真田は不意に、左肩に重みを感じた。休憩中といえど気を抜かない真田は、突如として感じた重力にさえ身体をぴくりとも動かさない。自分の座るベンチの前、広い敷地内のテニスコート。自分から見て右のコートのほうで練習試合をしている仁王と柳生を見ていたために、左側から忍び寄っていた者に気がつかなかった。すい、と、右を向いていた自分の顔を左にやる。自分の左肩の上に幸村の頭が乗っていた。
「おい」
 一言に言いたいことをすべて込めたが、幸村は口角のあがった口を動かすことなく、少しだけふふっと笑った。そして軽く乗せているだけだった頭を真田の肩にフィットさせるように身をよじってから、徐々に体重を預けた。もはや完全に真田に寄りかかっている。
「幸村、」
 真田の厳格な声音に、少しだけ困惑の色が混じる。幸村の意図が読めないのだ。その様子を空気で感じ取った幸村は少々気を良くした。もう一度、ふふっと小さな声で笑って、相変わらず真田に体重を預けたまま動こうとはしなかった。
「…ユニフォームが汗でベタつくだろう」
 少々困っている真田は、再びコート全体を見回しながら声を発する。が、やはり幸村は何も言わない。むしろ無言という状態を楽しんでいた。先ほどまで自分と試合をしていた真田が相当に疲れているのを幸村は知っていた。たとえ草試合でも負けてはならぬ、その言葉が表すように真田は練習においても至極まじめで、もちろん幸村と試合をして勝てはしないとどこかでわかっていても真っ向に勝負をしかけてくる。しかしいくら幸村には及ばずとも皇帝と呼ばれる程の実力は定かで、真っ当に対峙した幸村も相当疲れていた。そんな中思いついたのが、これだ。
「…赤也がこちらを見ているのだが」
 真田の視線の先、チェンジコートを言い渡された赤也がこちらに気づき笑っている。真田はそのことに少々怒りを覚え、その感覚が声音に表れていたので幸村もうっすらと目を開く。確かに赤也が笑っている。なにか言っているようだが恐らく、真田副部長が枕にされてるッスよ!とでも言っているのではないだろうかと幸村は推測した。だが当の真田は多少イラつきながらも怒鳴ろうとはしない。これも幸村の予想に反したことではなかった。俺と試合をして疲れないわけがない―――そして疲れた果てには怒る気力が半減するだろう。幸村はそんなことを考えていた。現に今、それは現実となって、本来ならば肩に頭を乗せた時点で怒鳴られるはずで、更に体重を預けようなどもってのほか、鉄拳制裁さえ受ける理由になるかもしれない。しかし相当に疲れた真田は怒る体力も奪われた状態だ。こうなればこっちのもの。実際問題、幸村自身も疲れていたのであまり遊ぶこともできないが(最も、あまりふざけると後から回復した真田に本当に怒られる)、普段怒鳴られているメンバーの仕返しだとでも言わんばかりに、幸村の口は更に口角をあげた。
「………」
 そうしているうちに、とうとう真田も何も言わなくなった。無言でコートを見回している。そこで幸村が腕の位置を少し変える。それまでずっと、真田の組んだ腕の、左肘が幸村の右腕にぶつかっていて少し痛かったからだ。もぞもぞと動いたものだが、それでも真田は微動だにしない。
「…真田」
 そこではじめて、幸村が声を出した。その透き通る声は、コート内の選手を様々に見ていた真田の意識を集めるには充分だ。
「なんだ」
 顔をこちらに向け、ご丁寧に返事までくれた。思い通りになる真田に、幸村は更に気を良くする。ふう、とひとつ静かに息をついた。
「…俺たちレギュラーを家族に見立てたら、」
 だが幸村の話し始めた内容はまるで真田の予想しがたいものだった。たぶんこの突然の意味不明な発言は蓮二にも予測できなかったのではないだろうかと真田は考えた。
「そうだなぁ、まず真田はお父さんだね」
「…なんだと?」
 幸村の言葉に、真田の眉がぴくりと動く。年齢と見た目が比例していないことを内心気にしていたため、その発言は少々気に障った。しかし幸村は真田を無視して言葉を続ける。
「それで、俺はお母さん」
 幸村が母親であったなら、カカア天下間違いなし。そんなのは専ら御免だ、と心の中で真田は毒づいた。こんなことを実際に口にしたら後ほど自分に不幸が訪れることはわかっていたので言うことはなかった。が、そんなこととは知らずに、幸村は黙って自分の話を聞いている真田にどんどん機嫌を良くするばかりだ。
「末っ子はもちろん赤也だけど、長男は意外とジャッカルだったりして」
 そこまで言うと、幸村の脳裏に想像が膨らむ。弟たちの失態に関して、長男のアナタがしっかりしなさいと言われて「俺かよ!?」と返すジャッカルを思い浮かべて、少し笑いそうになった。
「柳は出来のいい次男って感じだなぁ。柳生は三男だね。そうなると四男は仁王、丸井は五男かな」
 柳生みたいなタイプって、長男のように見えて意外と三番目くらいだったりするよね。いや、実際にも長男なんだけどさ。ひとしきりペラペラと喋る幸村に、疲れた真田がひとこと「男ばかりでむさくるしい家族だな」と言った。確かに、と幸村も返事をしてふふっと笑った。真田がこういった冗談に付き合うのが非常にめずらしかった。前に一度か二度、将棋でお爺さんを追い詰めることができたとかなんとかでひどく機嫌の良かった時以来ではないかと幸村は考えた(でも決してお爺さんとの将棋に勝ったわけでなく、追い詰めただけに過ぎないのだが。それほどに真田のお爺さんは強いらしい)。
「終わったようだな」
 不意に真田が言葉を発した。閉じていた目を開けた幸村は、シングルスをやっていた柳と赤也がこちらのほうに歩いてくるのを視界にとらえた。相変わらずこの状況を見て赤也が笑っている。柳も少し笑っている。そんな二人を見て、自分が今どういう状況にあるのかを思い出した真田が「いい加減にしろ」と言って左肩を動かした。すっかり体重を預けていた幸村がずれ落ちて真田の太ももの上に一度倒れ込み、ひどいなぁ…と言いながら上体を起こした。
「真田副部長ー、枕にされてたじゃないッスか?」
 ニヤニヤしながら問いかけてきた赤也に、真田は突き刺さるような視線とともに「たわけが!」とひとこと声を荒げた。
「まぁそう言ってやるな。見ていたのだろう、赤也の腕が上がったようだぞ」
 タオルで汗を拭きながら柳が真田をなだめるように言うと真田は「うむ、」と喉を唸らせ、「ここから見ていても分かった。蓮二から2ゲームも奪うとは、随分と腕をあげたようだな」と、打って変わって赤也を誉めた。
「い、いやぁ…そんな」
 自分のワカメ頭をわしゃわしゃと触りながら照れる赤也を見て、幸村がふふ、と笑った。
「息子が俺の後を継いで部長になるなんて、こんなに嬉しいことはないよ」
 さー、喉が渇いたな、柳、水を飲みに行こう。ガタッとベンチから立ち上がって、肩からズレたジャージを羽織りなおして幸村が歩き出した。柳も「そうだな」とだけ言って歩き出す。
「え?息子って…俺のことッスか?」
 突然に息子呼ばわりされた赤也が戸惑っている。きょろきょろと、遠ざかる幸村とすぐそばの真田とを交互に見遣る。赤也の言葉から5秒ほど要したのち、気にするな、あいつの言うことはくだらん。と、それだけ言って真田もベンチから立ち上がった。向こうのコートでダブルスをしているジャッカルと丸井が少々もめているようだった(丸井が珍しく綱渡りを失敗したのを何故かジャッカルのせいにしているようだ)。

 すれ違いざま、赤也の頭に手を乗せた真田がひとこと、全国優勝こそが最大の親孝行だからな、とだけ言って、ちょっとだけワカメ頭を抑えてから手を離した。その去る背中を見ながら、赤也の脳内にはハテナばかりが飛び交っていた。


















***

真田と幸村の試合……いくら練習試合でもなんか嫌だな。見るほうが疲れそうで(笑)





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