EP3-28.30

まずいことになった。内心苦く顔を歪めながら、クロノアは粛々とスティーブの後をついて行った。6番ことしにがみが地下で身動きできなくなり、脱走したとみなされてしまった。その居場所を隠しているのではないかと、問い詰められたのだ。
「本当に、知らないんだな」
「ええ」
道中も何度か聞かれたことを繰り返されながら、クロノアはゴルゴンの部屋へと足を踏み入れる。ガチャリと重々しい施錠音が、クロノアの神経をひりつかせる。スティーブは気にした様子もなく、「それで」と口火を切った。
「あそこで何をしていたんだ? 今は刑務作業中だろ?」
「……具体的な刑務内容を聞いていなかったので、屋上プールと三階の清掃をしようと思いました」
「そうか……」
「というか、ここはゴルゴン様のお部屋では? どうしてスティーブ看守が鍵を……」
「そんなことはどうだっていいんだ」
スティーブらしからぬ強い口調が、クロノアの言葉を遮る。「もしや」と胸中に浮かんでいたクロノアの予想を裏付けるように、目前の男の姿がベリッと布を剥がすように変化していく。
「ゴルゴン、様……」
「もう一度聞くぞ、9番――あそこで、何をしていた」
朝から様子がおかしいと思っていたが、やはりこのスティーブは道化師の変装だったのか。ここで少しでも道化師の意識を引いて、ぺいんとたちの行動が自由になれば。
「……ゴルゴン様のお使いを、していました。エメラルドが、あったので」
見つけて以来ずっと持っていたエメラルドを、証拠とばかりに差し出す。ゴルゴンはしかしそれを一瞥しただけで受け取らず、ジロリとした視線をクロノアへと向けた。
「お前、6番の居場所を知っていて隠しているわけではないのだな?」
「それは、はい。最後に見たのは、地下一階……牢屋のところでした」
「何故6番がいなくなる」
強い口調で訊ねながら、ゴルゴンは部屋の中を歩き回るように動く。その背中を目で追いながら、クロノアは言葉を濁した。
「さあ……」
「ワシは気が短いんだ。奴には何回も裏切られた。ただではすません」
「そう、なんですか……」
これはいよいよ、しにがみを早いところ救出する必要がある。ただでさえ彼はゴルゴンの神経を逆なでする言動をしていたが、これ以上付け入る隙を見せては今度こそ即処刑になってしまう。
そんなことをクロノアが考えていると、いつの間にかゴルゴンが目の前で立ち止まっていた。
「時に9番……ちょっとこれを見てくれるか」
ビクリと肩を揺らしたクロノアへ、ゴルゴンは後ろ手に組んでいた手をほどいてそこに握っていたものを差し出す。言われた通りそちらへ視線をやったクロノアは、ヒュ、と息を飲んだ。
「それは……」
ランタンの中で揺らめく青が、瞳の中へとぼんやり映り込む。
ブツ、ン。

ガシャン、とガラスの割れる音で我に返った。ずっと沈んでいた暗い夜の海から、突然引き上げられたような感覚。辺りに落ちる照明の眩しさに眩暈がして、クロノアは顔へ手をやって膝をついてしまったほどだ。
泣きじゃくるしにがみや、興奮して平手で肩を叩いて来るぺいんとたちの話ではあまり要領を得なかった。しかし舞台上に散らばる矢や、自身の足元に落ちていた弓から推測するに、自分はまんまと敵に利用されていたようだ。
これ以上、自分のせいで仲間を危険に晒すことはできない。高笑いする道化師が、体内に爆弾を仕掛けたと告げた時、クロノアの脳裏に過ったのはそれだった。
「俺は道化師を追う。どうせなら、アイツを巻き込んで爆発してやる」
「そんな! この船の医務室にある機械を使えば、きっと爆弾を取り除ける筈です!」
「そのせいで、脱出が遅れたらどうする」
クロノアのことにかまけて脱出が遅れ、道化師の手で殺されてしまう可能性もある。
脱獄のためにと道化師の思惑に乗り、幾度かぺいんとたちを傷つけてしまった。そればかりか、敵に利用されて弓まで引いたのだ。これ以上、彼らを巻き込むわけにはいかない。
「ぺいんととしにがみくんは、早くリアム看守の部屋へ行ってエリトラを手に入れろ。俺のことは気にしなくていい。どうせ自業自得だ」
「そんなことできません!」
「そうですよ! 爆弾を仕掛けられたのだって、あのとき僕らを逃がすために殿を務めてくれたからじゃないですか!」
「俺の力不足の結果だよ」
クロノアはチラリと、しにがみの持っている時計を見やった。道化師は、三十分で爆発すると言っていた。ここで問答しているうちに時間が来てしまえば、二人を巻き込んでしまう。クロノアはリアムの遺体の近くで膝をつき、一度手を合わせると彼の懐を探った。彼が言っていた赤い鍵を見つけると、まだ立ち尽くしたままのぺいんとの手に、それを握らせる。
「頼んだぞ、ぺいんと」
そう言って手を離そうとして――逆に、強く手首を掴まれた。
このまま舞台を去って道化師を探そうと思っていたクロノアは、顔を歪める。
「ぺいんと、手を、」
「離しません」
逃がしはしまいと言いたげにクロノアの手首を掴み、ぺいんとはクロノアを見つめた。その真っ直ぐな瞳に、クロノアは思わず気圧される。
「クロノアさん……震えているじゃないですか」
「!」
ぐっと堪えていたつもりだったが、洞察力の鋭い彼相手には、隠しきれていなかったようだ。
「……そんなことないよ」
「いいや、俺の洞察力を舐めないでください」
ハッとしたような顔をして、しにがみももう片方の腕にギュッと抱き着いて来る。
「クロノアさんは、強い人です……けど、そんなクロノアさんだって怖いことはある筈なんです。死を目前にして怖がらない人間なんて、いないんですよ」
「……っ」
「そうですね……僕だって怖いもん」
「でも、俺は……」
「最年長だから、武術の心得があるから、いつも俺たちより前に出て守ってくれていたんですよね。今はトラゾーがいないから、戦えない俺たちを特に気遣ってくれて……確かに俺たちは戦闘に対して無力です。けど、そんな俺たちでも少しはクロノアさんの力になれませんか?」
クロノアは下唇を噛みしめた。
「クロノアさん……僕はすぐに言っちゃって、時々申し訳ないなって思うんです……でも、だからこそ、こんなときはクロノアさんからも聞きたいって思う言葉があるんですよ」
しにがみとぺいんとの視線が痛い、痛くて、じわじわと目の奥が熱くなる。ピクリと腕を動かそうとしたが、しにがみに捕まれて顔を覆うことができなかった。視界がぼやける。あたりの風景がハッキリしなくなったが、ずっと暗闇の中にいたときとは違う、暖かさがあった。
「……た、」
ポロリと、口から言葉が零れる。頬に何かが触れて、煩わしい。それでも、心地よいと感じてしまうのは、何故だろう。
「……助けて、くれ」
ひたりと、少し冷たくなった頬にしにがみが手を伸ばし、濡れていたそこをそっと撫でた。ぺいんともニヤリと笑い、ドンと自分の胸を叩く。
「任せてください!」
クロノアの喉が詰まり、彼はそれ以上立っていられなくなって膝をついた。
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