センチネルバースネタ#ディスパイアルート
「マジで巻き込まれるとは思わなかった……」
「あの、呑気なこと言ってないで、手を伸ばしてもらって良いですか?」
せっつかれ、黛は背中側で固定された手を動かす。手首から親指の付け根近くまでがっちりロープが巻かれており、指は動かせるがこれ以上持ち上げることは難しい。正直つりそうだったし、うっ血にならないだろうかと心配にもなる。
黛と同じように固定された手を動かそうとしていた黒子も、難しいことを自覚して吐息を吐いた。背中合わせで身体を近づければ、片方だけでも拘束をとけるかと思ったが、そううまくはいかないようだ。
「な、なにしてるアルか!」
焦った劉の声が聞こえて、黛たちはそちらに顔を向けた。思わずぎょっと目を見張ってしまったのは、パタリとコンクリートに落ちた血を見つけたからだ。諏佐たちの制止を受けても表情筋一つ動かさず平然としているのは古橋で、無理やり引きちぎろうとしたのか彼の手首とそこに巻かれたロープが赤く染まっていた。
「これくらいならもう少し力を入れれば、」
「いい、いいから!」
「それ以上やると逆に手首を壊すぞ」
顔を真っ青にした樋口が言葉を遮り、心底心配したような顔で石田が手首を見やる。何とか立ち上がって室内をグルリと回っていた諏佐と小堀も、彼らの悲鳴に近い声を聴いて戻って来た。
他校の先輩の行動に引きながら、高尾は室内を確認する。窓が全くない、四角いコンクリートの部屋だ。ゴウンゴウン、と遠くで動く機械の音が聞こえる。船か、飛行機か。足は自由だが、手は皆一様に後ろで拘束されている状況。先日の世間話が一層輪郭を持って迫ってきた感覚に、ゾワリと背筋が泡立った。
ぎ、と軋んだ音がする。
高尾はビクリと肩を揺らした。傍らにいた黒子がそっと身を寄せてくる。そんな二人を隠すように、黛が膝を立てて一歩踏み出した。
言いようのない恐怖の具現化した姿が、扉の向こうの闇から現れるようだった。


その犯罪集団は、海外のとある企業を隠れ蓑にしていた国際的な犯罪組織だった。日本にも支社を置いていたその組織は、とある大会で複数人の学生ガイドに目をつける。
集団誘拐はただでさえ目立つ上、足がつきやすい。それがガイドなら尚更だ。それでも計画を実行したのは、それだけ必要に迫られる何かがあったためと、逃げおおせる確証があったからだろう。赤司たちがそう推測した通り、組織は西の大陸国で幅を利かせるマフィアと繋がっていた。そのマフィアは派手な縄張り争いを起こしたばかりで、所属するセンチネルの多くが暴走状態寸前だったらしい。マフィアの持ち物の旅客船を利用して逃走する算段だった、と。
警察に任せるより、赤司財閥その他の権力を動員して殴り込みをした方が早い。そう言いだしたのは誰だったかもう覚えていないが、皆その意見に賛同し、あの手この手を使って該当の旅客船を特定、出航を送らせて時間を稼いでいる間に船へ乗り込んだ。警察への通報も、忘れてはいない。そうして、彼らは誘拐されていたガイドを発見したのだ。
全て、救出された数か月後。被害にあったガイドたちの心身のケアがある程度できた頃を見計らって、説明されたことである。


それをまだ知らないガイドたちの前に姿を現したのは、身なりのよい服装をした男たちだった。ピンと背筋を伸ばしていたのは一人だけで、後はどこか疲れたり興奮したりした様子。ジロジロと値踏みされるような視線が余計鳥肌を助長させて、高尾は思わず黒子の方へさらに身を寄せていた。
ピンと背筋を伸ばしていた男が、後ろに並んでいた男たちへ何やら声をかけた。滑らかな英語だったので、黛には半分も聞き取れなかった。しかし、すぐに内容は察することができた。自由に選べと、そう言っていたのだ。
初めに劉と古橋が、ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべた男に肩を掴まれた。咄嗟に劉が英語で反論したので、男は意外そうに眉を持ち上げる。丁度良いとばかり、さらに二人の男が前に出てきて、抵抗する二人の脇を掴んで初めの男に協力した。
ズルズル引きずられていく二人を見送ると、次に男たちが手を伸ばしたのは小堀と諏佐だった。この中で劉の次に体格のよい二人だったが、それを上回る筋肉質な男たちがやってきて、ヒョイと肩に担がれてしまう。
呆気に取られていた樋口と石田の襟首を引っ張ったのは、青い目をした細身の男だった。彼は二人の顔を見比べると、まだ入口近くに残っていた男たちへ声を飛ばした。呼ばれたらしい二人が前へ出てきて、石田の両脇を持ち上げるように引っ張っていく。
最後にゆったりとした所作の男が前に出て、残っていた黛と黒子と高尾を見下ろした。嫌な光を湛えた瞳がガラスのように青い顔の黒子を映す。そうして三人もまた、初めの部屋から連れ出された。



霧崎第一は進学校だけあって、授業のレベルが高い。IQ値では規格外のチームメイトに比べて平々凡々、得意科目が現代文の古橋であっても、ネイティブの会話が聞き取れる程度には。比べて、母国を出て留学生の身分である劉は、スラングまで理解できるほど英語が堪能だった。そんな古橋を選んだのは全くの偶然だろうが、劉については明確な理由があったらしい。酷く低俗で、くだらない理由が。
(まさか加虐趣味の言葉責めのために選ばれたとか思うわけない……)
心の中で毒づくと、それを察したわけでもあるまいに、男の短い足が飛んできた。鋭く動いた爪先が口端にぶつかり、背中で重ねるように腕を拘束されていたため簡単にバランスを崩した古橋は、強かに尻餅をついた。鈍い鉄の味が口内に広がり、思わず眉を動かす。その表情を見て、また男は嘲笑いながら酷いスラングの言葉を叫び始めた。
古橋は勿論、劉も中々に表情筋が硬い方だ。古橋よりも多い回数罵詈を受けているが、眉を少し動かすだけであからさまな反応は返していない。大仰に反応して見せれば見せるほど、こういう手合いは余計興奮してしまうものだ。
チラリと劉から視線を向けられる。彼とは先の大会の救護室が初対面だったため、それだけですべての意思をくみ取れるほどの絆はない。しかし彼も察したのだろうとは分かる。この部屋に揃っている三人の男たちは揃って加虐趣味で、そして、暴走状態になりかけのセンチネルである。
「っ」
反応を見せないことに焦れてか、男の一人が古橋の首を掴んで後頭部を地面へ押し付けた。さすがに息がつまり、驚きで目が開く。そのままギリギリと締め上げられて、古橋の口は自然と開閉を繰り返した。
無茶苦茶だ。精神崩壊を恐れてガイディングをしたいのだろうが、こんな暴力に塗れた方法なんて聞いたことがない。大体、ガイディングのきっかけだってガイド側からのアプローチが必要で――
「っぁ!!」
そんなことをまだ冷静な頭の片隅で呟いていた古橋だが、突如として与えられた刺激により、脳が白く弾けた。それも一瞬で、すぐに視界に映る景色を認識できる程度だったが、予想外の刺激に驚きが隠せない。古橋の黒々とした瞳からそれを感じ取ったのか、男はニヤリと気味の悪い笑みを浮かべた。
今のは古橋も覚えがある刺激――電気だ。スタンガンのようで、しかしそれよりもずっと深い神経に触るような、嫌な刺激。
劉は俯せで肩を踏みつけられたまま、古橋の上に馬乗りになる男の言葉に耳を疑った。古橋は全てを理解できたわけではないだろうが、先ほどの刺激が良くないものだと察したようで、どうにか身を捩っている。
――ガイドのシールドへアクセスするための電気刺激。男は、スマホほどの大きさの機械を左手に掲げて、確かにそう言った。
ガイディングは、ガイドからのアプローチが優位となる。だから、こうして乱暴を働かれてもある程度の安全はあると劉たちは踏んでいたのだ。それなのに、男の言う通りだとするならあの機械が発する電気刺激は、ガイドの精神を守るためのシールドを破壊する――つまり、こちらの精神を壊す可能性がある代物。危険なんて生易しいものではない。
「くそ、離せ!」
劉は大声を出して身を捩る。体格差は負けていないが、拘束と無理な体勢のせいでうまく力が入らない。上に乗る男がさらに深く足を沈めてきたので、劉は息が詰まってグウと唸った。
「ぅ、あああ!!!」
あの、手首が壊れることも厭わなかった古橋から、叫び声が上がる。ぽっかり開いた口がハクリと動いて、端から涎が零れていくのが、劉にもよく見得た。
これはまずい。古橋の脳はそう結論づけるのに、数秒とかからなかった。それでも、脳の電気信号を上回る刺激が、肉体の動きを抑制する。普段は魂と精神を守る盾として存在しているシールドが、ガラスのように砕かれていくのが分かる。バラバラと崩れていくシールドを修復する術を、古橋はすぐに思いつかない。そちらに気を取られている間に、無防備になった精神へ暴力的なセンチネルの感情が触れた。
「ぅ、ぐああ、ああぁ」
心臓が、灼けるようだ。ただでさえ、シールドがない状態で発達したセンチネルの感情に触れるのは危険だと言われている。それなのに、今古橋に触れているセンチネルは、一般人よりもっと暴力的でずっと乱暴な感情に塗れた人間。指の一撫でが、熱い炭に触れられているような感覚に陥る。しかし馬乗りにされた古橋の身体は身を捩る程度では動かず、さらにきつく喉元を掴まれている状態では呼吸も満足にできない。酸欠と灼けつくような痛みに呻くことしか、できなかった。
古橋に跨る男は、恍惚とした笑みを浮かべながら、機械を彼の胸元に押し当てている。さらにもう片方の手で首を絞めながら、深く深く、身を沈めるように上体を丸めて行った。
ゾワリ、と恐怖と嫌悪が混ざった感情が、劉の肌を駆け抜ける。
よこせ、と劉を踏みつける男が言った。呼びかけられた方は億劫そうに顔を上げ、渋々と機械を投げた。それを受け取った方は機械を見分しながら、試しにスイッチを押す。パチン、と静電気など目でもない嫌な音が頭上でして、劉は思わず肩を揺らした。それに気づいた男が、揶揄うように機械を頬へと押し当ててくる。ギリ、と歯を噛みしめながら、劉は精一杯男を睨み上げた。
ヒュウ、と癇に障る口笛が響く。良い目をしている――そう男が英語で言った瞬間、劉の脳を白い光が焼いた。
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