page3:蜘蛛の糸

諸伏には、後悔してもしきれないことがある。それは長年自分を苦しめた父母惨殺事件の血の匂いよりも深く、強くべっとりと自身の心に纏わりつき、首を絞め続けている。
『そう』と気づいたあのときから、うまく呼吸ができない。その理由を、諸伏はしっかりと理解していた。――諸伏が隠し事を勝手に開かせてしまったが故に、己の心を分け合った半身が姿を消してしまったためだ。
「……ゼロ」
酷く乾いた音が、砂だらけの地面に落ちる。陽の光が降り注ぐような声は、どこからも聞こえなかった。


諸伏景光の救済作戦報告書


諸伏景光は、警視庁公安部所属の捜査官だ。現在は『黒の組織』と仮称する犯罪組織の全容を掴むため、潜入捜査官として潜っている。しかし、それは表向き――職務上の理由である。諸伏景光本人は、全く別の理由でその組織を探っていた。それと言うのも、警察学校卒業と共に行方を眩ませた長年の幼馴染とよく似た外見的特徴の男が、その組織を出入りしていると噂されていたからだ。
降谷零。小学生のときに出会い、諸伏の失った声と記憶、そして過去を乗り越えるための仲間を与えてくれた大切な幼馴染。珍しい色をしているため嘲笑の目に晒されながらも、持ち前の胆力で強く真っ直ぐ生きていた少年は、諸伏にとって光であり、半身だった。諸伏より何倍も強い彼だが、時折悪夢に涙を流していることを、諸伏だけが知っていた。
親しい人たちが遠くへ行って、孤独に震える悪夢を見るのだと。彼が諸伏に教えてくれたのは、父母の月命日に一人寝ができないが養父母を心配させたくないという悩みを打ち明けたときだった。「僕も、夜眠れないときがあるんだ」と、ひとりではないと教えてくれた。
諸伏はそれを、彼の許可も得ずに人へと話してしまった。自分が過去を乗り越えられたから、その力を貸してくれたからと。降谷はその数日後、卒業証書を受け取ると諸伏の前からも姿を消した。警察庁から声をかけられていたと聞いたが、辞表を出して断ったらしい。
諸伏の世界から、光が消えた瞬間だった。
公安部へ配属されたことを幸いと取り、秘密を共有した友たちとの連絡を断った。そうして、これ以上誰も頼らない、誰にも秘密を話さないことを決めていた。
違法行為で入手した情報で、降谷が気にかけていた家族の生き残りが、とある列車に乗車することを知った。自分はとっくにリタイアしていたが、組織の情報を掴める位置に鳩は残していた。そこから得た情報で、その生き残りが組織を脱走し、追われている身ということは知っている。
もしかしたら、降谷が追手として現れるかもしれない。藁を掴むつもりで、諸伏もその列車に乗り込んでいた。まさか、連絡をとった友の一人とまで遭遇するとは思わなかったが。
「オレが勝手に話したせいで……オレが裏切ったから、アイツは消えたんだ……!」
連絡を断った理由を詰められ、諸伏は思わずそう吐き出していた。襟首を掴んでいた松田は、古傷を抉られたように顔を歪めた。
「……本当にそれで、アイツが救えると思ってんのかよ……!」
「……」
その言葉に対する答えを見つけるより早く、諸伏の瞳はとある人間の姿を捉えていた。


下手を打ってしまった。諸伏は内心舌を打ちたくなったがそれを堪え、目前に立つ仮の姿で師事する探偵へ笑顔を向けた。足元に立つ少年探偵や、背後でこちらの一挙一動に目を光らせる同期たちからも意識を逸らしてはいけない。
「どうかしたのか?」
エレベータの回数をカウントしていた少年は、既にこの場から姿を消している。彼の『ゼロ!』という声に反応を示してしまったのは、まずかった。気が緩んでいたというより、張りつめ過ぎていたためだ。……まぁ反応を示してしまったのは、列車でのことを聞きつけてこちらを問いただしに来た同期三人も同じだったが。
「いやぁ」不思議そうな顔をする毛利とコナンへ対してヘラリと笑って見せたのは、萩原だ。
「俺らの職業上、連想しちまう部署があるじゃないすか。それでつい、身構えちまって」
「ああ……」
元刑事だけあって、毛利もすぐ思い当たるものに気が付いたのだろう。少し肩を竦めて明言を避ける。くん、と諸伏の裾を引っ張ったのはコナンだ。
「……緑川さんは?」
「……ちょっと、昔の知人の綽名と一緒でさ」
目敏い少年探偵を誤魔化す言葉を他に見つけられず、諸伏はそう言葉を濁した。「へぇ」と低い声が背後から聞こえる。首を少しそちらに向けると、サングラス越しにこちらを見やる瞳と目があった。
「奇遇だな、俺らにもいるんだわ。『ゼロ』が綽名の知り合いがよ」
「……へぇ、奇遇ですね」
諸伏はニコリと口端を持ち上げる。松田はヒクリと口端を引きつらせた。彼を落ち着かせるように、ポンポンと伊達が肩を叩く。
「そういや緑川サンは人探ししてるんだっけ? 協力してやろうか?」
「いえ、こちらも伝手がありますので、お気遣いなく……」
にこやかな笑顔を浮かべるとほぼ同時に、とある病室から悲鳴が響き渡った。


病院の事件は無事解決。毛利は帰宅し、容疑者を連行するため松田たちが乗り込んだパトカーが病院敷地内を出たことを確認後、諸伏はそっと病院の奥へと足を進めた。
病院にコネがあるのは、FBIだけではない。むしろこの国に住み、この国の警察官である諸伏こそ、こういったコネは作りやすいのだ。今回もそれを利用し、とある人物を匿っている。
「……」
とある一つの扉を開き、しっかりと閉める。見張りはいない。公安部はおろか、鳩として使っている中にも、このことを漏らさないと確信できるだけ諸伏が信頼している人間などいないからだ。だから申し訳ないが、手足に一つずつ手錠をかけてベッドの支柱と繋ぐという、人道に反した方法で拘束させてもらっている。
部屋にただ一つあるベッドへ歩み寄り、その枕元へ手をついた。照明を遮るように諸伏が顔の上へ影を作っても、閉じた目蓋は震える素振りすら見せなかった。
「……ごめん、ゼロ」
あの日から、再会した幼馴染は起きる様子を見せていない。
酷い火傷だった。至近距離で手榴弾の爆風を受けたのだから、それも当然だ。そのときのことを思い出し、諸伏はギリリと歯を噛みしめた。
事情は分からない。しかしあの男は紛れもなく、諸伏の幼馴染へ向けて手榴弾を投げつけた。あの細い車両で、ピンを抜かれた手榴弾が爆発するまでの短い時間、逃げおおせる場所などどこにもなかった。諸伏が飛び出していなければ、爆風で煽られた身体は走行中の車両から線路へ転がり落ちてしまうところだったのだ。
あの男は――沖矢昴は、確実にバーボンと名乗る彼を殺そうとしていた。確保や無力化するではなく。
毛利小五郎の元で師事する中、幾度か顔を合わせたとき可笑しいと思ったのだ。妙に修羅場なれした身のこなしに、殺気に慣れた態度、時折懐へ何やら手を差し入れる動作。ミステリートレインの一件後、風見たちの協力を得て調べた結果、それも納得だ。
赤井秀一、もしくはFBIと、沖矢昴は何か関係がある。FBIの捜査官である可能性が高い。向こうのホームは、銃社会だ。軽率に、犯罪者に対する抑止力として銃器を取り上げる。ミステリートレイン内で、バーボンへ向けて手榴弾を投げたのも、その感覚があったためだろう。
しかし、ここは日本だ。銃はおろか、手榴弾など警察だって滅多に使用することなどない。
無許可の捜査や不法滞在くらいなら、同じ敵を捕える組織として幾らか目こぼししたかもしれない。それだって甘い考えであることは、諸伏とて自覚している。しかし、ミステリートレインでの行動はいただけない。他でもない、諸伏の唯一である幼馴染を死へ追いやったのだから。
埃をすっかり取り払った金髪を指ですく。サラリと指の間から、金髪は零れ落ちていく。諸伏は何も残らない手のひらを、グッと握りしめた。
「……ゼロ、オレ、お前が何を考えているか分からないよ」
ずっと隣にいたのに。離れていても、何をしているか、何を考えているか分かるほど、心を通わせられていると自負していたのに。今はこんなにも、彼が遠い。
幼馴染が何を目的としてあの組織に留まっていたかは分からない。それでも、これ以上彼をあそこに留まらせておくわけにはいかなかった。諸伏の心が、それを赦し難かった。しかし、これで保護できて安心とはならない。ミステリートレインで、バーボンはベルモットと行動を共にしていた。爆発に巻き込まれてしまったと思われていれば良いが、警察の手に落ちた裏切り者と判断されていたら厄介だ。どうにかして組織の目を欺き、バーボンから意識を逸らさなければ。
「オレはお前を……死なせたくない」
「だったら頼れよ」
ハッとして、諸伏は振り返った。いつの間にか病室の入り口に、萩原たちが立っている。本庁へ戻った筈の松田や伊達まで。「どうして」と掠れた声で呟くと、松田は少々不機嫌そうな顔で「元々非番だったからな、適当なところで切り上げてきたんだよ」と答えた。先に萩原が諸伏を探して病室を突き止めていたらしい。
ヨロリと、諸伏はベッドに腰を預けた。厳しい先輩が聞いたら、酷く叱責を受けてしまいそうな失態だ。
俯く諸伏の顔を上げるように、ズカズカと近づいて来た松田が乱暴に胸倉を掴んだ。二人に大した身長差はなかったので、諸伏があまり顔を上げるには至らなかったが。
「あのときもゼロはお前の言葉を待ってやってたけどなぁ、俺らはアイツほどお前に対して優しくはしてやんねぇんだよ!」
「……っ」
ぐ、と下唇を噛みしめる諸伏の肩へ、伊達がそっと手を置いた。
「あのときも言っただろ、何だかんだ俺たちが揃えば、」
「なんとかなるって、ね?」
パチン、と萩原も片目を瞑って見せる。
「……でも、オレはもう、ゼロを裏切りたくない」
「そっちの事情は知るかよ。それよりも優先すべきことがあんだろ」
松田は諸伏を離し、その手でベッドを指さした。
「こいつを死なせねぇために、お前ひとりで組織の目を欺けんのかよ!」
「!」
「お前の後悔も呵責も、お前のもんだ、俺らが口だすことじゃない。好きに折り合いをつけたらいい。けどなぁ、俺らだってコイツを救いたいのは同じなんだ。協力ぐらいさせろ」
言葉の荒い松田に、伊達や萩原は苦笑していても口を挟むことはない。乱暴な言い方だが、言いたいことは彼らも同じだったのだろう。
諸伏はギュッと握りしめた手を解いて、ベッドで眠る幼馴染を見やった。
「……班長、萩原、松田」
「おう」
諸伏は顔を上げる。隈の残る目から零れ落ちそうになるものを堪え、グッと歯を噛みしめる。
「オレはゼロを生かしたい……力を、貸してくれ」
松田たちはフッと口元を和らげ、返事の代わりに諸伏の肩をパシンと叩いた。



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