001
――……。
やあ、また君か。久しぶり。
まだ、その願いを捨てていなかったとは、いやはや、本当に諦めの悪い人間だね。
こちらからは既に『その願いを叶える方法』を一つ提示しているわけだけど、君の様子を見るに、どうやら叶えきれなかったのかな?
では次の手が必要か。
……うん? こちらはもうずっと視界を閉ざしているせいで、周囲の様子は分からないのだけど、まあそんなことは関係ないだろう?
さぁ、君の願いを叶えようじゃないか。

「――の、願い、は……」





「――くん、――火神くん」
バチン、と音がした気分だった。火神の視界には、見知らぬ天井を背景に、こちらを心配げに見下ろす黒子の顔が映りこんだ。
「くろ、こ……」
身体を起こすと、肩や背中がビキビキと痛んだ。どうやらクッションもない床に寝転がっていたようだ。手をついて身体を起こし、火神は辺りを見回す。埃とカビの匂いが鼻をつく。ほどほどに辺りを照らす照明の下、その場にいたのはよく見知った顔ばかりだった。
「火神も起きたか」
「伊月先輩」
伊月はホッとしたように表情を和らげて、火神を見下ろす。火神はまだ少しぼんやりとする頭で、先輩を見上げた。
「ここは……俺、一体、」
「ワン!」
「おわ!」
背中からの声に、火神の頭は急速に冴えた。飛び上がって振り返ると、白と黒の毛並みをした小犬がちょこんと座っていた。
「2号、ああ良かった、無事だったんですね」
黒子は安堵したように呟き、腕を広げた。2号はもう一つ鳴いて、素直に一番懐いている黒子の腕に飛び込んでいく。
「つか、俺、まだ状況がつかめてねぇんですけど」
「安心しろ、それはみんな同じだ」
伊月は髪をかき混ぜながら、溜息を吐いた。
その場にいる者たちの態度は、さまざまだった。あからさまに混乱して辺りを見回す者、平静を装い注意深く観察する者、恐怖で震えて縮こまる者、など。
(どうして、俺らはこんなところに……)
ずきり、と頭の深いところが痛む。火神は思わず手をやり、覚えている限りの記憶を遡った。


日本のバスケを馬鹿にしたアメリカチームとの決戦後、火神は日本一をかけてキセキたちと再戦を果たすことなく、渡米した。再び日本の土地を踏んだのは、アメリカの高校の冬季休業と黒子たちの冬季休業が重なった時期――年明けの某日だった。
誠凛は一期生から三期生まで、元エースの訪問を喜んだ。そこで、現在監督を務める相田景虎の進言もあり、彼らは都内のとある体育館を借りて、久しぶりのバスケに興じることとなった。それを聞きつけたのが、青峰を始めとするキセキの世代らである。その参加は、快く受け入れられた。というのも、誠凛一期生を始めとする三年生の受験勉強が、佳境に入っていたためだ。
使用体育館に隣接する宿泊施設で、受験生らは既に進路が決定している数名と、バスケ部OBの指導の下、午前中は勉強合宿。その間、二年生らは体育館でバスケ漬けといった予定。因みに伊月、戦力外だった笠松(すごく成績が悪いというわけではないが、中の下ではあまり戦力にならなかった)、樋口の口車に乗せられて渋々やってきた黛の三人が、後輩の監督者として体育館に残っていた。
火神と黒子たち誠凛二期生、赤司らキセキの世代と、桜井、高尾と先にあげた先輩三名。この場にいるのは、その十五人のようだった。
「あん!」自分を忘れるなとでも言うように、2号が鳴く。
「何となく思い出してきた……つまり、体育館でバスケしていた俺らだけ、迷いこんだのか?」
「迷い込んだ、というより、連れて来られた。さらに言うなら、閉じ込められたというべきだろうな」
火神たちの会話に、赤司が口を挟む。彼は緑間と共に、出入り口を調べていたようだ。押しても引いても微動だにしないと、珍しく不機嫌そうな顔をしている。さらに電話も通じないという彼の言葉に慌てて、福田が自分のスマホを取り出し、画面を見た途端に顔をこわばらせた。
「そんな……」
よろ、と後ずさった黒子の足に、何かがぶつかる。ハッとして振り返った彼につられ、火神も視線を落とした。
目を覚ました者たちは皆落ち着いていることができず、立ち上がっている。しかし、彼だけはその場に座り込んだままだった。
「黛さん、どうかしたんですか?」
赤司が訊ねると、彼はようやっと顔を持ち上げた。
「いや……ちょっと目が痛むだけだ……」
黛はじっとりと額に汗をかいていた。ぐっと手の平を右目に押し当てて、眉間に深い皺を刻んでいる。尋常じゃない様子に、赤司も眉をひそめた。
「どこかで怪我を?」
他にも怪我をした者はいないか、赤司は訊ねる。数人顔を見合わせたが、肢体に異常を感じる者はいないようで、すぐに否定の言葉が返ってきた。
黛は長い身体を折るように背を丸める。近くにいた黒子が膝を折り、その背中に手を伸ばす。
「黛さん、だいじょうぶ、」
「――うるせぇ」
ピシャリ、と黛の声が響く。痛みからか僅かに震えてはいたが、きっぱりとした響きは、伸ばしかけた黒子の手を止めるに十分だった。
「……す、すみませんでした……」
膝に顔を埋めてしまう黛から手を引き、黒子はそっとその場から離れた。2号を腕に抱く黒子と、蹲る黛の後頭部を、伊月は思わず見比べてしまう。元々ぶっきらぼうな口調の男だと分かってはいたが、今は明確な拒絶に聞こえた。
黒子の両肩を掴んだ黄瀬が、少々悪くなった空気を晴らすように笑みを浮かべる。
「ほ、ほら、黒子っちは心配して声をかけただけっすよ。そんな邪険にしなくても……」
すっかり膝に頭を埋めてしまった黛から、返答はない。黄瀬が助けを求めて赤司と笠松を見やる。二人とも同時にため息を吐いたが、口火を切ったのは赤司の方だった。
「とにかく、体調不良者もいるようだし、一度移動しようか。ここがどういう場所なのかも気になる」
「動き回って大丈夫なのか?」
意義を唱えたのは、緑間だ。
「目が覚めたら知らない場所にいた。この状況で考えられるのは、誘拐だろう。ならば目的は何か。営利、復讐、嫌がらせ……どれも憶測の域をでない」
赤司のみなら営利誘拐も十分に考えられるだろ。復讐目的なら、キセキが該当してしまうかもしれない。
「拘束がなく、移動も制限されていない。ならばすることは、この場の把握と、脱出方法の模索……後は外部との連絡手段の捜索だろう」
「……結局、それしかないのだろうな」
質問しながらも、緑間の中でも結論は出ていたようだ。腕を組んだ緑間は、深く息を吐いた。
「まずは黛さんを休ませる場所を探して……」
「それなら、あそこにありそうですよ」
2号を抱えた黒子は、伸ばした人差し指を持ち上げた。
火神たちがいたのは、どうやら洋館のエントランスのようだ。おとぎ話もかくやといった階段が伸びて、見上げた先にある二階へと繋がっている。幾つか扉も見えて、そのどこかにベッドくらいあるだろうと赤司は言った。
蹲ったままの黛は赤司の指示で紫原が担いで、揃って二階へ足を進める。壁に沿うようにして伸びた廊下には、等間隔に九つの扉が並んでいた。
「さて、では、」
ピッタリと閉じた扉を見回した赤司が、口を開く。キィ、とその言葉を、控えめな音が遮った。その場の全員の視線を受けて、ドアノブを掴んでいた降旗はビクリと肩を飛び上がらせる。
「あ、ここ、寝室、かな?」
火神も降旗の背後から部屋の中を覗き込んだ。
部屋には、大きめのベッドがあった。棚や机もあったが目立つのはベッドで、確かに寝室という用途を想定しているような部屋だ。
紫原は赤司に指示されるまま、引きずるように連れていた黛をベッドに寝かせた。頭を抱えるようにゴロリと寝そべり、黛は熱い息を吐く。
「黛さんはここで休ませるとして、残りのメンバーで手分けして出口を捜そう」
「バラバラになって平気なのかよ?」
「大人数でぞろぞろ動くのは、いざというときに機動力に欠ける」
青峰の言葉に、壁際に並ぶ棚を見回していた緑間が口を挟んだ。棚を少し開いて「メンバー構成にもよるがな」と付け加えた。
「緑間の言う通りだ。俺が考えるに、多くて三チームまでだろう」
「年長の俺と伊月は分かれるとして、後は?」
笠松が訊ねる。自然、赤司を中心とするように輪になって、皆彼の言葉を待っていた。
「俺と高尾くん、伊月さんも分かれた方がいい。視野が広い者が、各チーム一人はいた方がいざというときに素早く対応できる筈です」
「成程、つまり」
高尾と伊月は顔を見合わせ、そして他のメンバーを見回した。

「こういうことか」
「いや、なんでだよ!」
声を上げたのは、青峰と火神、そして緑間の三人だ。青峰は笠松と高尾、黄瀬と同じチーム。火神と緑間は、伊月、黒子と同じチームに分けられている。
「なんで俺がこのバカと同じチームなのだよ」
「それはこっちの台詞だ!」
緑間から指をさされ、火神は眦を吊り上げる。
「俺も黄瀬と同じとか、めんどくせー」
「ちょっと酷いっす!」
突然やり玉にあげられた黄瀬は、笠松に慰めてもらおうと縋りつき、案の定蹴り飛ばされていた。
一番意義を唱えたいのは自分たちだと、赤司、紫原と同じチームに分けられた福田始め誠凛2年トリオは心の中で叫ぶ。
「さっきも言った通り、年長者と視野の広さ、後は身体能力かな」
一番はぐれると厄介なのが黒子だ。赤司か高尾の方が視野の広さはあったが、一番連携がとれる伊月の目があった方が良いだろうとの判断である。
「黛さんを、一人で残していくのは危ないのでは……?」
「……いい」
黒子の言葉に答えたのは、ベッドで横たわる黛本人だった。
「いざとなったら視野誘導でどうにでもできる……そのときに余計なお荷物がいたら逃げ遅れるだけだ」
「……と、言って聞かないもので」
赤司は少し困ったように眉を下げ、肩を竦めた。それから文句を飲み込んでチームに分かれる面々を見回し、腕を組む。
「各自、自分たちの身の安全を第一に。散策を開始しよう」
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