君の旅路へ祝福を。
「スレッタ」
身体が、ふわふわと揺れている。じんわりと暖かい。首から下をぬるま湯につけたよう。
「スレッタ・マーキュリー」
スレッタがハッとして目を開くと、視界いっぱいに若草の色が広がっていた。
「わ!」「おっと」
驚いたスレッタの身体が滑り落ちそうになったので、冷静に伸びてきた腕が支えてくれる。
「あ、ありがとうございます――エランさん」
「うん、気をつけて」
タッセルの耳飾りを揺らし、エランはスレッタを支えていた腕を離す。そうして彼女が体勢を整えたのを見下ろして、彼は小さく呟いた。「ごめんね」
「え?」
「随分、ひとりにしてしまったみたいだったから」
「そんな、そんなことないです!」
慌ててスレッタは両手を振った。確かに待ち合わせ時刻を随分と過ぎたためうたた寝をしてしまったが、エランを悪く思ってはいなかった。視線を動かして、スレッタは「あれ?」と小首を傾げる。先程までデジタル時刻が表示されていたと思ったが、それがどこにも見当たらなかった。しかし日はまだ高いままだから、相当な遅刻ではない筈だ。
「本当に?」エランが静かに問い直すので、スレッタは彼を見上げて深く頷いた。
「本当です。さっきまでミオリネさんも一緒にいてくれましたし、今朝はチュチュさんたちに元気よく送り出されました! だから、ひとりではなかったです!」
「……そう」
それは良かった、とエランは目を細め、口元を和らげた。スレッタは思わず目をパチリパチリと動かしてしまい、それを見つけたエランが再びどうかしたのかと訊ねる。
「いえ、エランさん、最近もっと大きく笑うようになったから……今みたいな笑い方、久しぶりな感じがして……」
「そう……ごめんね。いつもみたいに笑えなくて」
「いえ! エランさんが自然体で笑える笑い方でいいんです! ……ただ、私が、そっちの笑顔の方だと安心するなって、思ってしまっただけで……」
スレッタは少し恥ずかしくなって、視線を落とした。だから目の前に立つエランがどんな顔をしていたか、静かに凪いでいた瞳にどんな感情を乗せたか、知らない。
「ありがとう、スレッタ・マーキュリー」
「え?」
「僕が、そう言いたくなっただけだよ」
はい、とてを差し出されたので、スレッタは思わずその手袋につつまれた白い手を見つめた。スレッタが顔を上げると、エランはまた小さく微笑んでタッセルの耳飾りを揺らす。あれ、とスレッタはまた思った。
「その耳飾り、久しぶりに見ました」
「スレッタ・マーキュリー」
スレッタの言葉を無視して、エランは彼女の手をとると腕を引いた。「わ」と戸惑う声が聞こえても構わず、エランは彼女の姿勢が伸びるように立ち上がらせる。
「ハッピーバースデー」
「エラン、さん?」
「ハッピーバースデー、スレッタ」
じわ、と辺りが歪んでいく、この滲み方は、何度も見た。つい先程も。
「もう君を縛るものは何も無い。だから進んだ先で掴めるものは、ふたつ以上だ」
じわり、じわり。目の前の彼の顔も、雨で濡れた水彩画のように滲んで、溶けていく。
「どこへ進もうと、帰ろうと、君の望むまま。彼女の隣を願うなら、それもまたひとつの選択」
「エランさん、何を、」
「ハッピーバースデー、ただのスレッタ」
ああ、これは、スレッタの目にたっぷりと涙が浮かんでいるせいだ。それに気がついて思わず目を閉じる。向かいに立つ気配が動いて、瞼の上に温もりが触れた。
「君に、めいっぱいの祝福を」

スレッタが目を覚ますと、そこは宇宙でもなく、あの日の約束のベンチでもない。どこかの仮眠室のような、無機質な部屋だった。
ぼんやりと天井を見つめながら、誰がここへ運んでくれたのだろうと、突き止める気もない疑問に頭を動かす。辛うじて覚えているのは、ふわふわと揺れていた自分の身体。誰かが、抱えて運んでくれたのだ。
目を閉じる。胸に指を絡めた手を乗せて、肺を膨らますように息を吸う。
瞼の上を優しく撫でるような温もりが、蘇るようだった。
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