INFERNO/01
その日、大陸の西で大きな煙が上がった。
それと同時に耳をつんざくほどの騒音がイヤホンを叩く。リアルタイムで画面の映像を見ていたロボロは、幼い見た目からは想像もできないほど荒々しく舌打ちをした。それから背後で作業をする部下たちが怯えることも構わず、インカムを掴んだ。
「何しとるんや、まだ合図出してないやろ!」
『俺やない! シッマが先走ったんや!』
『悪い、ロボロ。ちょーっと小突いたつもりやってん』
すると焦ったような声と、ちっとも反省の見えない声が返って来る。ロボロはギリギリと歯を噛み、インカムを摘まむ指へと力を込めた。

遠くから聞こえてくる爆発音に、ソファに座っていたエーミールは深く息を吐いた。膝の上に肘をつき、絡めた指へ額をつけた。
「嫌な予感がする……あの人ら、私たちが敵陣地で交渉中だって忘れてるんとちゃうやろな……?」
開戦はもはや避けられないところまで来ていた。それでもエーミールが向こうの外交担当との対話の場に現れたのは、僅かでも開戦を回避できる可能性があったからだ。しかしこちらのガバとはいえ、こうなってしまえばそのための対話は無意味。今からできるのは、少しでも戦争期間を短くするための妥協点と、向こうのウィークポイントを探ること。それと――。
「安心せぇ、俺が護衛しとる」
思考に耽るエーミールの肩を、ソファの背面に立っていたゾムが叩く。エーミールが心底安堵して綻ばせた顔を向けると、ブイと二本の指を立てた彼は、「護衛任務なんて退屈やと思ったけど、面白くなりそうやな」とどこか楽しそうに呟く。それを聞いた途端、エーミールはますます頭を抱えてしまった。
「何も安心できない……」
そこへ、閉じられていた扉が開かれる。席を立っていた向こうの外交担当が、浮かぶ汗を拭いながら戻って来た。エーミールはすぐさま姿勢を正し、交渉相手を見やった。
「席を外して申し訳ない。少々こちらの方で騒ぎがあったようでして……ああ、お茶が冷めてしまいましたね。すぐに淹れ直させます」
胸ポケットから取り出したハンカチーフを何度も額に押し当てながら、男は使用人へ指示を出した。すぐさま机に置かれていたカップが下げられ、湯気が立つ新しいお茶が置かれる。
クン、と鼻を動かしたゾムが、ソファの背もたれを二回指で叩いた。その振動を背筋で感じながら、エーミールは目を細める。
「ではお話の続きを……」
「そうですね」
エーミールがカップを持ち上げると、背後から伸びてきた手がそれを奪った。大きく目を開く男の前で、ゾムは紅茶を一息に煽る。
ゴクン、と嚥下する音がして、空のカップがエーミールの手元へと戻る。信じられないものを見る男の目を真っ直ぐ見つめ返しながら、ゾムは僅かに痺れる舌で口端を撫でた。
エーミールはゆったりとした所作で膝を組んだ。
「お話の続きをしましょうか」
もう一つの目的――開戦の理由を、W.R.D側の有利なものとしてしまうために。

エーミールたちが交渉の場についている屋敷は、某国の領地にある。門前には、警備をする兵士と一台の車が並んでいる。兵士の一人が「なぁ」と隣で警備に当たる同僚へ声をかけた。
「あの車に乗っているの、W.R.Dの奴だろ? 護衛か、それでなくても仕事できた筈なのに、車から出て来てねぇけど、何してんだろ」
「さあね。さっきちょっと中を探ってみたんだけど、乗っているのは一人だ。しかも、どうやら女と電話しているっぽいぜ」
外で待機する護衛と言えど、警戒を怠るなと指示を受けていた兵士はトントンと耳元を指で叩いた。そこにかかっている黒いイヤホンからは、車の影に仕掛けた盗聴器の音声が流れてくる仕様になっている。はーっと息を吐いて、もう一人は腰に手を当てた。
「こんな、国の未来を左右するかもしれない任務中にか?」
やっぱりかの国の軍人の気はしれない、と兵士は互いに顔を見合わせて肩を竦める。
そんな会話を何となく雰囲気で察しながら、助手席でだらしなく座りこんだウツは左耳にあてていた携帯端末を右へと移動させた。
「ごめんごめん、何か視線感じちゃってさぁ……大丈夫。君のことを無視なんてしないよ」
『ほんとなの? せんせ、すぐよそ見するから信じらんない』
「拗ねないでよ……」
電話に応答しながら、ウツはチラリと車外へ視線を向ける。こちらからでは目視できない範囲だが、先ほどレーダーで確認したところによると、助手席側の扉の下に、盗聴器が仕掛けられている筈だ。そんなに聞きたいのなら指で摘まんでダッシュボードにでも置いてやろうかとも思ったが、さすがに通話相手に呆れられそうだったのでやめた。
ウツは足を組んで話を続ける。
「さっき何か大きな音が聞こえたみたいだけど、何かあった?」
『えー、ちょっと待ってね……。ああ、何かポメちゃんとチワワが逃げちゃったみたい。ブリーダーさんがすっごい怒ってる』
「え、まじぃ……?」
のんびりとしていたウツの口元が、僅かに引きつる。
『それよりせんせ、ちゃんとお願いしたこと覚えてる?』
「分かってるって。俺がぴーちゃんのお願い聞かなかったことある?」
『結構ありゅ〜』
「まじ?」

「……はぁー、あのクソ先輩」
薄暗い天井裏で胡坐をかいたショッピは、隠すこともなく舌を鳴らした。ボソリと吐き捨てた声は、先ほどまで通信機へかけていた高い声とは違い、素の音だと分かる。
『ぴーちゃん、怒んないでよ〜』
「せんせぇがお土産忘れないって約束してくれたら許すぅ」
膝の上に置いたノートパソコンを弄る手を止めないまま、無表情で高めの声でしゃべる。隣から「ブフォ」よ失礼極まりない音が聞こえて、ショッピはジロリとした視線を向けた。
口元を抑えた手とは違う手を振りながら、チーノは逃げるように四角く切り取った階下へ通じる穴へ飛び込んでいく。
明かりをしっかりとつけた部屋で、チーノは途中になっていた装置の設置を再開した。傍らには二種類の薬品が入った瓶があって、そこから伸びるコードが今チーノの弄る装置へと繋がっている。時間の経過で瓶を傾け、二つの薬品を混ぜ合わせるための装置だ。この二つの薬品が混ざることで、有害ガスが発生する代物だ。
階下へ消えて行った背中を見送り、ショッピはインカムへ手をやって、ふと動きを止めた。
ノイズ混じりの低音が、チャンネルを繋いだ全てのインカムに流れ始める。

「コネシマとシャオロンの特攻は、悪手ではない――悪手にしなければいい」
ゆったりと椅子に腰かけて足を組んだグルッペンへ、トントンは吐息を漏らした。
「えらく無茶苦茶なこと言っとるの、理解してんのか?」
「ワハハ、ロボロが頭を痛めそうだな。大先生と教授辺りは胃を痛めているか」
「分かっとるやん。分かっとってその態度、性格悪いわ」
言いながら、トントンは窓ごしに外を一瞥する。森の中に用意された仮拠点の周囲は、先ほどから敵の軍然に取り囲まれていた。
「……聞いとったな、全員」
吐息交じりに、トントンはインカムへ声をかける。
「予定より早いが、作戦開始とする」

木箱に腰を下ろした状態で足をブラブラと揺らしていたレパロウは、インカムから流れて来た指示に小さく息を吐いた。同じテントでは、『神』の布を揺らした男が部下に指示をだしながら忙しなく動き回っている。それと一緒に胃を擽る湯気が鼻を突いて来たので、余計な音を立てないうちにと、レパロウはそっと立ち上がった。
「おい」『おい!』
テントからそっと退散しようとしたが、それは許されず。どこに『眼(カメラ)』があったのか、インカムと背後から同時に声を投げつけられた。
『何サボってんねん』
「えー、何か俺の班は仕事なさそうやないっすか」
「手が空いているなら、手伝って」
インカムの声へ反論していると、ヒョイと襟首を掴まれて引っ張られる。
『お望みなら、大先生とショッピくんの伝令任せてもいいねんぞ。あそこ盗聴されてるらしいしな』
「ほぼ真反対じゃないっすか!」
他国からの傍受や指示系統の混線を懸念した場合に、伝令班である自分たちが戦場を駆け回るのは良い。しかし、単車や馬を用いても三日はかかる位置にある二か所を繋ぐためなら、別の手段の方が賢明である。
ズリズリと引きずられながら、レパロウは諦めの吐息を漏らした。それを見て、パッと襟首から手が離される。レパロウは袖を捲って、差し出されたエプロンを受け取った。
「俺、料理の腕、壊滅的っすよ?」
『チーノよりマシやろ』
ケラケラと笑う声に同意して、『神』の布を少し持ち上げた男も笑った。

ロボロはインカムのマイクを弄りながら、フゥと息を吐いた。それから眼前にズラリと広がるカメラの映像を一望し、ニヤリと口端を歪める。
「――さぁ諸君、戦争をしよう」
インカムを通し、その声はよく響いた。

その日、一つの戦争が始まり、そして終わった。



一つの戦争が終わって数か月後。W.R.D国首都にある軍総司令本部の会議室に、幹部たちが集められていた。
「何やねん、“祭り”が終わってまだ経っとらんのに、もう次の“祭り”の報せか?」
円卓に座った幹部の一人が、行儀悪く胸を反らすようにして顎を持ち上げる。第四師団長コネシマはニヤニヤと笑いながら、上座を見やった。コネシマの隣に座っていた第五師団長シャオロンも、言葉にこそしないが概ね彼と同じ意見なようだ。頬杖をついた状態で、じっと次の言葉を待っている。
「それについてはロボロから報告がある」
答えたのは、第二師団長のトントンだ。彼の視線を受けて、第六師団長ロボロが起立する。
「先日、ニチデの国のトラゾーさんと会う機会があってな」
「何やそれ、俺初耳やぞ?」
「そろそろ黙ってくれませんかクソ先輩、永遠に」
「はあ?!」
シャオロンとは反対側の隣席に座っていた第九師団長ショッピが、ボソリと毒づく。コネシマがサッと視線を向けると、平然とした態度を貫いたまま座っていた。
「ええかげんにせぇ、シッマ。ロボロの話を聞けや」
くわえ煙草を揺らす第四師団長ウツにも言われてしまい、コネシマは渋々と居住まいを正した。トントンからの視線を受け、ロボロは小さく頷く。
「トラゾーさんは、何の用だったんや?」
「某国に用事があって、その帰りに寄ってくれたんよ」
某国、という名を聞いてシャオロンの眉がひそまる。それはつい先ほども話題に上がった“祭り”の関係国であったからだ。それに、シャオロンの記憶違いでなければ、ニチデの国と某国の通り道にW.R.Dはない。つまりニチデへの帰り道にしては、遠回りなのだ。わざわざそんな手間をかけてまでロボロに話に来た内容とは何だったのか、興味をそそられる。
「そこで、こんなこと言ってたんや」
――その国からアポなしの“お客さん”が来ましてね……それを送った帰りなんですよ。不思議な人でしてねぇ、生まれも育ちも某国の筈なのに、喋り方や服装がW.R.Dさんのとこの人のようだったんです。
ロボロの話に、第十師団長チーノは片眉を持ち上げる。
「……つまり、ウチの人間のフリをして、ニチデに忍び込んだ不届きモンがいるっちゅうわけやな」
「ウチとニチデを争わせようって魂胆かな」
ウツは煙と一緒に「舐められとんな」とぼやきを吐き出した。「だったら」と嬉々とした声を上げたのは第七師団長のゾムだ。彼は鋭い犬歯を覗かせて笑みを描き、パンと手を叩いた。
「いっそのこと徹底的にやる必要があるんやないか?」
「俺は反対や」
冷静な言葉を返したのは、トントンだ。
「あそこは現在、曲りなりにも交易国や。それを破棄してまで領地にするには、割く労力に対して利益が薄すぎる」
「けど、条約締結したその交易国が、こっちの目を盗んでおイタしたんやろ? 何も手を打たんのは図に乗らせるんやない?」
「どうやろうな」
それまで腕を組んで静かに話を聞いていた第八師団長エーミールが口を開く。
「ニチデの国と某国で騒ぎがあったことは、表立っとらん。恐らく、秘密裏に手打ちが行われたんやろう。それでもトラゾーさんが、ロボロさんへ遠回しに話をしてきたのは何故か」
ニチデ側が、言外に伝えて来たのはこうだ。この話を聞いて、某国の行いを黙認するもよし、こちらの話を信じて報復を計画するもよし、そちらの判断に任せると――前者ならばW.R.Dのプライドとはそこまでなのだと理解するし、後者ならばこちらの言に信を置いてくれたのだと判断しよう。どちらに転んでも、ニチデ側には害もなければ、益もないのだから。
ス、とシャオロンの目が細まる。鋭い気配は彼のみならず、ぐるりと丸く円卓に並んだ幹部たちからそれぞれ沸き立っているようだった。
「それは……ニチデの兄さんたちと言えど、黙っておられんな」
ニヤリと笑うコネシマを一瞥し、ウツはフッと口端を持ち上げた。それから煙草を指で摘まみ、呆れた吐息を漏らすトントンを見やる。
「で、どーするん、トントン? グルちゃんがマンちゃんたちと視察でいない今、最終決定権はお前やろ?」
トントンは少々不機嫌そうな視線でウツを見やり、息を吐いた。
「……ニチデの、正式な外交の場でもない場面での発言だけを鵜呑みにして動くことはできん。だから、こちらからも調査員を出す……ゾム、ショッピ」
「お?」「は?」
「一か月お前らに与える。某国の様子を探ってこい」
トントンの言葉に、ショッピは眉を顰めて文句を言おうと口を開いた。
「なんでワイが……」
「えーやん! 久しぶりのツーマンセルやな」
しかしそれもゾムの腕が首に巻き付いたことで途切れてしまった。幹部の中では新人のショッピの意見がそれ以上通ることなどなく、数時間後には正式な任務として辞令が降りた。
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