろ終わりと言う頃、寮母さんからの呼び出しで観月が抜けた。とりあえずあとは赤澤が仕切って部活は終了。それから寮へ帰ると、ちょうど玄関で制服姿の観月と鉢合わせた。テニスバッグとも学校の鞄とも違う、大きめのバッグを持っていた。
『どうしたの、その荷物』
 俺が聞くと、観月は少し深刻そうな顔をした。
『母親が倒れたんです。過労ですよ。少々心配なので様子を見てきます』
 すぐに戻るような言い方をしたが、2〜3日泊まるつもりのような荷物の大きさだった。
『大丈夫なのか?』
 慎也がアヒル口を尖らせて言うと、大丈夫じゃないから見に行くんでしょう?と若干キレさせてしまった。それからすぐに来たタクシーに乗り込み、駅の方向へと去って行ったのだった。
「今頃もう山形に着いたのかな」
「どうだろうな」
 俺がぼんやりと呟くと、さして興味もなさそうな様子で返事が返ってきた。その目線は目の前のトランプに夢中だ。
「観月がいない寮ってなんか不思議だね」
 慎也が「パス」と言ったので俺が手札からトランプを選んで置くと、尚難しそうな顔をして「やられただーね」とか「際どい攻防戦だーね」とか一人で言っている。
「でも不思議な感覚よりも安心感のほうが強いだーね」
 精一杯アヒル口をとがらせた後、トランプを選んで置いた。
「安心感って?」
 俺は動じることもなく、すぐに手札からトランプを選んで置く。その迷いのなさに慎也が唖然としてからまた自分の手札と闘いだした。
「淳は知らないのか?観月の部屋からは毎晩のようにクラシックが聞こえてくるだーね」
「へぇ。それは大変だね」
「まったく淳は他人事だからいいのかもしれないけど、本当に大変だーね!騒音というほどでもないから逆に気になるだーね!みんなが寝る頃になると周りが急に静かになるだろ?そうすると僅かに聞こえてくるクラシックの音楽が妙によく聞こえるだーね。でもうるさいわけでもないから注意のしようがないだーね。困っただーね!パス!」
「でも寝るときに消すから、そんなに迷惑じゃないんじゃないの?」
「うっ…なんで淳は迷いもなく出せるだーね…………とにかく、観月は自分が寝るときにタイマーをかけてるみたいだーね。夜中の2時まで聞こえるだーね…パス」
「くすくす、それじゃ睡眠時間が足りないね」
「笑ってる場合じゃないだーね…でも今日は観月がいないから、たくさん眠れるだーね!パス!」
「ねぇ、七並べ二人でやっててそんなにパス出来るものなの?相手の手札バレバレなはずなのに…まぁいいけど…くすくす」
 はい、終わり。言って、俺が最後の1枚を並べると慎也が「なんでだーね!俺あと5枚残ってるだーね!」とかなんとか騒いだ。
「淳はトランプ全般強すぎるだーね…」
「慎也が弱すぎるだけなんじゃないの」
「く……とにかく、今夜は観月がいないから安心して眠れるだーね!」
 慎也が腕をいっぱいに伸ばして声をあげると、ちょうどのタイミングでドアが開いた。部屋の主の慎也が振り向くよりも先に俺がそちらへ視線を向ける。するとそこにいたのは予想だにしない人物だった。
「……とても嬉しいようですねぇ。私がいない夜がそんなに楽しいのですか」
 顔は笑っているが目が笑っていない。声は静かだが確かに怒気を含んでいる。そこには今頃山形にいるはずの観月が立っていた。相変わらず制服姿だ。
「みみみみみみづきっ!!!!」
 慎也が飛び上がる。
「あれ、山形に帰ったはずじゃ…」
 俺もびっくりして観月に問いかける。
「ええ。そのはずだったんですけど…連絡ミスだったようで過労で倒れたのは親戚の叔母さんだったそうです。伝言ゲームのように連絡をしていった結果、私のところに着く頃にはまったく別の話になってしまっていたということです。母親はもちろん元気ですし、過労で倒れた叔母さんは東京在住です。少しだけ様子を見てきましたが元気そうでした」
 疲れた様子で述べたあと、キッと目を開くと慎也をにらみつけた。
「なにやら私に意見があるようですね柳沢くん。部屋の外まで聞こえるような大きな声で騒いでいたでしょう?言いたいことがあるのならどうぞハッキリと言ってください」
 語気は非常に強く、疲れすらも怒りに変換してしまっているようだった。
「いや、な、なんでもないだーね…」
 へへ、と笑ってごまかそうとする慎也に、観月がじりじりと近寄って行く。それに伴って慎也もじりじりと後ろに下がるが、追いやられた末に「正座しなさい」と観月に命令されて正座した。これから説教が始まることは容易に予測できた。
「じゃあ、俺赤澤に用事あるから」
 もちろんこの場から逃げるつもりで適当なことを言った。それに対して観月は「あぁ、でしたらついでに金田くんのところにも寄ってもらえませんか。赤澤くんには会いましたが金田くんは私が戻ってきていることを知らないはずですから」と言って許可してくれた。部屋を出るときに「お邪魔しました」と言って慎也をちら、と見ると、助けてくれ、と必死に目で訴えていたがそのままドアを閉めて出てきた。さぁ、慎也の眠れない夜はこれからも続く。

























***

なんだかんだ言ってやさしい観月が好きだっちゃ。





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