花火の見えない部屋
遠くで、火花の弾ける音がする。
閉じたカーテンの隙間から零れる青や緑の光をぼうっと見やっていたセトは、ぎし、と鳴ったベッドに小さく息を詰めた。視線をそちらへやれば、この部屋の扉を施錠してきたカノが、片手片膝をついてベッドの縁に乗り上げている。彼はそのまま四つん這いで、壁に凭れるセトの30センチ離れたところへと腰を下ろした。
交わるのは、蜂蜜とミルクティーの色した瞳。今は薄暗い室内のため、その鮮やかさは欠けている。それでもセトには、ミルクティーの中にとろりと溶け込んだ情欲の色が、鮮明に見えた。そしてカノもまた、この蜂蜜に潜むその色を見つけているのだろう。
セトが膝に乗せていた手を退かすと、それが合図とでも言うようにカノは手をついて身を乗り出した。急に縮まった距離に、双方文句を言うこともせず、腕を伸ばして引き寄せあう。は、とどちらからともなく溢した吐息が、混じり合って生温い室温に溶けた。
「……クーラーつける?」
そのままベッドに倒れこんだセトの、薄ら汗ばんだ前髪を掬って、カノはポツリと訊ねた。各言う彼の肌着も、蒸し暑さによってペタリと貼りついて少々不快だった。右に向けていた首を回してカノを見上げ、セトは小さく頷いた。彼の顔の横に手をついたまま、カノは枕元に置いてあるリモコンを取り上げた。
ピピ、ゴウンゴウン―――無機質な機械音がして、涼やかな風が固まり切った温い空気を押し流す。用済みのリモコンを足元へ放り、カノはセトが顔横へ無造作に転がしていた手に、己の指を絡めた。セトもしっかりと握り返して、こちらを覗きこむ彼の瞳を見つめ返す。ふ、と柔らかく微笑んで、カノは身体を更に落とした。
初めは、触れるだけ。それから互いに食むように、少し開いて。セトが熱っぽい吐息を溢すと、それを呑み込むようにカノは唇を深く重ねた。ぴちゃ、という微かな水音は、遠くで弾ける花火の音にかき消される。ざらついた表面を擦りつけるように絡めあい、時折角度を変えて。貪りあう、という表現が、唐突にセトの脳裏に浮かび上がった。
くちゅり、と音を立てて銀色の糸が離れる二人を繋ぐ。セトが詰めていた息を吐くと、それはぷつりと切れた。息苦しさか、はたまた別の理由からか赤らむセトの頬に軽くキスをして、カノは彼の肢体を隠すツナギに手をかけた。
ジ、ジジ。ゆっくりと、音を響かせるようにチャックを下ろす。もったいぶるようなその手つきに、セトはジロリとカノを睨んだ。けれど先ほどのキスの名残で潤む瞳では迫力に乏しく、カノはニコリと笑みを返してから一息にチャックを引いた。
ひたり、と腹部から胸部へかけてカノの低体温な手が滑り上がる。一緒にタンクトップも巻き上げたから、セトの日に焼けていない白い肌がゆっくりと姿を現した。
「……っ」
カノの指が乳首を掠め、セトは小さく息を詰める。彼がそれを隠していたかは知らぬが、目敏いカノが見逃す筈もなく、鎖骨まで上がった手を少し下ろしてもう一度そこに触れた。中指で弾いて、人差し指で押し潰す。ついでに爪で引っ掻けば、セトは慌てて空いている手の甲を噛み、せり上がった声を喉奥へと押し込んだ。
「何で我慢するのさ」
今日、この建物にいるのはカノとセトの二人きりだ。それでも恥ずかしいものは恥ずかしいのだと、先ほどよりも赤味を増した頬でセトは答えた。やはり、明かりをつけておけば良かったかもしれない。薄暗い部屋の中、色彩を大分失ったセトの顔を見つめ、カノはぼんやりとそんなことを考えた。しかしそれを相手に悟らせることはせず、カノはそっと上体を倒してセトの胸部へ顔を近づけた。チロリと口端から赤が覗き、ぷくりと頭を持ち上げ始めるそれを弾く。
「ひ、ぅ」
上擦った声が零れ落ちたのは一瞬で、しかしセトはすぐさま手で口を覆った。本当は両手でしっかりと塞ぎたいが、生憎と片方はカノによってシーツに縫い付けられている。セトがせり上がる声を抑え込もうとすれば、自然とカノの手の甲に爪が食い込む。カノはそれを気にせず、更に強く手を握りしめた。
柔らかい皮膚はざらりとした舌に嬲られれば嬲られただけ固さを増し、ピンと立ち上がる。それは触れてすらいないもう一方も同じであった。それを横目で捉えつつ、カノは口に含んでいた乳首に歯を立てた。また、セトの喉奥から飲み込みきれなかった声が溢れ落ちる。
カノが小さく笑んで身体を起すと、耳も頬も真っ赤にしたセトが、口元を手で覆ったままギロリと睨みつけてきた。それでも蜂蜜色の瞳は溶けるように潤んでいて、舐めたら本当に甘そうだと、カノはぼんやりと思う。一度涙も睫毛も一緒に舐めたら酷く怒られたので、実行には移さない。代わりに瞼へキスを一つ落として、カノはセトの腰骨を撫でた。
ひくり、と喉仏と一緒に腰が跳ねる。セトがそれを恥じ入るようにさっと顔を背けるので、カノは思わずククと笑い声を落とした。
「カノ」
「ごめんごめん」
気分を害したとでも言いたげにセトはむくれ、カノはそれを宥めるようにヒラリと手を振った。それから一呼吸置き、カノは赤い頬をスルリと撫でる。
「―――続き、して良い?」
セトは優しく頬を撫でるカノの手に自分のそれを重ね、コクリと頷いた。
ず、ずず。シーツが波打ち、歪な模様が描かれては消えていく。粘りを持った水音に混じって、甘い呻きが断続的に部屋に響いた。―――遠くで、花火が弾く。
「……ぅく……っん、あ」
「……っ」
突き上げる腰を止め、カノはしゅるりと絡めていた指を解く。惜しむような声がセトから零れ、カノは彼を安心させるように小さく笑んだ。カノは丸めていた背を伸ばし、唯一纏っていた服から首と腕を抜く。冷房を効かせても乾かし切れなかった汗が飛び、カーテンを閉じた窓の向こうから射し入る僅かな光源によって煌めいた。
脱いだ服をセトの服やズボンの固まるベッドの端へ放り、カノは指を絡め直す。薄いが、筋肉は確かにある身体。セトはぼんやりとした視線でそれを見つめ、徐に伸ばした手で撫で上げた。撫でた、というより触ったという方が正しいか。ぺたぺたと汗ばんだ肌の上を動く手にむず痒さを感じ、カノは僅かに口元を歪めた。
「くすぐったいよ」
「……カノはいつもやってるっす」
「セトは感じてるんでしょ?」
ほら、もう止めて。セトの手を掴み、カノはそれをシーツへと縫い付ける。セトは特に抵抗せず、落ちてくる唇を大人しく受け止めた。
じゅる、と唾を啜りあげると同時に、カノは腰を突き上げる。セトの喉からせり上がった嬌声は、出口を見つけられず彷徨って口腔内を反響した。その声すら飲み込むように、カノは深く舌を伸ばし入れる。セトの顔の横に肘をつくと、芯を持った中心が更に深くセトの胎を抉り、また甘い鳴声が舌を痺らせた。
重なり合った素肌の間に、じわりとした汗が浮かぶ。するりと持ち上げた足をカノの腰に絡め、セトは彼の身体を引き寄せた。薄く開いた視界で、目を固く瞑りキスに溺れる様子を捉え、セトのその行動が無意識であろうとカノはぼんやり思う。
セトは手を繋ぐのが好きだ。情事の最中は、常に指を絡めたがる。カノも嫌いではないので、たまに快楽で突っ張る彼の指を強く握り返した。それが最後の理性を繋ぐ糸と言いたげに、セトも握り返してくる。
シーツの浪間に手を縫いとめて、ただ只管に突き上げる。身体の表面だけでなく胎内における性感帯も把握してあるから、カノはそこだけを狙った。ゾクゾクと下から上へかけて駆け昇る快感に身を震わせながら、セトは引っ切り無しに声を漏らす。それによってカノは背筋を撫でる快感を得て、更に強く腰を打ち付けた。
留まらない快楽のサイクル。少しずつ声を抑えるのを忘れて涎と共に嬌声を垂れ流していくセトの様子に、カノはペロリと舌舐めずりをした。蜂蜜色はすっかりドロドロに溶けて、このまま流れ落ちてしまいそう。その瞳と同じように、今彼の頭の中も快楽でドロドロなのだろうか。そうであれば良いのに、とこの状況を何処からか俯瞰する自分がこっそりと呟く。カノはバードキスをして、セトにぐっと身を近づけた。
限界が近いのか、嬌声が大きさを増す。カノは奥歯を噛みしめ、より強く腰を打ち付けた。ぐん、とセトは喉仏を晒し、大きく喘ぐ。熱に浮かされていると自覚しつつ、カノはぼんやりとしたまま目の前に晒されたそこに歯を立てた。
「ひ、ぁ―――……っ!」
「……ぅ」
ぎゅ、と一際強く足と指が絡まる。カノは咄嗟に奥歯を噛みしめ、飛びそうになる意識を耐えた。視界が、白く瞬く。遠くで響く花火の音に重なって、どぷりと芯も弾けた。
ずるり、と腰に絡みついていた足がシーツへ転がる。絡めた指はそのままに、カノは身体を起した。涼やかな風がそよぐ室内に、熱い吐息が零れ落ちる。湿気を含んだそれは青臭い香りと混ざり合って霧散し、薄暗い周囲に溶けていった。
べとりと腹に張りつく白濁を拭うのも煩わしくて、カノはセトの胎内から身を引くとそのまま彼の傍らに倒れこんだ。ずるりと芯が抜ける感覚に詰めていた息を吐き、セトは首だけを動かして傍らのカノを見やる。
「……眠い」
「終わって第一声がそれ?」
既に半分ほど落ちている瞼に、カノはヒクリと頬を引き攣らせた。セトがそのまま目を閉じるので、カノも諦めの吐息を溢して薄い毛布へ腕を伸ばす。クーラーの温度設定を少し高めに直し、汚れた下半身を隠すように毛布を広げる。小さな寝息を溢すセトの手に指を絡めると、指先に唇を落として、カノもそっと目を閉じた。
遠くで花火の咲く音を聞きながら。