02-2#受験生狂騒曲
(どうしてこうなった)
古橋は目の前の光景を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
時は、数時間前に遡る。
古橋は、家庭教師の諏佐に連れられて彼の仮住まいへと訪れていた。赤本を譲ってもらうことが一つと、諏佐の知人に会うためだ。というのも、諏佐の知人に古橋が第二志望としている学部へ通う男がいるらしい。諏佐も古橋も文系で、第二志望も勿論文系の学部。全く門外漢というわけではないが、実際通っている人物がいるならそちらに話を聞いた方が良いだろう。ついでを言えば、本日の古橋家は長男以外出かける用事があった。ならば夕飯を食っていけ、と提案したのは諏佐だった。
「あ、いらっしゃい」
玄関を開けて出迎えてくれたのは、諏佐から話を聞いていた小堀だ。古橋は最低限の礼儀と、ペコリと頭を下げた。小堀は少し焦った様子でバタバタとリビングへ戻って行く。
「来てくれたのにごめんね、ちょっといろいろあって」
諏佐に案内されるままリビングに入ると、小堀はそんなことを言い出した。どうかしたのかと首を傾げながらリビングを見回していると、
「おい、小堀」
「!」
誰もいないと思っていた左方からいきなり声が聞こえた。こんなときでも頬の筋肉は動かず、首だけ回す。そこにいたのは、チームメイトと観戦した決勝戦で見た顔。
「黛、千尋」
「さんか先輩つけろよ、鉄仮面」
「お前、人のこと言えんの?」と少し離れた場所から、諏佐が呆れたように口を挟む。「うっせ」とそちらに文句を言って、黛はまた小堀を呼びながらキッチンの方へ行ってしまった。リビングとの境になっているカウンターに手をついて、小堀が顔を出した。
「悪いな、樋口、電車が遅れてるらしくてさ」
樋口正太が、今日話を聞かせてくれるというOBの名だ。古橋はあまり注目していなかったが、あの洛山の男子マネージャーとして決勝戦でも紹介されていたらしい。諏佐の補足によると黛は、学部は違うが樋口と同じ大学に通っているとのこと。その伝手での紹介だったというわけだ。
「諏佐ぁ」
小堀に呼ばれて、諏佐はキッチンを覗き込む。二三言葉を交わした後、諏佐の呆れた声が聞こえてきた。何かあったのだろうかと古橋が様子を見守っていると、諏佐が少々申し訳なさそうに振り返った。
「悪いが、ちょっと頼まれてくれるか?」


黒子は、スーパーを訪れていた。本日はこのキセキと火神、高尾たちと共にストバスに興じていた。先ほど解散したばかりで、家族が不在の黒子が夜食を買いにスーパーへ行くと言ったところ、高尾と紫原が同行を申し出たのだ。高尾は本日発売の食玩目当て、紫原は帰り道のおやつ補充が目的だった。
そこで、黒子は思いもかけない人物と鉢合わせする。
「え」
「あ?」
惣菜コーナーを物色していた黒子は、向こうから歩いて来る人影に目を丸くした。正確には、彼が連れている男との組み合わせに、である。
「黛さん。……と」
「よお」
「……」
黒子が隣に視線をやって少し眉を顰めたので、黛は首を傾げた。それから隣に立つ古橋を見て、彼らの高校同士の間にある因縁の噂を思い出す。
「あー……ちょっとした流れで知り合ってな」
「……食材を一緒に買うほどの仲とは、知りませんでした」
古橋が押すカートの中を一瞥した黒子が、ボソリと呟く。古橋はだんまりを決め込んだままで、黛はあまりの面倒くささに顔を歪めた。
「お前なぁ……」
「あっれー、珍しい人がいるー」
黛の声を遮ったのは、陽気な声だ。更なる面倒くささを予感して、黛の頭が痛み始める。
「高尾くん」
食玩の箱を手に持った高尾はヒラリと手を振り、それから黒子たちの顔を順番に見やった。そして「ぶふ!」と口元を抑えて背を丸めた。
「は?」
予想外の反応に、黛や黒子だけでなく古橋もパチパチと目を瞬かせて高尾を見つめる。丸くした背をこちらへ向けて、高尾はバシバシと黒子の肩を叩いた。
「いや……ちょっと……む、無表情な顔が……三つ、……あはは!」
これには煽り耐性の低い黛も、人を煽ることに定評のある古橋と黒子もカチンと来た。この男は、黛たちを『表情筋が動かない人間』と一括りにして爆笑しているのだ。
「失礼ですよ、高尾くん。黛さんの目を、死んだ魚の目だなんて」
「おい。ていうかそれ、お前もそうだって言われているからな」
「よく言われることだが、その言い方は棘があるな」
黒子が手刀を腰に、黛が握った拳を頭に、古橋が構えた肘を鎖骨の隙間に、それぞれ叩きこむ。その息の合った動きに、高尾はグッと息を詰まらせて蹲った。
「あらら〜、そんなところ蹲っていると邪魔だよ」
会計を済ませてきたのだろ、お菓子のはみ出たエコバックを抱えた紫原は、プルプル震える高尾を見下ろしてのんびりと声をかける。
「あ、久しぶり〜」
しかし高尾を助け起こす様子もなく、顔を上げた紫原は黒子たちの方を見てゆるい笑顔を浮かべた。誰のことだろうと黒子は黛の方を見やる。黛は思い当たることがない様子で、眉を顰めていた。手を上げたのは、その隣に並んでいた古橋だ。
「ああ」
「え」
「何、どういう繋がり?」
高尾も興味があるのか、ひーひーと息をしながら体を起こす。
「菓子パンをやったら懐かれた」
「諏佐が褒めてた手作りパンか」
「手作り?」
意外な言葉を聞いた気がして、黒子は思わず聞き返していた。高尾はまた笑いたそうだったが、これ以上は身体に負担と考えたらしい。必死に堪えながら、プルプルと震える額を黒子の肩に摺り寄せた。
「紫原くん、そう言えば以前分けてくれたチョコチップパンって……」
「うん、そう。この人が作ったやつ」
黒子は口元を手で抑え、若干青い顔をして床を見つめる。尊敬する先輩を故障に追い込んだプレイヤーが、自分の知らないところで旧友と仲を深めていただけでなく、知らぬうちにそのご相伴に預かっていた事実を、どう処理したらよいか分からなくなっているのだろう。漫画だったら『ガーン』という効果音が幾重も重なって頭を圧し潰しているところだ。
黛は収集がつかなくなったと、頭を掻いた。それからチラリと黒子がカゴに入れている総菜を見て、溜息を吐く。
「お前、もしかして今日夕飯ない感じか?」


「というわけで、三人追加だ。食材も多めに買い足してきた」
「それはいいけど……大丈夫?」
小堀はチラリと、カウンターで区切られたダイニングで、一つのテーブルを囲む後輩たちを見やった。どんより、というまではいかないが、中々に重い空気が漂っている。その原因はいまだに気持ちを処理できていない黒子だろう。
「なんとかなるんじゃね?」と黛は素っ気なく言ってじゃがいもの皮むきを続ける。小堀も気にかかったが、取敢えず夕食作りに意識を戻した。同席する高尾に、託すしかない。

紫原は自宅で既に夕食が用意されていたらしく、後ろ髪を引かれるような顔をしながら帰って行った。高尾は面白がる顔を隠しもせず、二つ返事で家族から許可を得ると、黛たちについて来た。
「へー、諏佐サンたち、ここでルームシェアしてるんすか」
「らしいな」
「その諏佐サンは?」
「樋口さんという人を、駅まで迎えに行っているらしい」
机を見つめたままの黒子の耳に、そんな会話が滑り込んでくる。トン、と視界に白いマグカップが入り込んで、黒子はハッと顔を上げた。
「……取敢えず、飲め」
「……どうも」
小堀から振舞われたというほうじ茶入りのマグカップを、古橋は差し出す。黒子はそのマグカップを両手で包んだ。ジワリとした温かさが、沁みるような熱となって手の平に広がる。一口啜って、黒子はゆっくりと息を吐いた。
「……」
「……」
「そう言えば、受験生、でしたね」
「ああ。だから家庭教師を母が雇って、それがたまたま諏佐サンだっただけだ」
黒子の斜め向かい――高尾の向かい――に座って、古橋は自分の分のマグカップを持ち上げる。
「……木吉のこと、だが」
「謝らないでください。僕には」
きっぱりと、黒子が言った。古橋はハイライトのない目を薄く開き、マグカップから顔を上げた黒子を見つめる。
「謝罪の気持ちがあるなら本人に。一応、WC予選で先輩の仇はとったものと、こちらも考えていますので」
しっかりとした口調だったが、その眉間には皺が刻まれていて、目の様子からも言葉の額面通り全て本人も納得しているわけでないことが見て取れた。
「……とても、そう考えているようには見えない」
そしてそう感じたのは高尾だけでなく、古橋も同じようで。だからと言ってそのまま言葉にしてしまうものかと、高尾はこっそり呆れた。
「別に謝罪しようとしたわけでもないし」
「でしょうね。そういう人たちですよ、あなたたちは」
深くため息を吐いて、黒子はほうじ茶を一息に煽った。熱さの残る液体が、喉を焼きながら胃へと落ちていく。
「僕がショックだったのは、そんな人がいつの間にか旧友と親交を深めていたという点です……でもまぁ、紫原くんはバスケでのことをコート外に持ち出さない傾向にはあるので、そこはしょうがないと思います」
黒子自身も、バスケでは彼と意見の食い違いで何度も口論した。それでも、バスケはバスケ、それ以外はそれと、彼が区別してくれていたからこそ、コート外では親しくすることができたのだ。今に始まった悪癖などではない。
「僕としては積極的に関わろうとは思いませんが、だからと言って今この場でも邪険に接するつもりもないです。折角誘ってくださった、黛さんの顔もありますので」
マグカップを置き、黒子はじっと古橋を見つめた。古橋は一口飲んでマグカップを置き、熱を持ったその縁を指でなぞる。
「……そうか」
「話はまとまったか?」
頃合いを見計らったというよりは乱暴に口を挟み、黛は古橋の横から腕を伸ばすとホットプレートを置いた。いつの間にか席を立っていた高尾が、「ちょ、黛さん、そういう口の挟み方します?」彼の背後で何やらボウルを持っている。
「……はい」
黒子が頷く。古橋も、首だけで頷いた。「そうか」と呟いて、黛はホットプレートの電源を入れる。
「ただいまー」玄関の方で音がして、「お邪魔します」という声も聞こえてくる。小堀もキッチンから用意した生地を持ってやってきた。それからダイニングテーブルと、丁度部屋に入ってきた諏佐たちを見て、小堀は少し困ったように眉を下げた。
「意外と大人数になってきたね、どうしようか」
「何とかなるだろ」
黛はホットプレートの調子を確認すると、黒子のマグカップをとってテレビ前に置かれているローテーブルの方へ移動した。高尾もボウルを置くと、ドリンクのペットボトルとグラスを三つ引っ提げてそちらへついていく。
「今更ですけど、本当に僕らも参加して良かったんですか?」
諏佐に促されるまま、黛たちの方へ移動した黒子は、ポツリと呟く。
「家主が言っているのだから、気にしなくていいんじゃないか」
背後から声をかけてきたのは、古橋だった。彼は高尾が持ちきれなかったペットボトルを二つほど持って、何を飲むかと訊ねる。
「袖振り合うもなんとかだろ」
キョトンと、黒子は目を瞬かせる。それは少々乱暴すぎる台詞な気もするが、まぁいいかという気分になって、黒子は息を吐いた。
「そう、かもしれませんね」
黒子は古橋が持っていたペットボトルのカルピスを、指さした。
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -