インカーネイションの花冠
・2023年秋アニメの絶望系復讐譚「はめつの/おうこく」の上辺だけ設定を借りたパロ。
・原作漫画3巻程度のネタバレがあります。
・前身作である「剣の/おうこく」のネタも入ってます。
・魔女が女だけだと誰が言ったのか(つまりそういうことです)


打ち捨てられて数年は経過している教会の中で、カンテラの灯がゆらりと揺れる。それを持ち上げた男は、薄墨色の瞳を細めて辺りを見回した。割れたステンドグラス、埃をかぶった十字架、亀裂が入り上半身を崩した聖母の偶像。それらを順番に照らし、一つ息を吐く。
辛うじて形を保った窓には、氷になりかけた雨粒がガラガラと音を立てて吹きつけている。太陽も落ちた時分、ここで夜を明かすしかない。
砂漠の熱と雨を防ぐマントを防寒具代わりに着込み、男はカンテラを聖書台に置く。それから祭壇の端に腰を下ろし、天井を仰いだ。
「何かありましたか?」
カンテラの灯りが届かない影から、静かな声がする。男は僅かに肩を揺らし、不機嫌そうに歪めた顔をそちらへ向けた。
「いきなり声かけんじゃねぇよ」
カンテラの灯がユラリと揺れる。影から現れた薄氷色の青年は、不機嫌そうな男を見てもケロリとした顔をしている。
「目が覚めたら隣に誰もいないので、置いて行かれたのかと思いました」
「けが人を気遣ってやったんだろうが」
隣に腰を下ろした青年の足を見やり、男は痛むのかと静かに訊ねた。包帯を巻いた方の足でトントンと地面を蹴り「それほどではありません」と青年は肩を竦める。男は思わず舌を打って、カンテラを見やった。トロトロと揺れる灯の根本では、大分小さくなった燃料が転がっている。手持ちの在庫のことも考えると、今夜はもう消した方が良いかもしれない。
「……すみませんでした」
「あ?」
「無理を言って同行させてもらっているのに、足を引っ張ってしまって」
男が青年に視線を戻すと、彼は自分の足元へ目を落としていた。彼の左足で、室内の闇を受けてのっぺりとした色彩を放つ銀の靴が、やけに目を引いた。
「……今更だな」
小さく息を吐いて、男は腰から機械仕掛けの羽根ペンを取り上げた。魔力がインクのようにペン先から零れ、腕を動かすたびに数式として空中に固定されていく。それはカンテラの灯りより眩しく辺りを照らし、それに気づいた青年は驚いた顔をして男を見つめた。
「記述式召喚魔法、光源(エンライト)」
静かに唱えると同時に、蛍のような小さな灯りが幾つか浮かび上がり、二人の周囲を柔らかく照らした。ふ、とカンテラの灯りが消える。
「え、魔法は疲れるから使わないって……」
「うっせ、燃料が勿体ないんだよ」
男の言い訳は納得しがたいと、青年は顔を歪める。フンと鼻を鳴らして、男は自身が羽織っていたマントを持ち上げると、自分よりも小柄な青年の身体を抱きこんだ。
「わ」
「そろそろ静かにしろ」
できるだけ二人の身体を包めるようにマントを広げ、男は青年の頭を胸へ抱き込む。初めは抵抗を見せた青年は、暫くして諦めたのか大人しく男の腕に収まった。スリ、と胸元にすりつくベイビーブルーの頭へ頬を寄せ、男は目を閉じる。
「暗闇に置いて行ったりしねぇよ。照らしといてやるから」
ボソリと呟くと、青年の手が男の服を強く掴んだ。「約束ですよ」そう小さな呟きが聞こえたかと思うと、ゆっくりとした寝息が男の耳を擽った。

神は、人間に寄り添い、救い、助けるために魔女を創った。魔女たちはその言葉通り、人間に寄り添い、救い、助けるために魔法を使った。やがて世界は発展し、人間は科学という独自の力を身に着け、魔法を、魔女を、忌むべき存在とするようになった。
魔法に頼ったままでは、人間は魔女の奴隷として脆弱になり下がる――十数年前まで過激な魔女狩りを押し進めていたこの国の先帝の言葉だ。彼の言葉に賛同する国民は多く、飛びぬけた科学力と軍事力を前に近隣諸国も口を挟めず、その魔女狩りによってこの世界の魔女は一気に駆逐された。
『最後の魔女』と目される魔女が処刑されたのが、十年と少し前。黛はまだ、年端もいかない少年であった。物心つく頃から魔女は悪しき存在、科学を操る人間こそ正義といった教育を施されてきた身としては「そんなものか」という感想であった。これは黛千尋という少年が、他と比べて随分とドライな性格であったことも起因するが、本人にはさして問題ではない事柄である。
さて、そんな現実主義者の少年は職業選択の時期に安定を求め、国家公務員に就いた。一応、軍事国家なので軍人と名がつく。かといって、積極的に他国と戦争をする時代でもない。そもそも大国と呼ばれるほどの力を持っていたから、下手に手を出してくる国もなかったのだ。
そんな風に、名ばかり軍人として国家防衛のため必要最低限の訓練と職務を粛々と行っていた黛に、転機が訪れたのは突然だった。
皇帝の崩御、新皇帝の即位。そして、それに伴う軍事改編。都の端っこの警備隊に配属されていた黛は、理由も分からぬまま皇帝の居城を防衛する隊に転属させられた。周囲は出世だと騒ぎ立てたが、自身の分を弁えている黛は、何の罠だと頭を抱えた。そしてそれは、ある意味で正しかったのだ。
「あなた、どうして……」
配属初日、黛はとある出会いをした。
迷宮かと疑わしいほど入り組んだ城で迷った挙句、辿り着いたのはあからさまに関係者以外立ち入り禁止と銘打たれたようなフロア。やってしまった、これは初日から減俸か免職かもしれない、等と考えながら進んだ先で、そんな声を掛けられた。
「……っ」
強い、既視感を覚えた。薄暗いフロアで、爛々とした青い人工灯の下に立っていた一人の青年に。
黛は先ほどまでの危機感をさっぱり忘れ、茫然とした面持ちで足を進め、青年に対して腕を伸ばした。青年も逃げる様子を見せず、頬に触れる黛の手を振り払わない。その静寂は、いっそ時が止まったようだった。
直後、けたたましい警報音で我に返った黛は、青年に促されるまま共にその場を逃げ去り――何も分からぬまま世紀の大犯罪者になっていた。

青年は黒子テツヤと名乗った。正体は、魔女の力を移植された機械人形だという。新皇帝が何らかの目的のために捕縛していたが、逃走しようとしたあの日、たまたま迷い込んだ黛と遭遇したのだ。彼が持っていた羽根ペンは人間も魔法を使える魔道具で、黛がその扱いに長けていると分かってからは譲り渡している。
黛の罪状は、不法侵入と外患誘致――有り体に言えば、スパイ疑惑である。何という濡れ衣だと、黛は眩暈がする思いだったが、こちらの言い分が通るとも思えず、かといって素直に捕まっても待っているのは処刑一択。逃げるしか、道は残されていなかった。
「この世界のどこかに、一つくらい僕らでも暮らせる場所がある筈ですよ」
静かに微笑む黒子に流されたとか、そんなわけではない、断じて。
しかし、と同時に思う。新皇帝の差し向ける追手は何れも、国家防衛の要と呼ばれるような存在ばかりだ。そればかりか、近隣諸国にも捕縛の協力を求めているという噂もある。黒子は余程、新皇帝にとって必要な存在であるらしい。それと同時に、黛も生け捕りにしろという命令になっていることも気にかかる。
一般人の殺人犯だって、武器を振り回していたら射殺可能な国だ。国境を越えて逃げている黛一人くらい、その場で命を奪っても可笑しくない。
あの日――黒子と出会うきっかけとなった日、明確な説明なく昇進したことも、何か大きな理由があったのではないか。
旅が続けば続くほど、黛の中でそんな疑問が沸き上がって来る。しかし追手は本当に何も知らされていないようで――それどころか相手によっては思考すら放棄する馬鹿の場合もあり――まともな情報一つ手に入らない。
「そんなこと、考えてどうするんですか?」
ケロリとした顔でそんなことを言うものだから、そのときばかりは黛も頭を捻り潰したくなった。実際イラっときて、手の平に収まる頭をぐわしと掴んでしまったほどだ。
「なんで張本人が気にしてねぇんだよ」
「痛いです」
べし、と黛の手を払い除け、黒子は乱れた髪をすく。
「確かに、彼の思惑は気になります。どうして魔女狩りを推し進めたのか。強引な手を使ってまで排除した魔女の力を、どうして保管するような真似をしていたのか。……どうして、僕らを生け捕りにしようとしているのか」
一つずつ疑問点を上げ、黒子は目を伏せる。ざくざくと踏んでいた雪の上には、彼の小柄な足跡が残っていた。それを踏み潰すように足を重ね、黛は普段より狭い歩幅で進んだ。それから追いついたベイビーブルーの頭をポカリと叩く。
「……確かに、考えてもしょうがねぇな」
ポカンとこちらを見上げる視線を無視し、黛はマントの下に隠れていた手を掴んで引いた。
「ほら行くぞ。どっかにあるんだろ、俺らが暮らせそうな場所」
「……そう、ですね」
小さく呟き、黒子はマントの袖口に口元を埋める。フンと鼻を鳴らして黛が足を動かしたので、比べると大きい彼の歩幅に合わせるため、黒子は大きく足を持ち上げた。

「受肉首(インカーネイション)?」
何だそれは、という視線で、緑間は先日即位したばかりの新皇帝を見やる。執務室に誂えた大きな窓から街を眺めたまま、彼はこちらに見向きもしない。
「それが今、貴様が生け捕りにしろと命じている二人と関係あることなのか?」
「まあな」
素直に答えが返って来ると思わず、緑間は少し目を見開いた。クスクス笑いながら、赤司は窓から離れて、戸棚の一つに手をかけた。部下の誰にも触れさせないその戸を軽く引いて、赤司は引き出しの中に寝かせたフォトフレームを指でなぞる。
「黛千尋は器であり、黒子テツヤは魂だ」
適合する器を長年探していたが、まさかあんな都の片隅で公務員をやっているとは思わなかった。彼の堅実な人生観に感謝しなければならない。しかし、その後の行動はいただけない。器と魂は惹かれあうのだろうか。赤司が予期しないタイミングで、城の中で大切に保管していた魂と顔を合わせ、そのまま逃亡を図るとは。
「魂の保管のために魔女の魔力を移していたが……まさかそれを逃亡手段に利用するとは思わなかったな」
それも赤司にとっては、愉しい誤算だ。
二人は逃がさない。これは決定事項であり、定められた運命だ。魔女以外の人間を自在に操る魔法を持つ赤司にとって、その運命は待つものではなく自らの手で掴み取るものだった。
背後に立つ緑間が、小さく息を飲んだ。
「……お前は、何を考えているのだ?」
クツクツと、赤司は喉を鳴らした。
「偽善はとうに捨てた」
フォトフレームを持ち上げて、赤司は収められた写真に目を細める。
「――彼を、取り戻すために」
淡い色で印刷された写真で、少し幼い顔つきの薄氷色の少年が柔らかく微笑んでいた。
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