01-4#無表情後輩と強豪の縁の下
それは、新学期が始まって少ししての頃だった。
突然だが、霧崎第一高校は進学校である。バスケ部はゴルフ部と並ぶ強豪とは言え、部員の学業成績も疎かにはできない。ついでに、古橋家の教育方針で大学進学は絶対、さらに国立の名のある大学を目指すよう言われている。
別に無理なスパルタ教育を強いる父母ではないし、古橋が彼らからのそういった希望を圧力だと感じていることもない。子供に対して高い理想を見る以外は、趣味のガーデニングやパン作り、部活動も好きにさせてくれるので、良い親ではあると思う。
とまあ、本筋には関係ない余談で頁を埋めてしまうわけにはいかないので、古橋家についてはこのあたりで締めておく。つまり子供の勉学について金や労力を惜しまない親であるということを、頭に止めてもらえればいい。大学受験を控えた高校3年の息子のために、それまで通っていた予備校の講師の伝手を頼って家庭教師を手配するほどには。
「別に極端に成績が落ちたわけじゃないんだから、予備校のままでも良かったのに……」
母の気遣いの理由は分かる。強豪バスケ部でレギュラーを務める息子に、少しでも通いの負担を減らそうとしたのだろう。
「良いお母さんじゃないか。まぁ、その気遣いのお陰で、こういう縁に恵まれるとは思わなかったが」
クスクス笑いながら、家庭教師は古橋の部屋を見回す。居心地悪くなって、古橋はサッサと問題集を手に取ると机に広げた。
「……よろしくお願いします――諏佐センパイ」
古橋の言葉に、相手はまたブッと吹きだした。知人一同から死んだ魚のようと形容される目を細め、古橋がじっと見つめると、まだ堪えきれていない笑みを零しながら彼は両手を持ち上げた。
「まさか、今吉の元後輩のチームメイトの家庭教師をすることになるとは思わなかったな」
「……」
古橋はその『今吉』という先輩について、花宮から話を聞き、WCでのプレイを見た程度の知識しかない。そのときに一緒に見ていた彼の先輩への印象と言えば、『堅実なプレイをするオールラウンダー』だ。現在対面しての様子を見るに、今吉ほど底意地悪い性格ではないのだろう。しかしどう紆余曲折を経て今吉と、果ては花宮と繋がりができてしまうか分からない。そうなったときひどく面倒なことになりそうで、古橋はため息を吐いた。
まぁ、古橋と目の前の先輩には因縁も悪印象もないので、今は大人しく家庭教師としてお世話になろう。
「成績表見せてもらったけど、霧崎第一でも上位に入る成績ってめちゃくちゃ良いじゃん」
「チームメイトに学年主席と次席がいるので、レギュラーはテスト前にそいつら主催の勉強会を受ける決まりなんです」
「あー……俺、必要だった?」
「学校の定期試験はともかく、受験に関しては、ご教授いただきたいです」
「……今吉の後輩の友達とは思えないな」
「ご希望なら、母校との練習試合でも組みますか?」
「……始めるか」
諏佐は苦く顔を歪めながら、ノートを開いた。古橋も頷き、筆記用具を取り出した。

どれくらい根を詰めていただろうか。ふと古橋は、自身の空腹でプチリと集中力が切れたのを自覚した。顔を上げると、諏佐も少し疲れた様子で吐息を漏らす。彼は時計を確認し、「休憩するか」とノートを閉じた。
「じゃあ、お茶を持ってきます」
「お構いなく」という諏佐の声を背に、古橋はキッチンへ向かい、二人分のお茶とついでに軽食を盆へと乗せて部屋に戻った。諏佐は礼を言ってお茶に手を伸ばす。古橋も喉を潤して、何とはなしに先ほどまで解いていた問題に目を落とす。古橋がそうして見直しをしている間に、諏佐は軽食である一口サイズの契りパンを一つ摘まみ、口へ運んでいた。少し手を止める彼を横目に、古橋も一つ頬張る。作ってから時間が経っているせいか、少しパサパサとした触感が気になった。
「……うまいな、お袋さんの手作りか?」
「いや、俺のです」
諏佐が、また動きを止める。古橋を凝視していたらしい視線は、少しして何かを確認するように部屋の中――具体的に言えば、古橋の部屋に一つだけある本棚へ向けられたようだった。古橋はその間も見直しを続けていたので、気配の動き方による推測でしかないが。
「……この家、庭も立派だな」
「ああ、俺の趣味で」
「……」
何やら、深いため息が聞こえた。古橋が顔を上げると、肘をついた諏佐がもう一つパンを手に取っていた。
「多才だな」
「そうでもないです。どれも勉学の気分転換から始めたけど、凝り性なだけで」
下手の横好きの域を出ない、と古橋は呟く。諏佐はまた小さく息を吐いて、古橋の頭をガシリと掴んだ。いや、掴んだと思ったのは一瞬で、後はガシガシと髪をかき混ぜた。
「??」
「そういうのはさ、勉強と似たようなもんだろ」
諏佐が手を離したことでぐしゃぐしゃになった髪へ手をやり、古橋はパチパチと目を瞬かせた。
勉強をしなかったがために選択の道を閉ざされてしまう、なんて勿体ない。趣味も、選択の幅を広げるという点では、有益なものだ。
「それに、あのバスケプレイを下手の横好き呼びするのは、こっちとしても思うところがあるぞ」
乱れた髪を指ですき、古橋は小さく息を吐いた。この日初めてその眉の間に皺が寄っていて、それを見つけた諏佐が「お」と目を丸くしたのだが、髪を整えることに意識を向けていた古橋がそれに気づくことはなかった。
「……話に聞いていた今吉センパイのお友達にしては、想像と違いますね」
「どんな想像してたんだよ」
「さあ? ……それより、続きをお願いします、諏佐センセ」
諏佐は微かに口元を引きつらせたが、大きく息を吐くと古橋の差し出した問題集を受け取った。
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