TEA-BREAK(2)
クロノアを除いた三人が、幹部用の休憩室でダラダラと談笑していると、大きな足音と共に少々乱暴に扉が開かれた。ぎょっとして、しにがみやぺいんとは菓子を持った手やくわえた口をそのままに、扉の方を凝視してしまう。新しいお茶を淹れた急須を持って給湯室から顔を出したトラゾーが、こんなときでも外さない帽子の下で眉を顰めた。
「どうかしたんですか?」
「こちらも同じことを問いたい。どうなっているんだ、お前らは」
渋い顔で返事をしたのは、扉を開いたリアム。彼は片手に掴んでいたクロノアの襟首をさらに引っ張り、部屋の中へ放り込んだ。首根っこを掴まれた猫の如く奇声を発したクロノアは、身体を丸めた状態でトラゾーの腕の中に飛び込む形となった。
「今日は二人で新しい貿易国とのお食事会だった筈ですよね?」
クロノアとリアムを交互に見やりながら、しにがみは訊ねる。リアムは苛立った様子でため息を吐き、ぐしゃりと前髪をかきあげた。
「その話はなしだ。条約も全て白紙になった」
「それってどういう……」
「詳しく話す前に、そいつは医務室行きだ」
ビシリとリアムが指さしたのは、トラゾーに支えられながら立ち上がったクロノアだ。
「どこか怪我したんですか?」
「いや、怪我はしてないけど……」
クロノアは曖昧に笑って頬をかく。その顔を覗き込んだしにがみは、ハッとした様子で彼の手を握った。
「今度は何を飲んだんですか?」
ぺいんととトラゾーも、そこで漸く事態を悟った。クロノアは気まずげに視線を逸らし「……多分、シアン化合物……」と呟く。それを聞くや否や、しにがみは握ったままの腕を引っ張って部屋を飛び出した。
「……ほんと、何があったんですか?」
しにがみに引っ張られていくクロノアの背中を見送り、トラゾーはリアムを見やる。自分でかき混ぜた髪を正し、リアムは軍帽をかぶり直した。
リアムが語ったところによると、それは数時間前に遡ることらしい。
本日、リアムとクロノアは国交を新しく結びたいと申し出た隣国へと赴いていた。
港町が有名なその国は、海産物が豊富だ。ニチデの国は、領地が少ない。海にも面していないため、農産物や海産物を輸出に頼らざるを得ない。その殆どを、個人的な付き合いもあるらっだぁの国から破格の値段で譲ってもらっている。しかし、いつまでもおんぶにだっこはできない。ここで一つ新しい貿易国を、と考えていた矢先の申し出だった。
ニチデの国には、地下水脈がある。澄んだそれを利用して作る紙を始めとして、布や木を原材料にした工芸品、時計などの精密機械が、売りであった。相手国の目的もその精密機械だったらしく、是非にと強い態度を示していた。
二人が出向くことになったのは、偶然と言えば偶然だ。いつもならトラゾーか、それでなくても外交担当の人間が出向く。ただ、相手国がかなり外交に対しては上手と噂であり、それをいなせるだろうトラゾーは太い交流相手であるW.R.D国まで行ってまだ帰還していなかった。そのため、交渉の経験豊富なリアムが出ることとなり、それなりの警護ということでクロノアが指名された。勿論、他にも護衛という名の部下を数名連れて、である。
リアムとしては、ずっと机に座らせっぱなしだったクロノアに気分転換も兼ねているのだろう。ぺいんとは、そう予想したのでお土産を頼むくらいの軽口を叩いて二人を見送ったのだ。
リアムに言わせれば、外交という名の腹の探り合いだ。表向きにこやかな笑顔で会話を続けながら、その腹の下ではいかにしてこの小国から利益だけを搾り取ろうかと画策している。下手な外交担当を向かわせなくて良かったと、振舞われた肉を切りながらリアムは内心吐息を漏らした。
下手な外交担当よりもこういった腹の探り合いが下手と見えるクロノアは、新しい料理が運ばれてくる度に翡翠の瞳を僅かに輝かせていて、会話は全てリアムに任せている。まぁ、リアムも今回は彼には護衛としての役割しか期待していないので、予定通りではある。
やがて食事も終わりを見せ、二人の前には茶色いソースのかかった白いアイスが置かれた。給仕が、ブランデーをかけたアイスだと説明してから礼をして部屋を出て行った。アイスにかかっているブランデーはこの国でも人気の一品なのだと、にこやかな笑顔を保ったまま外交官は説明した。
外交の場でも、夜会であった場合は酒類が振舞われることはある。この程度のアルコールに潰されるほどやわな肝臓を持っているつもりもないリアムは、断ることなく匙を手に取った。あの四人の中では体調に影響が出るほどアルコールが苦手だと聞いていたクロノアが、嬉々としてブランデーのかかっているアイスを掬って口へ運ぶ姿が、少々意外ではあったが。
外交官の話に相槌を打ちながらだったので、リアムはアイスを一掬いした手を半端に止めていた。アイスを溶かすようにもごもごと口を動かしていたクロノアが、簡単に掴んで引き留められるほどには、のんびりとしていた。
何をするのだと視線だけでリアムが問うと、クロノアは口端を舌で舐めながら小さく首を横に振った。
「これ、結構アルコール度数高いみたいです。リアムさん、あまり得意じゃない味かも」
何を言いだすのだとリアムは微かに眉を顰めたが、外交官が僅かにたじろいだように肩を揺らすのを、目の端で認めた。だから「そうだな」と素直に頷き、匙を置いた。
それが、外交の場でのできごと。帰りの馬車の中であれはどういう意味だったのかと問い詰めると、クロノアはかなり躊躇った末に「ブランデーから毒の味がした」と白状した。
「何故お前は平気なのかと訊ねたら、『傭兵時代に慣らした』のだと言っていた。一体、アイツはどうなっているんだ」
話の途中から苦い顔をし始めた二人を見やり、リアムは目を細める。「まさかお前らも……」という呟きには、思い切り首を振って否定された。
「ほら、クロノアさんの身体については説明したじゃないですか。猫の遺伝子を混ぜられた影響か、ネギ類みたいな猫には毒になる食材に忌避感を示すようになったって」
この国に落ち着いて詳しく検査をした結果、結局は別に毒になっていなかったと分かったものの、それらを苦手と感じる舌は残ったままだ。
「クロノアさん、甘味はむしろ好物にあげる人ですからね」
その心と身体の乖離もまた、嘗て心と記憶を壊したきっかけとなってしまったのだろうけど。
「チョコレートとかを食べても平気な身体にするためにって……」
「お前たちは知っていたのか?」
「……知りませんでした」
ある国の隠密部隊として働く青年と偶然知り合い、そこで毒耐性について聞きかじったクロノアが、ぺいんとたちに内緒にしたまま独学で始めたことだった。毒耐性があれば食べられなくなった食材を、また食べられるようになるかもしれない――それだけでなく、仲間を守る盾になれるかもしれない。そう考えたクロノアは毒を身体に慣らすために、少量の毒を毎日服用するようになった――傭兵としてそういった地域を渡り歩いて生活をしていたから、入手には困らなかったろう。元々我慢強い性質で滅多に弱音も吐かないクロノアは、三人の誰にも怪しまれることなく毒を飲み続け、あるとき唐突に倒れた。
「……倒れた、のか?」
「ええ。顔色があまりにも悪かったもんで、丁度立ち寄っていた街の診療所に駆け込んで……そこで漸く、俺たちはあの人がやっていたことを知りました」
クロノアの顔を見た途端に表情を険しくした医師には、一通りの処置が終わった後、厳しく言われてしまった。……まぁそれも、あまりにもぺいんとたちが狼狽えていたものだから、事情をさっぱり理解していないと察し、すぐに口調を和らげてくれたが。
その医師曰く、クロノアは長期的に毒を摂取していた形跡があるらしい。今回はまだ体調を崩すだけで済んだが、こんな生活を続けていては命が幾つあっても足りない。君たちがどんな理由で旅を続けているかは分からないが、思うところがあるのならばしっかりと話をしなさい――最後にそう締めくくって、医師は部屋を四人だけにしてくれた。
「……話して、納得したのか、アイツは」
「納得したというか、させたというか……」
眉を顰めるリアムへ、トラゾーは肩を竦めた。
薬品戸棚を開き、しにがみは中に並んだ瓶を一つ手に取る。
「渡していた解毒薬は、もうなくなったんですか?」
「前に似た味のを食べたときと同じやつを飲んではみたんだ。若干効きが悪いから、特別な調合をしたものかも」
そう言いながら、回転いすに座ったクロノアはポケットから黒い液体の入った小瓶を取り出した。それを受け取ったしにがみは、トロリと粘性のある液体を電灯へ透かす。
「じゃあ、ちゃっちゃと作っちゃいますね」
「いつもありがとう、しにがみくん」
クロノアの言葉に、少々照れたような顔をしながら、しにがみは作業するための机へ向かった。
しにがみが深い医療知識を持っているのは、とある街で出会った医師がきっかけだった。
――毒を解毒する身体など、作れる筈はない。
知らなかったとはいえ、みすみす仲間の無茶を見過ごしたしにがみたちへ、かけられた言葉は厳しいものだった。
――少量の毒は、排出も分解もされず体内に蓄積される。そうして、いつか致死量に達してしまうのだ。そういう手法で起こった事件は、幾つもある。『毒に慣れた』というのは、毒そのものではなく『毒による痛みや苦しみに慣れた』と言っているに過ぎないのだよ。
ならば、としにがみは立ち上がり、医師を追いかけたのだ。彼の身体に蓄積された毒を無毒化できる薬を作れるだけの、知識と技術を教えてくれと。彼が何度も毒を飲み、その苦しみを身の内に押し込めようとするのなら、その姿が保てるように自分が解毒をしてやるのだと。真っ直ぐ見上げたアメジストの瞳に、医師も本気を悟ってくれたのだろう。短い期間ではあるが、クロノアが回復するまでの間、その医師は伝えられる限りの医療知識をしにがみへ授けてくれた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
既に調合済みのレシピを少し弄れば良かったので、時間はかからない。しにがみが渡した薬包紙を傾けて粉を口に含むと、クロノアは白湯を一気に流し込んだ。
「しにがみくんはさすがだな」
「だからって無茶はし過ぎないでくださいよ」
クロノアはクスクス笑うだけだ。しにがみはムッと眉を寄せた。
クロノアは三人を守るための盾になろうとして、その手段の一つに服毒を選んだ。ならばしにがみはその盾すら守ってみせる。彼の――いや、他の二人も含めた仲間たちの強情さは、しにがみもよく知っているのだから。
「取敢えず、多分あるだろうお説教は覚悟しておいてくださいよ」
「え、まだあるのか……」
馬車の中でもねちねちと小言を言われたのに、とクロノアはぼやく。当たり前だろう、あと三人、小言を言いたい人間が控えているのだから。
■入らなかった裏設定
・しにがみの医療の師となった医師はブラッドリー医師。四人が街を離れたあと、戦争の気配を察して街を出て、今の国に行きつく。元々、リアムが幼い頃の主治医だったが、軍医として従軍したときに、いろいろあって移動が不便となり、その街に居を構えていた。
・クロノアに毒耐性について教えたのは、W.R.D国の破壊工作員。外資系も、毒の調達云々に関わっている。(人選は単に書き手の好みなだけ)