裏切りのステージ
「じゃあアンタにベースを教えてくれた男の人も、FBIだったりして……」
「まさか……兄が休暇で日本に帰って来たと時に会った友達じゃないか?」
世良と園子の会話に、安室は心中で首を振る。
(彼は警視庁公安部の潜入捜査官……そして……)
安室透の――降谷零の脳裏に、あの夜の記憶が蘇る。鉄と硝煙の匂いがこびりついた、暗い夜の記憶が。


「僕、ですよ」
突然聞こえてきた第三者の声に、コナンはハッと息を飲んだ。振り返ると、出入り口前に立つ安室と梓の姿がある。彼の希望で波土禄道のリハーサル見学を融通した園子は、「やっときた」と言った様子で手を振った。
彼らの会話を耳にしながら、コナンはそっとバーボンである安室を観察する。連れている梓はベルモットの変装だ。そんな組み合わせで現れたということは、波土の新曲『ASACA』のスペルの意味を探りに来たのだろう。それほどファンではない園子と蘭は帰ろうとしているし、このままでは赤井が扮する沖矢昴と彼らを取り残してしまう。それは、赤井の生存を組織側に知らしめてしまうかもしれない悪手に近かった。
「ほら、私たちは帰ろう」
「あ、いや、」
何と言い分けして自分もこの場に残ろうか。そう思案したコナンは、ゾクリと背筋を震わせた。この会場のどこからか、コナンを探るような視線が飛んできていたのだ。敵意は薄い、だが一挙一動を逃さないとでも言うような鋭さに、コナンは蘭に手を引かれているにも関わらず足を止めてしまった。
「? コナンくん?」
蘭が首を傾げた途端、コンサート会場の入り口から悲鳴が響き渡ってきた。


哀しい事件。過ちに気づき、それを償おうとしても仕切れず、自らを赦すこともできずに命を絶った男と、彼の名誉を守ろうとした女の罪。肩を落としたまま高木たちに促されて歩き出す背中を見送り、コナンはそっと傍らの男を見上げた。
今回、沖矢とコナンと共に事件を解決へと導いたが、その途中、度々心ここにあらずと言った様子を見せていた男。安室透。レフティの人間を憎んでいるという言葉から、赤井が潜入捜査官だった時期に何かしらトラブルがあったと推測される。しかし、当の赤井が口を閉ざすため、コナンにその事情はさっぱり分からない。
(胸ポケットの携帯にも反応していたし、それが何か関係あるのか……?)
それに、事件発覚の直前に感じた視線。それから幾度となくコナンの背中に突き刺さったが、いずれも安室と会話をしているときだった。沖矢へそれとなく聞けば、彼も同じように視線を感じていたらしい。それも、覚えのある視線――同じスナイパーとしての技術を持つ人間特有の視線であると。
この会場か、もしくは付近の建物に、バーボンの息がかかったスナイパーを用意していたということだろうか。
(やっぱり、あの人は分からない……けど、俺たちと敵を同じくする人ではある筈だ)
ならば、どこかで手を取り合う余地はある筈である。梓と共に会場を後にする黒いジャケットの背中を見送りながら、コナンはギュッと拳を握りしめた。


カンカンカン――古い金属を叩く高い音が、鼓膜にこびりついている。頭皮の下に走る脈が打つ感覚と重なり、酷い痛みとなって頭を絞めつける。ぐ、と左胸へ手を押し付け、そのまま身体を丸める。固い椅子にそうした姿勢で座っていると、頭上に「降谷さん」と控えめな声が聞こえた。
小さく息を吸って顔を上げる。頭痛はまだ治まっていない。
声をかけてきたのは、最近配属されたばかりの年上部下だった。風見はどこか青い顔をして「その、」と言葉を濁した。降谷は椅子から立ち上がって、そのときに自身の手や顔、服にべっとりと血がついたままであることに気が付いた。風見の顔色の悪さはこのせいかもしれないと思いながら、降谷は比較的綺麗な袖で手を隠し、風見を見やった。
「状況は?」
降谷の視線を正面から受けた風見は小さく息を飲みながら、
「……手術は成功。左肺は潰れていたようですが、バイタルに異常なし。先ほど、意識も戻ったようです」
「そうか……」
「会っていかれますか?」
いや、と否定しようとして、降谷はしかし風見の瞳が会うべきだと訴えている気がしてコクリと頷いた。
警察病院のさらに公安部の職員で警備をされた病室に、その男は運び込まれていた。
降谷が室内へ入ると、ベッドの傍らに立っていた職員はピシリと姿勢を正した。それから風見の視線を受けて頷き、彼と共に病室を出て行く。
パタンと扉が閉じられ、静かな室内には降谷とベッドで上半身を起こす男の二人だけになる。
「……ヒロ……」
降谷がその場に立ち尽くしたままだったせいか、男は困ったように笑って手招いた。ぎこちない足取りで近づき、降谷はベッドのすぐ脇――男が腕を伸ばすとすぐに触れられる位置で立ち止まった。
男の、点滴が繋がっていない方の腕が持ち上がり、降谷の頬に指が触れる。じわ、とした熱に、降谷は自身の身体が夜風で酷く冷えてしまっていたことに気が付いた。
「……」
はく、と男の口が動く。ぼんやりとその動きを眺めていた降谷は、ハッと我に返った。それから頬に触れたままの手を掴んで、困ったように笑う顔を覗き込む。
「まさか、声が……っ」
震える青い瞳を見つめながら、男はやっぱり眉を下げて微笑む。
悪い、ゼロ――彼の唇の動きから容易に言葉を理解することはできたが、慣れ親しんだ声はどこからも聞こえなかった。


ベルモットと別れ、一人安室は車を走らせていた。走行中、携帯に通信が入る。ハンドルを握ったまま見えるようにセットした画面を一瞥する。そこには、『1632』の数字が並んでいた。それを目で確認して、安室はハンズフリーで通話できるように耳へ取り付けたままにしていたイヤホンへ指を滑らせる。
「はい」
『……魔女は?』
「既に駅で降ろしている。車内は僕だけだ。虫もいない」
彼女が降車したとき、シートはしっかり確認済みだ。それを聞いて漸く電話口の向こう側からは、安堵したような吐息が聞こえた。
『波土禄道は関係なかったのか?』
「ああ。『ASACA』のスペルは、たまたまだったらしい」
不運な一致だ。スペルと十七年前という二点の合致から、組織のナンバー2に目をつけられてしまうとは。
「それよりもアレは何だ。挑発のつもりか?」
分かりやすい視線を寄越してきて、コナンや沖矢だけでなく居合わせた松田にまで睨まれてしまった。
『まあそれは……来葉峠の話聞いて、ちょっと信じられなかったから……』
要は、沖矢昴が赤井秀一の変装だと信じ切れなかったために凝視してしまったと。ベルモットの変装のことを知っている筈なのに、何を今さら。しかしまぁ、沖矢と赤井の関連については安室自身も疑っているし、何より赤井秀一という男に好感は持っていなかった。そのため安室は吐息を一つ漏らすだけに留め、ハンドルをきった。
「それよりも、引き続き動くときは警戒しろよ。本名はバレていなかったしコードネームもうろ覚えだったが、所属はバレているんだ。何かのきっかけで顔を覚えられていても可笑しくない」
『……分かってるよ』
固い声で了承が返って来る。前方の信号が切り替わったことを確認し、安室はゆっくりとブレーキを踏んだ。車を停止させたところで、イヤホンから『あーあ』と伸びる声が聞こえてきた。
『オレも赤井やベルモットみたいに、完璧な変装できたらなぁ……もっとゼロのサポートに集中できるのに』
「……もう十分すぎるほどだよ」
逃げ場のない追い詰められた状況で、家族や同胞を守るためだけに引き金を引いた諸伏景光。彼は内臓逆位という身体的特徴と少しの運のお陰で、その一命をとりとめた。しかし代わりに片方の肺を失ったため長時間の激しい運動はできず、さらには強い負荷によって幼い頃克服した筈の失声症を再発してしまった。
降谷は、彼を長野の親族の元へ連れて行こうと考えていた。周囲には退職したと吹聴していた彼だ、兄の元でのんびりと静養しても不都合はない。長野なら、東京都に比べてある程度組織の目からも逃れることができる。しかし、それを拒否したのは諸伏本人だった。捜査官のプライドと、幼馴染だけ残していく不安があったのだろう。彼は黒田が示した一年というタイムリミット内に声と、入院生活で失った体力を取り戻し、降谷のサポート役として復帰した。その胆力たるや、降谷はほとほと感心してしまったほどだ。
『――ゼロ』
降谷はハッと回想から我に返った。いつの間にか信号は青に変わっている。後方車両がなかったことは幸いした。丁度良いタイミングで声をかけてくれたものだと妙な感心を抱きながら、降谷はアクセルを踏む。
『オレは、いつでもお前と一緒だ』
「……ありがとう。心強いよ、ヒロ」
ニヤリと口元に浮かぶ笑みを隠し切れず、降谷は真っ直ぐな光を宿した瞳を進行方向へと向けた。
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