スコバボとクロオバ(3)
トオルが扉を開いたのは、随分と夜が更けてからだった。とうにバンコランは退室しており、室内に一人で残っていた。上着を腕にかけながら部屋を出ると、差し向かいの柱に影に小さな気配を感じた。耳元の髪を指で掬い、トオルは小さくそちらへ微笑みかけた。
「やぁ、ずっと待っていたのかい?」
隠れていたつもりはないのだろう、気配を消しきれてはいなかった。声をかければ素直に少年――バンコランがマライヒと呼んでいた彼は、姿を現した。
幼さの残る顔立ちの中、鋭い瞳がトオルを射抜いた。
「……」
「何か用かい?」
「……彼に、触れたの?」
その言葉はトオルが予想した通りで、思わず苦い笑みがこぼれた。途端にマライヒからの視線が鋭さを増すが、誤解なきようにと手を振る。
「これも仕事だからね……と、あまり意地悪しては彼にも怒られるか。安心して、少し胸を借りただけだ」
トオルの言葉に、マライヒは聊か納得しかねる様子。それもそうかと、トオルは内心納得していた。あの手の動きは余程の好色と見た。きっとこの少年も気が気でない夜を幾度も過ごしたことだろう。
「心配なら、先に部屋に戻った本人から聞けば良いだろう」
まぁ、それができていれば、トオルが出てくるまで部屋の外で待っていない。フンと鼻を鳴らし、マライヒは腕を組んだ。
「……アンタの恋人がなんて言うかね……僕も彼の胸を借りても?」
トオルは肩を竦めた。
「アイツは優しいから、貸してくれるよ。……最も、最後はちゃんと僕のところに返って来る。君の彼も同じさ」
む、とマライヒは口を噤んだ。トオルはヒラリと手を振って、宛がわれた部屋へ足を向ける。その背中へ向けて「ねぇ」とマライヒが声をかけた。
「……どうせ偽名なんだろ? 本名を聞いても?」
「バーボン、トオル……今はこれしか教えられない」
「そう……何か意味が?」
「そうだね……バーボンはただのコードネームだけど」
偽名を相談したときのことを思い出し、トオルは小さく笑みを零した。
「日本語で透明(クリア)を意味するんだ。……それが似合っているって言われたら、採用してしまうだろ?」
肩越しに視線だけ向けると、不機嫌そうだったマライヒはすっかり呆れた表情に変わっていた。
「……藪を突いたようだね。悪かったよ」
「それはどうも」
ニッコリとバーボンの笑みを返し、トオルは今度こそ部屋へ向けて歩き出した。


部屋へ戻って来るなりソファに転がったバーボンを見下ろし、スコッチは吐息を漏らした。呆れではない、安堵だ。戻ってきた時刻は気にかかったが、押し付けられたジャケットや床に落とされたネクタイからは、それらしい匂いや痕は見受けられな。しかし彼の態度はどういうことだろうかと、スコッチは首を捻りながらソファの背もたれに手をついた。
「……なんだか悔しい」
クッションへ顎を乗せ、バーボンは呟いた。
「ハニトラせずに済んだようで何よりだ。本業の名刺は?」
「彼の胸ポケットには入れたし、少しだが話もできた」
バーボンが身体を起こしたので、スコッチはその隣に腰を下ろした。
「良いつなぎになるかな」
「イギリスでも烏は害鳥らしいからな」
組織のスポンサーを得ることと並べてもう一つ、二人には課せられた任務があった。それは、イギリスの諜報機関であるMI6と、対黒の組織について繋ぎを作り、潜入捜査官としての顔を見せておくこと。こればかりはバンコランが男色家で良かったと思う。閨まで虫を放つ悪趣味者は組織にだっていないし、密着して囁き合えばある程度の密談となる。
スコッチこと諸伏としては、些か複雑な気持ちだったが。特に濃い接触がなかっただけ良いとするべきか、そもそも仕事だと割り切るべきか……などと考えていると、諸伏の胸元に温い手が這った。犯人は隣に座っていた彼以外おらず、諸伏は慌てて悪戯をしようとする手首を掴んだ・
「おい、ここ客間だぞ」
「汚すつもりはない」
「いやモラルの問題……」
正論を返そうとした口は塞がれ、そのままソファに押し倒される。腰を跨いでソファに膝をつき、降谷は少し口を離した。
「視線を感じる」
「ここに虫はいない筈じゃ……」
二人に組織からつけられた盗聴器の類がないことは、とっくに確認済みだ。顔色を変える諸伏の肩へ手をおいたまま、降谷は顔を顰めた。
「そう言えばここの主が盗聴の悪癖があると言っていた……」
「はあ?」
思わず、諸伏は声を裏返した。ガバリと諸伏が身体を起こすと、降谷は既に辺りへ視線を向けていた。
「どこに……って、」
「花瓶が!」
人の胴体ほどの大きさの花瓶から、わさわさとした手足が生えて壁を這っていく。ぎょっとして目を丸くする諸伏は、思わず降谷の肩を引き寄せていた。腰に忍ばせた拳銃を取り出そうとすると、その手を降谷が止める。
「落ち着け、あれは……」
花瓶から伸びる花の隙間から、にょっきりと大福のような顔が現れる。蛙を潰したような悲鳴を上げそうになって、諸伏は寸でのところで口を手の平で覆った。
花瓶から顔を出したのは、昼間商談で顔を合わせたこの国の王――パタリロだ。花瓶から四肢を生やしたパタリロは壁に張り付いた状態で、キョロキョロと辺りを見回した。
「何だ、本当にカップルだったのか」
「そ、それを確かめるために、わざわざ……?」
諸伏は引きつる口元だけは隠せない。降谷は口を開こうとして、ゾワリと背筋を撫でた感触に「ひ!」と悲鳴を上げた。
「ほれほれ〜」
いつの間にかソファ近くまで移動したパタリロが、マジックハンドで降谷の腰を撫でているのだ。マジックハンドの細やかな指の動きに、ゾワゾワとした感覚がこみ上げてきて降谷は背中を丸めた。
「で、殿下、ご無体を!」
「ほれ、そちらも」
「ひ、うわ!」
彼を庇おうとした諸伏へも、もう一つ現れたマジックハンドが襲う。虚を突かれた諸伏が身悶えていると、降谷に向いたマジックハンドの手が緩み、その隙をついた彼が拳を振り上げた。
「好い加減にしろ、馬鹿王子!」
バリンと窓ガラスを割って、小さな身体が夜の庭園へ落ちていく。息も絶え絶えだった諸伏は、赤い顔を途端に青くした。ぜぇぜぇと肩で息をする降谷を咎めれば良いのか、礼を言うべきなのか分からない。
「ウーム、アイツはマライヒタイプだったか……」
生垣に頭から突っ込んだパタリロは、呑気に腕を組んでそうぼやいた。
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