ハロウィンの花嫁編(1)
十一月二十七日、夜。
一人の男が、欠伸混じりに警察庁のビルから出てくる。ベージュの上着を羽織っていても冬口の寒さは防ぎきれないようで、少し震える様子を見せながらも、どこか機嫌よさそうに軽い足で歩いて行く。タプタプとスマホを弄りながら、男はやがてネオンの眩しい繁華街へと向かった。
画面と辺りを交互に見ながら、不意に男は足を止める。そのときだった。男のスマホに、受信が入ったのだ。
「よ、陣平ちゃん、お久〜」
いつの間にか、男の周囲に人気はない。ネオンの眩しい表通りから外れた隠れ家のような店が立ち並ぶ道端で、男の陽気な声だけが響く。
ジ、と立ち止まったまま男は徐に煙草をくわえ、火を灯した。
「いや〜、陣平ちゃんも大変だね、地方に出向だなんて……あはは、帰ってきたらあいつらも呼んでまた飲もうぜ」
フゥ、と男の吐いた煙が夜空へ溶けていく。男は何気なく建物と建物の隙間となる道へ入り、そこで壁にもたれかかった。
「俺? もう退庁したよ。……いや、何かメッセージが来てさ、お食事でもって」
通話相手に何か揶揄われたのか、男は「酷いな」と苦笑して煙草を指で摘まんだ。ふと、男は壁に沿うようにして置かれているポリバケツに目を止めた。こまめに手入れする人間がいないのか、ゴミが溢れて地面まで汚している。そのすぐ近くに、ポリバケツと同じくらいの大きさの布の塊が並んでいた。
それに目を止めたのは、男の職業故の勘だった。
どうかしたのかと問うてくる声を聞き流し、男はそっと布へ手を伸ばした。少し布を引くと、簡単にその下に隠れたものが姿を現す。
「!」
薄暗い路地でも目を引くような、ネオンカラーの水色とピンクの液体。二つが入っている筒の間で、爛々としたタイマーが音を立てた。
「! まずい!」
男は咄嗟に踵を返す。通話相手が酷く焦った声で何があったのかと繰り返し訊ねた。男は路地から飛び出して大通りの方――液体爆弾の予測爆破範囲外へ向かおうとして、まだこの通りに僅かであるが一般人がいることに気が付いた。
通話中のスマホを握りしめたまま、男は叫ぶ。
「早くここから離れろ! 爆弾がある!」
男の言葉を飲みこめず立ち止まる人々へ、男はもう一度同じ言葉を繰り返して大きく腕を振った。
その瞬間。
彼の背後から赤紫の炎と爆風が弾け、辺りを混乱のままに呑みこんだ。



十月二十八日、午前十時、警視庁。
捜査一課は朝から慌ただしかった。その理由は生活安全課の伊達にも届き、ギリギリとトレードマークの楊枝を噛みしめながら彼は古巣の扉を叩いた。
「おい、高木」
「だ、伊達さん!」
嘗て教育係を務めた男の登場に目を丸くしたものの、その理由をすぐに察した高木は顔を俯かせた。
「もう話は……」
「ああ、松田から聞いた」
「ま、松田さんも早いですね」
「あいつは殆ど第一発見者みたいなもんだからな」
高木が首を傾げていると、伊達の訪問に気づいた目暮と佐藤もやってきたので伊達は少し頭を下げた。
「耳が早いな、伊達くん」
「ウチはもうその話で持ち切りですよ……ま、俺は松田から連絡を受けたんですが」
「松田くんから? 彼、福岡に出向中でしょ?」
佐藤も眉を顰める。彼は解体技術を見込まれ、先週から福岡で発生している爆破予告事件の捜査のために出向している筈だ。都内の情報を、何故掴んでいるのだろう。
誰も聞いていないのか、松田が連絡していないのか。伊達はため息を咬み殺して頷いた。
「昨日、萩原は松田との通話中に襲われたらしい」
「まあ! そんな話聞いてないわよ!」
呆れたように佐藤は声を上げた。目暮は高木に、すぐさま松田と連絡をとるよう指示を出す。カリリ、と伊達は楊枝を歯の間で転がした。
「アイツ、今日の朝一の飛行機でこっちに戻るって言ってましたが」
「……ちゃんと向こうの上司に許可を貰っておるんだろうな」
「さあ……」
頭が痛いというように帽子へ手をやって、目暮は白鳥を呼び止めた。彼に、松田が出向した先の警察署へ連絡をいれるよう指示し、目暮はデスクの方へ戻って行った。
「萩原さんの容体は……」
「俺も親御さんに連絡したが、咄嗟に物陰に隠れたことで直撃は免れたらしい。布をかぶってたこともあって、全治一か月の火傷だと」
本当はすぐにでも顔を見て無事をこの目で確認したいところだが、伊達は捜査状況の方が気になって、一課に顔を出したのだ。
「今日は結婚式の警備訓練だったんですけど、それどころじゃなくなっちゃいましたね」
「結婚式の?」
千葉は、目暮の同期で元警視の結婚式に脅迫状が届いたため、捜査一課で当日警護する予定があり、その事前訓練が本日だったと教えてくれた。
「まあこっちを優先するべきだって分かってくれるわよ、まだ無差別テロかどうかも分からないのに」
代わりに生活安全課にお鉢が回るのではないか、と佐藤はわざと明るい口調で言って、自分のデスクへ戻って行く。
「何だ、頼むな。俺も何か手伝えることがあれば声をかけてくれ」
去年、交通事故で大怪我を負うまで世話になった古巣だ。それでなくとも、今回は警察学校時代の同期が巻き込まれている。伊達の言葉に千葉は嬉しそうに頷き、軽く敬礼のポーズをとった。

「本当は、結婚式の警備訓練だったんですか?」
綺麗な花嫁衣装と豪華な食事を期待していた少年探偵団の三人は、ガックリと肩を落とした。
「しかも、それすら中止?」
「仕方ねぇだろ、昨晩繁華街で起きた謎の爆破事件に、捜査一課がかかりっきりになってるんだから」
捜査一課と共に当日の警備と訓練を行う予定だった小五郎も、手持ち無沙汰になったわけだ。
ヒカリエを後にした毛利一家と少年探偵団は、靄のように空を覆う灰色の雲を見上げてまたため息を吐いた。
「なんだか天気もどんよりしていて、やな感じ」
「ほんとですね、嫌なコトが続きそうな予感です」
「腹減ったぜ」
揃って肩を落とす三人に苦笑し、蘭は「それじゃあ」と人差し指を立てて見せた。
「どこかでご飯食べていこうか。何食べたい?」
「はあ? さっさと帰ろうぜ。それかポアロでいいだろ。安室のハムサンドとか」
「安室さん、今日はお休みだって。梓さんが言ってたよ」
「またか、アイツは……」
小学生三人はキャアキャアと嬉しそうに飛び跳ね、好物を強請る。小鳥のように囀る三人に、小五郎は「少しは遠慮しろ!」と声を荒げた。

二人の男――公安部所属の降谷と風見は、都内の立体駐車場で降谷の愛車内で座っていた。
「現時点での、昨日の爆発事件の概要です」
風見から渡されたタブレットへ目を落とし、降谷は眉を顰める。
「元々人通りの少ない道だったのですが、重傷者が五名ほど」
「うち一人が萩原か……」
一命はとりとめ、意識も戻ったがすぐに現場復帰できるほど軽い火傷ではない。降谷は小さく息を吐いてハンドルを持つ手にコツリと額を当てた。
「アイツ、実は爆処に向いてないんじゃないか……?」
「……」
独り言だろうが、どう返事するべきかと風見は迷った。
萩原研二が爆発によって重傷を負ったのは、今回が初めてではない。ただでさえ危険な爆発物処理班ではあるが、こうしてテロ紛いの爆発に巻き込まれるのは早々ないだろう。姉と同じ交通機動隊の方が良いのではないか、という降谷のぼやきは聞かなかったことにして、風見は腕時計に目を落とした。
「目撃証言と遺留物からすると、三年前の事件と同じ爆弾か」
「その可能性が高いかと。三年前と同じく、目的がはっきりしませんが」
「望みは薄いが、このタレコミが少しは足掛かりになってくれると良いんだが……」
そこで言葉を止め、降谷はタブレットの画面を落とした。風見も息をつめ、フロントガラス越しに立体駐車場の奥へ目を凝らす。
駐車場に並ぶ車の影で、ウロウロと歩き回る黒いフードをかぶった死神の姿が、降谷の瞳にハッキリと映っていた。

小五郎の奢りで食事を済ませた後、歩美たちと別れたコナンは探偵事務所へと帰宅していた。
テレビをつけると、朝のニュースでも見た先晩の謎の爆破事件について、芸能人等コメンテーターが自分の意見を述べているところだった。ザッとコナンが見たところ、警察から発表された新しい情報はないようだ。ただ、目撃者によればネオンのような、鮮やかな色の炎が見えたらしいという情報が、コナンの頭に引っかかった。
「怖いねぇ、テロ事件なのかな」
「あー、明日目暮警部にそれとなく聞いてみるか」
現場が都内なだけあって、蘭も不安を隠せないようだ。コナンはじっと、ニュースに写された不鮮明な赤紫の炎の画像を見つめた。
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