01-3#お菓子は正義と特技パン作り
「げぇ〜」
紫原は寒空の下、盛大に顔を顰めた。
WC後、実家が東京のこともあって、紫原は自宅へと一次帰省していた。今日は氷室も弟分のところへ、岡村たちは荒木引率の下東京観光へ繰り出しており、実質的なオフである。紫原の帰省を聞きつけて同じように実家に帰ってきていた社会人の兄姉から昨日は一日中構われて――2m越えと兄弟の中では一番大きな体格をしていても、末っ子は可愛いものである――今日は好い加減一人でゆっくりしたかったので、家を飛び出した現在。あろうことか財布と菓子を忘れ、空腹を満たせずやる気もでず。そうして無気力に
なった紫原は、ぼんやりと公園のベンチに座って空を見上げるしかなかった。
「あ〜……お腹空いた……」
ぐるる、と腹から音がする。もういろいろと面倒くさいから一度帰宅しようか。そう思ったものの、一度自覚した空腹は、すぐに腰を持ち上げることを躊躇わせた。少し落ち着くまではこのまま座っていよう――そう思ったとき、紫原の鼻を仄かな甘い香りが擽った。
「お?」
「んぁ?」
ここで補足すると、常日頃その巨体故人目を集めやすい紫原は、小休止の際自然と人目の少ない場所を選ぶようにしていた。つまり、彼が今座るベンチは周囲を緑に囲まれた、公園内でも使用頻度の低い小道の途中にある。だから現れた人影が紫原の存在に驚いて目を丸くすることは普通のこと――だったのだが、どうだろう。声こそ僅かに上ずっていたように聞こえたが、紫原が首を回して見やった先にあったのは、ピクリとも動いていない能面だった。
「……」
「人がいるとは思わなったな」
誰かを連想させる淡々とした態度で、青年は何かを考えるように視線を動かした。
「すまないが、相席しても良いだろうか。他のベンチは濡れていたり満席だったりで、使えなくてな」
「……まぁ、いいけど」
それなら紫原はさっさと立ち上がって帰宅した方がいい。そう思って足に力を入れかけた紫原は、しかしその動きを止めた。紫原の許可を得てベンチに座った青年が開いた鞄から、先ほど鼻を擽ってきた甘い香りがしたからだ。
ぐぅうと腹が鳴る。
「……」
青年の視線が向けられていることを感じ、紫原はサッと顔を背けた。
「……空腹なのか?」
「……アンタに関係ないし」
「……食べるか?」
「ハァ? 初対面の人間にたかるほどじゃねーし」
ムカッとしながら、紫原は振り返る。それを待っていたかのように、青年は手のひらに乗せた袋をズイと正面へ突き付けた。甘い香りが強くなる。チョコチップが練りこまれた、一口大のパンが幾つもゴロゴロと入っていた。
「菓子パンを作ったのは初めてなんだ。妹はダイエット中だと言うし、部活の奴らはそもそもあてにならん。第三者の感想が欲しいのだが」
「……」
「それに、初対面ではあるが、俺はお前のことを知っている。陽泉高校の紫原」
ぴく、と紫原は思わず反応し、青年の顔を見つめた。淡々とした声と先ほどからピクリともしない表情筋は、バスケについてとことん合わない嘗てのチームメイトを想起させる。しかし、彼でさえ光を灯していた瞳には、マッチの火ほども明るさが見えない。陸にあげられた魚のようで、少し気味悪かった。こんな目をした人間を、紫原は知らない。そもそも、あまり他校のプレイヤーに興味を持たないのが、紫原ではあるのだが。
「……俺は、知らない」
「そうだろうな。霧崎高校の古橋だ」
「霧崎……ああ、黒ちんを怒らせたキャプテンがいる」
「そうだ。そこでSFをしている」
いつの間にか手の平に乗せられていた菓子パンの袋を見やり、紫原はため息を吐いた。
「赤ちんも嫌ってた。ラフプレイばかりするチームの奴が、パン作りしてるの?」
「趣味はまた別にあるものだろ。あの鉄心だって、花札が趣味とか雑誌のインタビューで答えていたじゃないか」
鉄心――木吉鉄平のことか。WCでの苦い思い出が頭をよぎり、紫原は顔を歪めた。もうどうにでもなれと思いながら、紫原は少々乱暴に袋を開くと、彼の手には小さすぎるパンを二つほど掴んで口に頬りこんだ。一口噛んでから、ラフプレイヤーなら下剤でも仕込んでいる可能性があったと思ったが、向こうもこちらも、WCは既に敗退している。そうする理由がないとも思い直し、咀嚼した。
「……うまい」
「そうか」
「木吉の名前だしたことはムカつくけど」
生地はもちもちと柔らかく、時折ガリっとしたチョコチップの触感が楽しい。甘さも紫原好みで、小腹も満たされた。
「何だ、お前も木吉嫌いか。うちのキャプテンと同じだな」
「げぇ、霧崎のキャプテンってあの火神より眉毛が面白い奴でしょ? 気が合うと思われたくないー」
「……キセキの奴らはみんなそんな感じなのか」
古橋が誰を思い出したのか、紫原は何となく分かる気がした。その間もペロリと菓子パンをたいらげた紫原は、指についたチョコと舐めた。
「……ありがとう、おいしかった」
「そうか。それは良かった」
あのレシピは当たりだったか、と呟き古橋は取り出したA5サイズのノートへ筆を滑らせる。高身長の紫原がその手元を覗き込むのは容易で、中身はどうやらパンのレシピ集だったようだ。印刷物を張りつけただけのものもあれば、そこへさらにペンで書きこみをしている様子もある。マメなことだと、紫原はこっそり舌を出した。
「……また、作ったらちょーだい」
古橋がパタンとノートを閉じた頃、紫原は小さな声で呟いた。古橋は昏い目で紫原を見上げ、パチリと一つ瞬きをする。
「アンタの菓子パン、うまかったし」
「それはいいが……お前、秋田の高校だろ?」
「実家は東京だし」
古橋は首を回し、少し視線を動かした。何かを考えているのだと、暫くしてから紫原は気が付いた。
「……まぁいいか。予定があえばな」
小さく吐息を漏らしつつ、古橋は携帯を取り出す。
その日、紫原のメッセージアプリの友達欄に、後々それを見つけた氷室が目を丸くする名前が、登録された。
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