03-2#鶏口牛後と行雲流水

劉偉は、東京駅の隅でポツンと佇んでいた。
高校の春季休暇を利用して一時帰国し、本日、日本に戻って来たばかりである。普段なら成田空港から東北新幹線まで真っ直ぐ向かうが、ちょっとした用事のため途中下車した次第だ。あまり足を踏み入れることのない、入り組んだ地下通路から地上へ出た先で、劉の足は止まっている。
正直に言う、道に迷ったのである。
(アツシのお願いなんか、聞くんじゃなかった……)
こちらの帰省日程を知るや否や、頼みたいことがあると小さなメモを押し付けてきた後輩の顔を思い浮かべ、劉は苦く顔を顰めた。
陽泉のダブルエースの片割れである後輩は、図体と同じくらい年上に対する態度が大きい。それというのも、五人兄弟の末っ子として甘やかされたためだろうと劉は考えている。弟が四人いる五人兄弟の長男である劉だからこそ、末っ子に対する上の兄たちの態度が容易に想像できた。まぁ、ダブルエースのもう片方である同輩の甘やかしも、大いに要因となっていることも否めないが。
そんな、プライベートでも部活でも末っ子扱いされる後輩は、寮へ提出する劉の春期休暇の予定表を横から覗き込むと、「その頃に東京に行くなら、ついでにお願いしたいことがあるんだけど」と日本の縦社会にしては緩い物言いしてきた。劉は特に気にしなかったが、監督や元副主将が聞いていたら手が出そうな態度である。
依頼内容は、『店舗限定のスイーツをお土産に買ってくること』。紫原の帰省スケジュールでは期間が合わず、兄姉に頼もうと思ったが何れも職場の新年度の準備で多忙のため断られたという。
劉とて、その限定スイーツとやらに興味が湧かなかったわけではない。極端に甘いものは好まないが、祖国にいる家族への土産へ丁度良いと思ったのだ。まぁ、タイミングの関係で空輸することになるだろうが。
(しかし、これじゃ分からねぇな)
紫原から受け取った手書きのメモと辺りの景色を見比べ、劉は吐息を漏らした。劉の祖国も中々に雑多な景色はあるが、そこは慣れのお陰で迷うことはない。日本に来てからここ二年は秋田ののどかな景色しか見ていなかったため、ビル群の反射する日光は眩しさすら覚えた。
「あ」
ぼんやりとしていたわけではないが、ぼうっと立ち尽くしていたのは事実。劉は足早に歩く肩の一つと腕をぶつけてしまい、メモを取り落とした。劉の掌ほどの大きさの紙切れは、コンクリートの床をするすると滑って行く。
劉は慌てて足を動かしたが、2mオーバーの身体を滑り込ませる隙間は、混み始めた構内で中々見つからず、たたらを踏んでしまう。「スミマセン」と呟きながらメモの消えた方へ視線を走らせた劉は、思わず足を止めた。
一度踏まれてしまったのだろう、先ほどはなかった土色の模様をつけたメモが、劉の眼前に突きつけられた。
「気を付けろ」
淡々とした声でそう言ったのは、黒い、生気のない瞳をした男だった。身長は劉には及ばないものの、周囲から頭一つ抜きんでている。ネクタイを締めた服装は、どこかの制服だろうか。彼の風貌――特に瞳の様子――に少々驚いて、劉はすぐに返事をすることができなかった。
彼は能面のような顔に僅かに怪訝な色を浮かべる。
「……Here you are」
劉の風貌で日本人ではないと察し、日本語が通じていないと思ったらしい。
「Do you understand English? May I help you?」
「Thank you……日本語、分かる。英語もそこそこ。助かった、アル」
男の考えを察した劉は、慌てて手を振る。それから、差し出されたメモを受け取った。
「そうか」
微かに眉を顰めただけで、男はあっさりと頷く。
「メモを勝手に見てしまったが、近くの洋菓子店の地図だな。迷子か?」
「……まあ、そうなるアルな」
劉は思わず言葉を濁した。初対面の同年代と思しき男は、劉の苦い表情を意に介した様子もなく、自身のスマホをチラリと見やった。
その横顔に、劉は既視感を覚える。どこかで、見たような顔だ。陽泉ではない、と思う。かといって、この国に来てまだ2年しか経っていない劉に、他校の友人などいるわけもない。そんなことを劉がうんうん考えていると、男がパッと顔を上げた。
「なんだったら、」
「どこかで、会ったことあるか?」
何かを提案しようとしていた男は、口を開いたまま劉を見つめた。それから眉間へ皺を刻み、怪しむような視線を劉に向ける。
「……マルチか?」
「まるち?」
聞き慣れない単語である。またTPOのような和製英語だろうか。劉の怪訝そうな顔を見て、男はまだ顔を顰めたまま「いや、いい」と首を振った。
「あなたの顔、見覚えがあると思った。ワタシ、まだこちらの国に友人は多くないから、試合で会ったのかと思って」
「試合?」
「バスケ。ワタシ、バスケ留学の学生」
帰省から戻るところだったから、ユニフォームやバッシュは手元にない。代わりに、アメリカ帰りの同輩に無理やり撮影された練習試合後のツーショットをスマホから取り出して、画面を男へ見せた。
男はそれをマジマジと見て「陽泉か」と呟いた。ユニフォームのローマ字をそのまま読んだ可能性もあったが、次の彼の言葉でそうでないことが分かった。
「キセキの世代の、紫原が進学したところだったか」
「あ、それ後輩」
そこまで把握しているなら、バスケ部員であることは間違いなさそうだ。一度練習試合をした相手だったろうか、と劉はここ最近の試合の記憶を探る。
「ああ、多分試合はしたことない。陽泉は秋田だろ。ウチは東京。残念ながら、WCも予選落ちだ」
「そうだったアルか」
それなら尚更、劉でも見覚えがあるということは雑誌で取り上げられる程度には強豪なのかもしれない。しかし男は首を振った。
「ウチはある意味悪目立ちしているからな。東京の霧崎第一だ」
あ、と劉は声を漏らす。その名前だったら聞き覚えがある。荒木が一応と教えてくれた、東京の要注意チーム。同じ都内だったなら荒木自身が出向いてその性根を叩き直してやりたかった、と鼻息荒く語っていた、ラフプレーを多用する問題チームだ。
「俺はSFをしている。古橋だ」
成程、覚えがある筈である。万が一彼らが勝ち上がってきたら劉がマッチアップすることになる、同じポジションの選手だったのだから。
「……成程、全部スッキリ解決したアル」
「そうか」
劉が微妙な顔をしても、古橋はちっとも表情を動かさない。開き直っているような様子に、劉の頬がさらに引きつった。
「陽泉か。確かに、俺も見覚えがある。キセキの世代の進学校は、ウチのキャプテンが目を通しておけと言っていたからな」
「その言い方じゃ、言われなきゃ興味なくて調べることもしなかったみたいアル」
「まあ、そうだな」
サラリと言い切る古橋は、いっそ清々しい。劉は小さく吐息を漏らした。
「同じ学年で同じポジション、これも何かの縁アルな。劉偉アル。興味ないだろうけど」
「そうか」
一つ頷いた古橋は、少し視線を動かした。
「劉、良ければさっきの店を案内するが」
劉は思わず目を丸くして、古橋を見やった。古橋は相変わらず、光のない瞳を真っ直ぐこちらに向けている。
「次の用事まで、時間が空いている。あと、俺もその店には興味がある」
「……興味のないワタシと?」
古橋はパチリと瞬きをした。
「その考えはなかった」
成程、この男は真っ直ぐというより、本音と建て前がないだけだ。後輩エースも似たようなものだが、彼よりはサッパリとしているように感じるのは、同い年という先入観だからだろうか。
「有難く、お願いするアル」
「そうか」
古橋はズレた鞄の肩ひもをかけ直し、クイと指を動かした。そのまま歩き始める彼の後へ続いて、劉も足を動かす。
「ところで『アル』って口癖か?」
「部活の副主将が、はやりだって言ってた」
「……成程」
少し返事に間があった。劉が少し視線を落とすと、隣に並んだ古橋が苦い物を噛んだように口端を歪めていた。
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