バースデーソングは歌えない。
部屋の隅で、只管こちらにも目をくれず、小さな紙切れに鉛筆を走らせる少女。何度か挑発的な言葉を投げかけてそのカウンターを向けられたが、全て軽く捻り潰せる程度のものばかり。掴んだ手首はその体躯通り細く、小柄な部類の自分よりも小さい。
簡単に、死にそうだ。その諦念感や言動も含めて、エラン・ケレス5号と呼ばれる男が抱いたのは、そんな感想だ。一番は、誰かと同じ、目をしているから。
何も映さない、ただの黒い板に目を向ける。磨かれた鏡面に指紋や埃は見当たらず、そこをじっと見つめるふてぶてしい顔の男と目があった。


「×××」
何度言葉を投げかけても止まらない背中に焦れ、グイと肩を掴んでこちらを向かせる。
「おい、呼んでいるだろ」
「……なに」
パッと肩に乗る手を払い、彼は無感動な瞳でこちらを見つめた。その、薄い黄緑色の虹彩にそっくり同じ顔が映っていることに気づき、気味が悪くなって思わず視線を逸らす。
「アイツが死んだって?」
「うん、だから僕が呼ばれた」
そうして彼は調整を済ませたと言う、制服の袖を持って腕を広げて見せた。既に前任者となった男が着ていたものを見たことがあったが、それと少しデザインが違う。外見(ガワ)はどうとできても、骨や筋肉からなる体格は調整がきかないこともある。そういった微妙な違いを隠すため、制服は人形が交代するたびに弄ることになっていた。
前任者は、彼よりも骨ばった身体をしていた。それをできるだけ隠すために、彼の制服は二の腕がゆったりとしたデザインとなっているし、手の筋が目立たぬように手袋の着用が指示されたようだった。それを一通り眺めて吐息を漏らすと、彼は軽く小首を傾げた。
「いや、窮屈そうな制服だよね、相変わらず」
「……そう」
にべもない返事。苛立つことはない、いつも彼はこうなのだから、慣れたものだ。
「なぁ×××、」
「4号」
こちらの言葉を遮って、彼はピシャリと言った。珍しい反応だった。
「前任者が3号だから、僕は強化人士4号。そうでなければ『エラン・ケレス』だ」
胸を張るでもなく、凛と背筋を伸ばすでもなく、彼は淡々と胸元に手を添える。さすがにその様子には苛立ちが生まれて、フンと鼻を鳴らしてしまった。
「せいぜいうまくやんなよ。俺が代わるときに、面倒な状況になってるなんてことがないように」
「……僕の後任が君だとはまだ決まってないだろ」
彼はそう言いながら、溜息を溢した。
「……まあ、そうだね。君の言う通り、せいぜいうまくやるよ」
言葉は殊勝なものだったが、ふと逸らされた瞳は相変わらずガラス玉のようにツルリと辺りを映しているだけだ。オリジナルに合わせた色にするため弄られているから、不自然さがないことは否めない。それでも、彼の双眸がビイドロのように見えるのは、彼自身の心がそうさせているのだろうとは思っていた。
「なぁ、」
「うん?」
ガラス玉が動き、そっくり同じ顔を映す。やはり気味の悪い感覚がこみ上げて逸らしたくなったが、ここでそれをしてしまうとどうにも負けた気がして、唇を引き結んで耐えた。
「……せいぜい、……うまくやんなよ」
「うん……?」
先ほども聞いたと言いたげに、彼は首を傾ける。そんなことは自分がよく分かっているから、サッサと踵を返して元来た道を戻った。

――死なないようにね。
(なんて、言えるわけがなかったよね)
自分は彼のようなスペアに過ぎず、命は等しくちっぽけなものだった。等しく同じ顔にされ、等しく同じ体つきになるように食事と運動を強いられ、等しくパーメットの耐性とモビルスーツの操作技術を与えられた。そんな中で、自分のように生にしがみつく者は珍しくないし、全てを諦めたフリをする者も、また同じだった。
それでも自分は――『5号』というナンバリングを与えられただけのスペアである自分は、『4号』と呼ばれたあのエラン・ケレスはそこそこ気に入っていた。全てを諦めたフリをするうち、生も死も、そこへ至る道すら、自分で選べなくなった男。処分されるときだって、今までの奴らは泣き喚いて暴れていたのに、彼だけは唯々諾々と手足を拘束されることを受け入れたと聞いた。それを笑い混じりに話して教えてくれた本物のエラン・ケレス様は、性格が悪い男だなぁと思った。その話を聞いたとき心の底から「馬鹿だなぁ」と呟いた自分も、同じくらい性格が悪いけれども。
死んでほしくないと、少しは思う程度に、5番目の自分は4番目の彼を好ましく思っていた。部屋の隅で蹲る彼女のように、ポッキリと心を折ってしまうほどではないけど。そう、思っているけれど。
黒い鏡面に、能面とは程遠い、のんびりとした時間を楽しむ顔が映っている。腕を伸ばし、リモコンを手に取る。前任者より肩幅があった自分に合わせて、肩から肩甲骨を隠すためにデザインされた制服の裾が揺れる。
誤差を誤魔化すためのこれも、もう鬱陶しい。そろそろちぎっても良いだろうか。ぼんやりとそんなことを考えながら、リモコンのボタンを押す。
黒い鏡に映った能面が掻き消えて、アナウンサーのしかめっ面が顔を出した。
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