部室には重たいような、しかし呆れたような空気が漂っていた。ひたすら響くのは嗚咽ばかり。困った顔をしている内村が、帽子のつばを掴んで少しだけ下げた。
「神尾…いい加減泣きやめよ、」
 身長の高い石田が、椅子に座る神尾を立ったまま見下ろした。その後ろの桜井も、最早どうしようもないといったような困った表情をしている。一人だけ少し離れたところにいる伊武はぼそぼそと何か言っているようだが、神尾はあえて聞かない選択をした。今あいつのぼやきを聞いたところで、自分の心に余計波風が立つことが安易に予想できるからだ。
「なぁ」
 石田が神尾の肩に手をかける。すると神尾はより一層、深く顔を沈めてしまった。タオルで顔を覆い必死に嗚咽を殺そうとしているが、自分の中に襲い来る光景に涙は止まらなかった。
「大体さぁ、アキラは気にしすぎだと思うんだよね。まぁそんなことで怒る相手もどうかと思うけど」
「うるせーな!俺はいいけど杏ちゃんのことは悪く言うな!」
 伊武のぼやきに相手が出てくると、途端に神尾が反応する。バッと顔を上げて伊武を振り向き、威嚇満点に声を荒げた。
「はいはい。謝ればいいんだろ…ごめんごめん。でもとにかく早く泣きやまないと橘さん来ちゃうんじゃないの」
 ぼそぼそと喋る伊武の声がなぜかよく聞こえた。神尾は何も言い返さないまま、タオルで顔をごしごしと拭うと熱い目元を手で触った。手のわずかな冷たさで冷やすつもりだった。そして蚊の飛ぶような小さな声で、俺って情けねー、と言ったと同時、部室のドアが開いた。
「おう、遅くなってすまんな」
 制服姿のままの橘さんが入ってきた。そして椅子に座る神尾と、その周りにいる他の部員を見て少しだけ目を丸くした。
「どうしたんだ神尾」
 そしてまだ泣き顔の抜けない神尾に声をかける。表情が強張り、本気で心配している様子で近づき、肩に手を置く。
「い、いや、なんでもないです」
 神尾は橘さんの目を見たまま頭を横に振る。左目にかかる前髪が一緒に揺れて視界を邪魔した。
「なんでもないのに泣くやつがあるか。どうした、何があったんだ」
 泣くなんて経験のほとんどない橘さんからすれば、誰かが泣くことは非常事態とでも言うべきなのかもしれない。しかし理由を話すわけにはいかず、神尾はひたすら「なんでもないんです」を繰り返していた。それを周りの者も苦笑いをしながら見ているしかできず、部室にはなんとも言えない空気が蔓延していた。
「なんだ、俺にも話せないことなのか?」
 神尾があまりに理由を隠そうとするので、理解の良い橘さんは神尾の肩から手を退けて、じっと見据えた。もしこれ以上神尾が抵抗するようであれば何も問い詰めないでおこうという姿勢が見えた。しかし神尾の煮え切らない態度に痺れをきらした者が約1名いた。
「橘さん。アキラは好きな子を怒らせちゃってへこんでるだけですよ」
 伊武だった。もうどうでもいいから早く部活を開始したい様子で、ラケットを片手でくるくる回していた。
「ちょっ…深司!」
 決してリアクションの小さくない神尾は慌てて伊武を振り向く。
「ほう…そうなのか?神尾」
 橘さんはちょっと心配して損したような、しかしなるほど…といった顔で神尾を見つめた。とにかくそれほど重大そうでもないと判断したのか、橘さんの持っている空気が少し和らいで、その場全体が落ち着いた。
「ち、ちがいま」
「そうなんですよ。なんか好きな子が髪型を変えたのに気がつかなくて、相手も相手なんですけど"神尾くんだったら気づいてくれると思ってたのに"って言って怒ったんですよ。それでへこんでるんですよ。情けないよなぁ…泣くほどへこむのかなぁ…」
 あせあせと焦る神尾を遮り、伊武が全部ばらしてしまった。具体的に名前を挙げないところ、わざと言っている感が非常に強い。最早石田たちの表情は完全に固まってしまっていた。どう反応を示したらいいものか分かりかねている。
「はっはっは!なんだ、そんなことか」
 しかし橘さんは愉快そうな声で笑った。
「そんなことって…橘さん!」
 神尾が次は橘さんを振り向く。少し非難めいた声音とが響き、振り向いた拍子にジャージのフード部分が跳ねた。
「ん、ああ、すまんすまん」
 橘さんも口では謝ったが、未だ愉快そうな表情で笑っている。
「え、俺なんか面白いこと言ったのかな」
 伊武は伊武でなにか呟いている。
「そういえば今日は杏も少しだけ髪型を変えていたな。女っていうのはちょっとした変化でも気づいてもらえないと怒るからな」
 俺も今朝すぐに気づかなかったから少し怒られたよ、と言って笑う橘さんを見ながら神尾はヒヤヒヤしていた。それと同時に、橘さんですら気がつかなかったのに俺が気づけるはずがない、と自分を少し正当化してしまった。
「で、でもそんなに笑うことないじゃないですか」
 あまりにも笑う橘さんを見ていると、なんだか自分が恥ずかしく思えてきて神尾の顔が紅潮する。しかし橘さんは尚愉快そうに「神尾、お前はかわいいな」と言って神尾の頭をぽんぽんと撫でた。そして「さー遅くなっちまったが部活やるぞ」と気合の入った声を出して、ジャージに着替えないままラケットを手にして部室を出て行ってしまった。石田たちもそれに続き、完全に出遅れた神尾の前に伊武が現れ少し振り向くと、「でも俺、髪型変えたのすぐわかったけどね。髪形変えたんだねって声かけたらすごい喜んでたよ」と呟いてから部室を後にした。ぽつんと一人残された神尾が慌てて出て行き、伊武に飛び掛るのは約5秒後。

























***

神尾らへんが妙に中学生っぽくてすきです。杏ちゃん効果。ていうか橘さんだけさん付け。





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