クラムボンの花壇#4
・かなり酷い捏造あり。


小学校の頃、中庭の隅に花壇があった。どこのクラスのものというわけではなく、そちらにマメだった用務員が季節の花を植えては世話をしていた小さな花壇だ。
その前でしゃがむ泥や油で染みのできた丸い背中の隣に、いつしか小さな背中が並ぶようになった。
理科の成績が良かったとか、特別草木の知識が深かったとか、そういうことはなかった。ただ、ほんの少しの気まぐれで花壇の前に並び、やがて用務員の手ほどきを受けて世話を手伝うようになるまで、そう時間はかからなかった。その用務員が、その年で退職していったことも理由の一つだったのかもしれない。
新しい用務員も花壇の世話をしていたが、結局はその背中が中学の制服を羽織るまで、殆どの世話はその児童が行っていた。そう、彼は世話を続けたのだ。例え、途中で花壇が踏み荒らされようと、雑草の区別なく芽を抜かれようと、泥沼もかくやというほど水浸しにされようと。
黒い瞳に荒れた花壇を一度映せばそれだけで、後は黙々と整備を続けていた。
その背中を、いつも図書館の窓から眺めていた。


黒子は再び、埃っぽいコンクリートの部屋で目を覚ました。打ち付けた窓の隙間から、陽の光が零れている。裸電球はいつの間にか切れていて、光源は窓のそれだけだった。殆ど窓の外の風景を確認できないので、朝日なのか昼の日光なのか判別できない。
「よく眠れたか?」
壁に凭れかかり、座る体勢で休んでいた黛が声をかける。黒子は、あの後一度意識を取り戻した伊月に抱き込まれる形で眠っていたため、少し起き上がることに苦労した。黒子が身じろいだので、伊月もそれに気が付いて目を開いた。
「おはよう。……でいいのか分からないな」
「おはようございます。あまり安眠とは言い難かったですね」
決して、身体が冷えないようにという先輩の気遣いを貶したわけではない。
黒子たちは入口から一番離れた角で集まって身体を休めていた。黛と同じように座って目を閉じていた諏佐も起きてきて、膝に乗せた高尾の顔を覗き込んでいる。
「熱は……少し下がったか。汗かいて冷えたかな」
「不衛生かもしれないが、起きたら練習着に着替えさせるか」
一度汗が渇いているから、少しはマシだろう。
「取敢えず夜は明けたみたいですね。……無断外泊になってしまいました」
「結構じゃねぇか。不審に思った家族が、警察に連絡してくれるだろ」
健全な高校生が一日連絡なしに消息不明になれば、すんなり捜索願は受理されるだろう。その点、一人暮らしの黛は発覚が遅れるし、大学生の諏佐はあまりまともに取り合ってくれない可能性すらある。四人とも同じ場所に閉じ込められたのは、そういう意味では幸いであった。
「家出とか思われませんかね……」
「ないこともないが……真面目な学生生活を送っていたなら、大丈夫じゃないか?」
年齢が上がるにつれ、自分の意思で行方をくらましたと邪推される可能性は高まる。だが、黒子も高尾も純粋なバスケ馬鹿だ。彼らの普段の学校生活は知らないが、早々悪い方にはとられないだろう。
「しかし腹が減ったな……」
伊月は、ぐるると鳴る腹を抑えながら呟く。
「お前、言葉にすると意識しちまうだろ」
「昨日の夜から食べてないしな……」
「さすがに食事配給はないですよね……あの口ぶりだと、餓死させるつもりかもしれませんし」
せめて水くらい、と黒子がぼやいたところで、ギィと扉が軋んだ。黒子は肩を飛び上がらせる。伊月が彼を壁際へ押しやり、黛が腰を浮かせて膝をついた。諏佐はまだ目覚めない高尾を、ジャケットをかけることで隠そうとする。
ゆっくりと開いた扉の隙間から、見える暗闇は昨晩よりも薄い。かといって全てが見えるわけでもない。目を凝らそうとする伊月の視界を遮るように、部屋を覗き込んだのは古橋だった。
「古橋、」
家庭教師を務める分、彼へかける情がこの場では一番強い諏佐が、ホッとしたように息を吐く。伊月としてはまだ警戒する相手でしかないようで、鋭い視線を向けている。古橋はチラリと辺りを探るように視線を動かし、音を立てないように部屋へと入った。
古橋は、手にペットボトルのお茶と何かが詰まったビニール袋を持っていた。彼は無言のまま、それらを部屋の中央へと置く。
「あ、あの……古橋、さん」
「……」
黒子の呼びかけに答えず、古橋はチラリと諏佐の方を一瞥する。正確には、諏佐の足元で眠っている高尾を、見たようだった。
「……何か、必要なものは?」
「え……」
「冷えピタと、消毒液、あと包帯もあると嬉しい」
戸惑う黒子の横から、黛が口を挟んだ。古橋はコクリと頷くと、入ってきたときと同じように静かに部屋を出て行った。
また扉が閉められ、施錠の音がする。
伊月は肩の力を抜き、息を吐いた。
「アイツ、何を考えて……」
「詳しいことは分からないが、」
古橋の置いて行ったペットボトルとビニール袋の中身を確認し、黛は小さく息を吐く。
「アイツなりに、何か考えているんだろうさ」
黛が広げたビニール袋の中身を覗き込み、伊月は目を見開く。エネルギーバーといった、日持ちする軽食が入っていたのだ。量はそれほど多くない。一人一本でも、一日か二日分といったところだ。ペットボトルも五〇〇ミリリットルが二本だけ。これが、彼の用意できる精一杯だったのだろう。
未開封のペットボトルを持って微妙な顔をしている伊月に苦笑しつつも、諏佐はもう一つ気にかかっていることがあった。
(古橋、昨日と服装が違っていた……)
肩口が広めの、ユニセックスタイプの服。諏佐が記憶している限り、彼があのようなタイプの服を着ていたことはない。あの服装は男の指示なのか、どうして着替えるに至ったのか。答えを出したくない疑問が、諏佐の心を靄となって渦巻いていた。

扉を閉めて、古橋はゆっくりと息を吐いた。ドアノブから手を離して、ポケットから鍵を取り出す。それをドアノブへ近づけようとして、古橋はその手を止めた。
「……」
暫く鍵と錆びたドアノブを見つめていると、背後から伸びて来た手が、古橋の手首をスルリと掴んだ。
「!」
「鍵、閉めないと」
ビクリと飛び上がりかける肩に、ズシリとした重みがかかる。それほど身長差のない男が、顎を乗せて来たのだ。それだけで硬直する手首からスルスルと指を伸ばして、男の手が古橋の手ごと鍵を掴む。古橋が動けないうちに、鍵が鍵穴に入ってゆっくりと回った。
が、ちゃん。
「お友達の様子、どうだった?」
鍵を閉めるとすぐに古橋の手から鍵を取り上げて、もう片方で手首を掴む。
「……友達じゃ、ない」
「そう……」
男がどこまで納得したのか、古橋には分からない。男はそれ以上何も言わず、古橋の手を強い力で引っ張った。少しよろめきながら、古橋は男に引っ張られるまま足を動かす。
古橋はじっと、男の背中を見つめた。身長は同じくらいだが、体格は男の方が小さい。あの部屋の鍵は、今なら男のポケットにあると分かる。ここで、男を行動不能にすれば――。
「っ」
掴まれた腕が、強く握られる。同時に全神経を刺すような痛みが走って、古橋は身体を硬直させた。ドクドクと血流が音を立て始める。男は前方を向いたまま、鼻歌でも歌うように古橋の名を呼んだ。
「次は、俺のお願い聞いてくれるよね?」
有無を言わせない、断定的な口調。
「……ああ」
ギ。古橋は二の腕に、爪を立てた。

「この窓枠取っ払えば脱出できるか?」
「だがこの建物の現在地が分からないと、すぐに捕まるのが落ちだ」
釘で打ち付けられた木の板を引っぺがそうとしていた黛は、諏佐の冷静な言葉に同意して手を離す。
「でも、都内ではある筈です」
そう言ったのは、伊月だ。
そもそも彼が捕まったのは、実行犯が落とした黒子の携帯がきっかけだった。不自然な落とし物は何か事件に巻き込まれたことを示していたと思った彼は、辺りを鷲の目を使いながら捜索。不審な車とそこに乗り込む人間を見つけ、できる限り追いかけた。一度は見失い、諦めかけていたとき、コンビニの駐車場で止まる件の車を見つけたのだ。僥倖だと思い、その車の内部を覗こうとしたところ、背後から襲われ、今に至る。
「思うに、俺が時間差でここへ連れて来られたのは、一度黒子たちを下ろした実行犯たちがコンビニへ行ったからでしょう。あの時点でまだ黒子たちが車に乗せられていたのなら、そうならない筈です」
「成程。コンビニから、伊月がその時間で追いつける程度の距離にこの建物があるってことか」
全くの県外、もしくは片道一時間以上かかる山奥という線は薄くなった。そうは言っても、風景が良く見えない上、外からの音が聞こえないことには、町中なのかも判別しがたい。車の駆動音が聞こえないということは人通りの少ない、もしくは一時間はかからないにしても山の中である可能性がある。もし山の中であった場合、詳しい場所が分からないまま飛び出しては遭難してしまうことだって考えられた。
「電車の音もしませんね……降旗くんだったら、電車の音で路線が分かったかもしれないのに」
「あのチワワか? 何アイツ、鉄オタなの?」
そもそも連絡がとれないのに、どうやって電車の音を聞かせるつもりなのか。黛は吐息を漏らして壁に背を凭れた。

次に扉が開いたのは、太陽の位置が変わって窓から零れる光が薄くなって、部屋に影が落ち始めた頃。パチンと音を立てて、裸電球に明かりが灯る。どうやら電源ボタンは室外にあったらしい。少し音がしてから、また扉が開き古橋が入って来た。
彼は黛の希望通り、包帯や消毒液と、追加の食糧と水を持ってきた。
「ありがとうございます」
大分熱が引いて身体を起こせるようになっていた高尾が、へにゃりと笑顔を浮かべる。古橋はチラリと視線を向けただけで、何も返答しなかった。
古橋の服装は、また変わっていた。身体のラインを消すような広い袖のシャツと、細見のズボン。いつもシンプルなTシャツとジーンズ姿の、古橋らしくない服装だ。
「古橋……お前は大丈夫なのか?」
諏佐の問に、古橋は小さく「まあ」と呟いた。
「まぁってお前、」
「おい」
少々苛立ったように、伊月は立ち上がると古橋の肩を掴んだ。黛と黒子が制止しようと立ち上がる。
その時、ギィと音を立てて扉が開いた。空気が張りつめる。それは、もはや条件反射だった。
黛はゴクリと唾を飲んで、黒子の肩を指で叩く。
「いつまで時間かけてんの?」
予想通り、顔を見せたのはあの男だった。男は扉を半開きにしたまま、部屋の中に入ると真っ直ぐ古橋の元まで足を進める。グイと彼の腕を男が掴もうとしたとき、
「!」
背後に体質と視線誘導を駆使して回り込んだ黛が、振りかぶった鞄を男の後頭部に叩きつけた。特に重い物を入れていたわけではないが、勢いをつければ体制を崩すことくらいできる。さらに黒子が背中にタックルし、地面へ押し倒す。驚いた古橋が伊月を巻き込んで尻餅をつく横で、黒子は全体重をかけて男の身体を抑え込んだ。
「黛さん、今のうちに、」
バチリ、と聞き覚えのある音が、振り返ろうとした黒子の耳に届く。
振り返って目を見開く黒子の前に、白い光を散らすスタンガンが突き付けられた。突然現れた影の向こうで、崩れ落ちる黛の姿を視界に収めながら、黒子は再び聞こえたバチリという音を最後に、意識を暗闇へと落とした。
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