通学は徒歩で通える距離であるため、バスにはあまり乗らない。休日に買い物に行くときなどで利用する程度だ。今日も例外ではなく、学校帰りに知人宅を訪ねるためにバスに乗車した。知人と言ってもテニスラケットのガット張りをしてくれるところだ。今日の部活中、弦一郎のスマッシュ練習と併せて俺のレシーブ練習をしていたのだが、弦一郎のスマッシュを少々見くびっていたようで、あまりの強烈な打球にガットが破れてしまった。いつの間にかデータ以上に力をつけていたということだ。なるほど、やるな弦一郎。
 ぷしゅ、と、乗車したバスが発進する。俺はぼんやりと、ガットが破れたときのことを思い出していた。すぐに弦一郎が2年生の部員に冷却スプレーを取って来いと指示をしてから俺に近づいてきた。いつもの厳しい顔つきで、無理をするな、返せないと判断した瞬間にラケットを放さなければ手首に負担がかかってしまうぞ。と声をかけてきた。判断して実行に移す隙を与えないほどに弦一郎のスマッシュが鋭かったというのが本当のところだが、素直に述べるのもなんだか癪だったので、ああ、そうだな。とだけ返事をしておいた。
「はぁーあ…」
 後ろのほうのひとり掛けの椅子に座って外を眺めていた俺の耳に聞こえてきたのは、よく聞きなれた欠伸だった。ふと視線を移すと、バスの車体の中央より少し前側ほどの席に赤也らしきワカメ頭が座っていた。自分の隣にテニスバッグが置いてあるのが見える。もともとこの時間帯の乗車率はあまりよくなく、今日も空いていて客は俺と赤也のほかに3人しかいなかった。部活終了時にレギュラーのみ残されて弦一郎が話をするという習慣があるため、レギュラーでないテニス部員はもとより、他の各部活動生徒も帰ってしまったあとに校舎を出ることになるのだ。正直めんどうぜよ、と言う者もいるようだが、俺は特に気にしていない。
 見慣れたワカメ頭を観察するようにずっと見ていると、ふと窓のほうに顔を向けて外の景色を眺めだした。もちろん俺には横顔が見えているわけで、その眼は今にも閉じそうなほど眠そうだった。赤也の視界の端のほうに俺が見えているはずだが、この距離と赤也の眠気具合からして俺だと気づく確立は…2%といったところだろうか。この状態で気づくのは奇跡に近いということだ。俺がこうして数字を出している間にも赤也の眠気は増す一方のようで、カクカクとし始めてしまった。幸いまだ赤也の降車するバス停までは距離があるが、この様子では赤也は寝過ごすことになるだろう。と、寝過ごす確立を計算しようとして考えた。赤也が降車するバス停が近くなったら起こしてやるべきか、それとも4、5箇所ほど過ぎてから起こすべきか。そのまま起こしてやるのは気分がいいが、過ぎてから起こして、走って帰らせるという手もあるということだった。最近の赤也は、弦一郎風に言えばたるんでいる。定期考査も近いということで、担任の教師から英語の特別授業を受けているという話を聞いたが、そのためだろうか。いつもに増して眠たそうな顔をしていることが多い。それもわずかではなく、12%だ。12%もの増加は少し度が過ぎているように思うので、ここは先輩としても起こさずにおこうかと判断した。鬼と言われようがあまり気にするつもりはない。これもお前のためなんだ、がんばれ赤也。
 そうしているうちに、とうとう赤也が降車するバス停を過ぎてしまった。ずっと赤也を見ているが起きる気配はまったくない。体勢が崩れてしまったようで頭の位置が少し下がってしまっている。ちなみに赤也の降車するバス停の5つほど先で俺は降りる予定だったので、その時に赤也を起こすことにした。バスというもの、車というものはなんとも便利で、徒歩とは比べ物にならないほど早く目的地に着いてしまう。バスではたった10分でも、徒歩を選んだならば、性別や筋肉量などにもよるが20分以上はかかるだろう。しかし乗り物に頼りすぎるのもいけないな。足腰が弱ってしまう。
 静かに流れた車内アナウンスで、目的のバス停名が告げられたので降車ボタンを押した。ぴんぽーん、と軽い音がして、運転手の男性が次とまりますと小さな声で言ったのを聞いた。バスが走行中であるにも関わらず、俺は席を立って赤也の横まで移動した。手すりにしっかりと掴まり、もう片方の手で赤也の肩を掴む。
「おい。赤也起きろ、」
 ゆさぶるがなかなか起きない。しかし予測していたことなので問題はなかった。
「赤也、弦一郎が…」
 しかしもうすぐにもバス停に着いてしまうので、早々と弦一郎の名を出した。すると赤也が飛び起きた。
「えっ?集合っすか!」
 目を見開いて、俺を認識すると声をあげた。少し大きな声だったので、近くに座っていた野球部の男子生徒がこちらを見た。
 ぷしゅー。
「降りるぞ」
 来なければ置いていくぞ、と背中で語って先に降車した。後ろからアセアセと赤也が着いてくるのがわかった。ふたりの足が地面についたのを確認してから、ガタン、ぷしゅー、と音がして、バスが発進する。赤也を見れば、状況が掴めていない様子で戸惑っていた。
「良かったな、俺がお前に気づいていなければ終点まで乗っていただろうな」
 いかにも降りる直前に存在に気づいたかのような言い方をした。
「でもここ、俺んちからだいぶ離れてるんスけど…」
 赤也はバス停に立っている時刻表を見ながら、その上部に記載されているバス停名を確認してちょっと落ち込んでいるようだ。
「走って帰れない距離じゃないだろう」
 俺が微笑んで言ってやると、うげ、と小さく声をもらして視線をそらした。
「い、いやぁ、今日の練習もハードで、ほら、寝過ごすほど疲れてるんで今日はまたバスで帰ります、」
 へへ、とごまかし笑いをする赤也に、有無を言わさないという意味をこめて、今まさに自分の足首についていたパワーアンクルをはずしてから差し出してやる。
「今の今まで俺がつけていたものだから少々気分が悪いかもしれないが」
 なかなか受け取ろうとしない赤也に、なお差し出し続けた。
「……まじッスか?」
 顔がひきつっている。
「まじだ」
 赤也の言葉を引用してやれば、はぁ…とため息をついて、ゆっくりとした動作でパワーアンクルを受け取った。なおも俺がじっと視線を送りつけると、渋々と言った様子で自分の足首にそれを装着し始めた。
「それじゃあな」
 ベルトをしっかりと固定して、足のつま先で地面をトントンと叩いた赤也を見てから、踵を返そうそした。
「…へーい」
 最早がっくりとしている赤也の背中が少し猫背気味に曲がっている。
「ああ、それから、」
 途端、思い出したので声をかけると、なんスか?と落ち込んだ、それはもう疲れきった顔を向けてきた赤也に俺はまた薄く微笑んでみせる。
「返却はいつでもいいからな。予備が家にある」
 言えば、そ、そうスか…それじゃ。と言ってとぼとぼ歩き出したので、走って帰れる距離だよな?と念を押してみると、そんじゃッス!と言って走って行った。まったく赤也は扱いやすい。

 後日その話を弦一郎にしたら、俺の名前を出した途端に飛び起きるなど…俺はそんなに怖いのか?と少々頭を抱えてしまった。どいつもこいつもばかだな。


















***

真田オチ。笑






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