03-1#鷲の目の懸念事項

新入部員が加入してから一か月経った頃。
伊月俊はその日、絶妙に不調だった。一見しては分からないが、ちょっとした動きに精彩を欠き、提出プリントにはケアレスミスを繰り返す始末。「伊月くんもそんなことあるんだ」と呟くクラスメイトに苦笑いを溢すようになってもまだ自覚なかった不調に気付かせたのは、いつもは厳しいキャプテンからの気遣いの言葉だ。
「何か悩みでもあるのかよ?」
部活の休憩中、ドリンクを手渡された伊月は、少し言葉に詰まった。
「悩みというか……」
汗を拭くために口元へタオルをやり、伊月は視線を動かす。彼の視線の先を察したのか分からないが、日向は小さく息を吐いて腰に手をやった。
「何にせよ、しっかり頼むぜ。木吉が抜けて新体制になったとは言え、メンバー的には去年のIH前に戻っただけだ。やっぱり木吉がいなきゃ、なんて周りに言わせんなよ」
「……分かっているよ」
伊月は苦笑を溢した。その言葉で何より悔しいのは、日向だろうに。よし、と短く気合を入れて、伊月は腰を持ち上げた。


「伊月先輩」
「よ」
声をかけたのは、伊月の方だ。土曜練終了後、日向たちと別れてフラリと立ち寄ったファストフード店。そこの窓際の席で、一人ストローを齧る後輩の姿を見つけたから。
許可を得てから向かいに座り、伊月は自分が注文したコーヒーゼリーをクラッシュしたドリンクにストローをさす。
暫く無言でお互いドリンクを飲んでいた。口火を切ったのは、黒子の方だった。
「……僕に、何かお話があったのでは?」
日向でさえ気が付いたのだ、人間観察が趣味と公言する彼自身が、伊月の視線に気づかないわけがない。
悩み、と言うほどでもないが、キャプテンである同輩にああ言われてしまうほど動きに精彩を欠いてしまっていたのなら、このままにしてはいけないだろう。
「最近どうだ?」
「はあ。まあ、悪くはないと思います」
「あー……悪い、ハッキリ聞くわ」
伊月は苦みの強いゼリーを一欠けら噛んで飲み込み、背もたれに背をつけた。
「最近、他校生とよく遊んでいるだろ?」
ズ、と黒子のストローが鳴る。黒子はストローから口を離し、カップをトレイに置いた。それから真っ直ぐ伊月を見つめる。
「古橋さんのこと、ですね」
人は、やましいことがある場合視線を外しやすい。人間観察を趣味と公言し、人の細かい所作について造詣が深い黒子のことだから、そんな隙を見せないよう逸らしていないとも考えられる。が、この妙に男前な後輩が、そんなチャチな性格でないことを、伊月はよく知っていた。
「まあ、ね。この前、お前と古橋が一緒にいるところを見つけてさ」
だから伊月も、黒子から視線を逸らさない。
「……僕と古橋さんを見つけられたということは、伊月先輩なら近くにいた黛さんや高尾くんのことも見つけられていた筈です」
静かな、声だった。苛立っている様子も、意地悪をされて拗ねている様子も感じられない。
伊月は小さく笑みを零して、自分のドリンクを取り上げた。
「悪かったよ、意地の悪いことを言った。黒子が最近、高尾たちと仲良くしていることは聞いてたし、まぁその繋がりで顔を合わせたのかなとは思ってた」
別に、この後輩が彼らに感化されてしまったとか、自分たち世代の仇を討つために闇討ちしようとしているとか、そんな心配をしているわけではない。
「後輩の交友関係に口だすのも、先輩としてどうかと思ったけどさ。相手が相手だから、一応確認しておこうかなって」
他の2年には話していない。日向は特に、この話題については頭に血が上りやすいだろうから、彼に比べたら冷静な自分が確認して、必要があれば報告すれば良いと思ったのだ。
黒子は視線を動かさないまま、口をゆっくりと開いた。
「……特に僕から彼と仲を深めようと思って近づいたわけじゃないです。諏佐さんとか紫原くんとか、いろんな人の袖が触れ合った結果みたいなもので」
「……そ」
「その流れで、顔を合わせることもあります。先輩方が良い気持ちがしないと言うのなら、僕は素直にそれを受け入れます」
カランと、傾けたカップの中で氷が音を立てる。それをトレイに戻し、伊月は机に腕をついた。
「確認するけど、決して脅されたり脅したり、そういうことはないんだな?」
「ええ。先輩の懸念していることは何となく分かりますが、断じてありません」
ただ明かりを反射するばかりのように見えるビイドロの瞳が、芯の方に宿したものをこちらに覗かせる。それをじっと見つめていた伊月は、フッと力を抜いて身を引いた。
「そうか」
あまりにもあっさりと伊月が身を引いたからか、黒子は少々拍子抜けしたように相貌を崩した。
「それだけ、ですか?」
「後輩の交友関係に先輩が口だすのは、どうかと思ってるって言ったろ。本人の意思なら俺はそれを尊重するよ。……まぁ、日向たちには、もう暫く隠しておいた方がいいかもしれないけど」
伊月が付け加えると、「それはまぁ」と黒子も言葉を濁した。彼も、それは感じていたことらしい。
「それに、俺としては古橋が、一番危険性が少ないと思っている」
霧崎は、元々コート外で妨害をするようなチームではない。その分、公式試合でも構わず手を出してくる卑怯さが際立つのだ。古橋は、そうと決めたときに拳を振るうことを躊躇わないが、それ以外では全くの無関心。つまり、引き際を間違えなければ暴力沙汰になることはない。気まぐれな原や短絡的な山崎より、その危険性は低いと、伊月は考えている。因みに瀬戸と花宮はまた別の話だ。あの知能犯2人については、伊月も考えが及ばない。できれば、この2人については古橋繋がりとしても関わってほしくないところである。
黒子はパチリと一つ瞬きして、そっと頭を下げた。
「ありがとうございます、伊月先輩」
「礼を言われるようなことじゃないって」
「いいえ。……心のどこかで、誠凛のみなさんを裏切っているような後ろめたさがあったんです」
膝の上に乗った黒子の手が、キュッと握られる。
「紫原くんが教えてくれたり、諏佐さんと話していたりする古橋さんは、先輩方から聞いた話と、実際ゲームで見た姿から僕が想像していた古橋さんと、どこか違って」
それはそうだろう。日向の語った過去はどこまでも彼目線でしかなく、その後補足した相田たちの説明も然り。それを受けてから実際目にした姿形の解釈は、どうしても事前知識に引っ張られてしまう。バスケの試合で触れる姿と、コートを出てユニフォームを脱いだ姿とでは、受け取る印象もガラリと変わりやすいものだ。伊月の目の前に座る後輩だって、コートの内と外では印象が変わる。
だから伊月は素直に「そりゃそうだろうなぁ」と呟いた。
また驚いたように、ビイドロの瞳が伊月を見つめる。苦笑を溢して、伊月は彼の額をコツンと叩いた。
「確かにバスケに青春は捧げているけど、コートの中の姿が全てじゃないもんなぁ」
そのまま頭をわしゃわしゃと撫でると、俯いた後輩はまた小さく礼を呟いた。
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