純黒の悪夢編
明かりのついた室内を飛び出し、侵入者は暗い廊下を走る。
「逃がさないよ」
突然、角から飛び出した影が、侵入者の行く手を阻んだ。
窓から僅かに入り込む月光で煌めく金の髪。これがここにいることが、先ほど侵入者の手に入れた情報の裏付けだ。ニヤリと口元で弧を描き、侵入者は飛んでくる拳をいなしながら、窓から外へ飛び降りた。
廊下に残された影は舌を打って耳元のインカムに声をかける。
「下だ!」
「了解」
短い声と共に、エンジンのかかる音がする。それを待たず、影は明るい部屋から飛び出した部下と共に階下へ向かった。

警視庁の駐車場を飛び出したRX-7は、先に対象を追った相棒からの連絡を受けながら、首都高速へ向かう。途中、マスタングに気を取られかけたが、あと一歩まで追い詰めた、そう思ったのに。
「まさか、逆走か!」
大量のクラクション音の中、咄嗟にブレーキを踏んだ運転手は、苛立ちのままにハンドルへ拳を叩きつけた。

逆走して真っ向から向かってくる車の前輪を狙ったライフルは、しかし引鉄を引く直前で横から飛んできた別の銃弾によって僅かに進路を逸らされた。予期しない場所へ銃弾を受けた車体はバランスを崩し、マスタングの背後で瓦礫となりつつあったトラックと軽自動車にぶつかり、そのまま橋の下へと落花していく。
囂々と燃える炎の隣で橋の下に広がる水面を見下ろした赤井は、溜息と共にライフルを担いだ。
そこへRX-7が戻って来る。逆走した相手を追って戻って来たらしい彼は、車から飛び降りると赤井を見つけて顔を険しくし、それから燃え盛る橋と落ちていく瓦礫に全てを察したようで唇を噛んだ。
「随分腕の良いスナイパーがいるようだな」
「……ええ、だからそちらの手を借りるまでもない」
今回の襲撃は、協力しているCIAのNOCから聞いたのだろう。だから警視庁の近くで待機できたわけだ。
「これは公安の事件だ、FBIは手を出すな」
一般人が通報したのだろう、サイレンの音が聴こえる。降谷は最後にそれだけ言い捨てて、RX-7に乗り込むとこの場を離脱した。
一人残った赤井は携帯端末を取り出し、仲間へと連絡をとる。
その姿を、対岸からスコープ越しに覗く目があった。

【CASE:01 純黒の悪夢】

松田が警視庁へ登庁すると、何やら辺りが騒がしい。何かまた予告殺人でも起きたのかと松田が片眉を持ち上げていると、背後から肩を叩かれた。
「おはよ、陣平ちゃん」
「萩、班長もか」
「よ」
違う部署に配属された同期と顔を合わせるとは思わず、松田はますます眉を顰める。そんな幼馴染の言わんとしていることを察したのか、萩原はバシバシと松田の背中を叩いた。それから少し身を屈めた萩原は声を潜め「実は」と口火を切った。
「昨日の夜、警視庁に侵入者があったらしいぜ」
「らしい?」
「そ、あくまでも噂。入口の警備員が、上から飛び降りた人間と、駐車場のポールをぶち破る勢いで飛び出したRX-7を見たって」
「だが規制がされたのか、どの部署にも詳しい情報は降りてきてないらしい」
「おいおい、まさか」
聞き覚えのある車種に、松田は口元を引きつらせる。萩原は肩を竦め、腕を組んだ伊達は「だろうな」とぼやいた。
「ま、生活安全課には暫く話は降りてこないだろうな」
「爆処(ウチ)も、よっぽどないかなぁ」
というわけで、と二人はそれぞれ松田の肩へ手を置いた。
「何かあったら連絡ヨロ、捜査一課さん」
「……既にゼロが動いてるなら、俺んとこも同じ状況だろうぜ」
「ま、あの目暮班はそのままだんまりしなさそうだからな」
二人によろしく、と勝手に言い置いて伊達と萩原はそれぞれの所属部署へ戻って行く。登庁早々、面倒な言伝を預かってしまった、と残された松田はため息を吐いた。

佐藤や高木が、目暮のデスクに集まっているのを見て、松田はニヤリと口端を持ち上げた。丁度、目暮の言いつけで他部署に探りを入れていた千葉も戻ってきたらしく、松田もさり気なく輪に混ざる。
「ふーん、東都水族館で謎の記憶喪失の外国人に、情報規制された高速道路事故と警視庁の不法侵入ねぇ……」
(随分お仕事熱心なこって)
「ちょっと松田くん?」
「聞いてるよ。取敢えず、その記憶喪失の外国人に話聞いてみるか。行くぞ、千葉」
「え、でも、本人が警察を嫌がってるって、コナンくんから……」
「警察とバレないように話聞きゃいいんだろ」
戸惑う千葉を引き連れ、松田はサッサと部屋を出て行く。残った佐藤は「もう!」と呆れてため息を吐いた。
コナンたちから例の外国人が倒れたと連絡が入ったのは、千葉の運転で松田が水族館に辿り着いた頃だった。



『それなら、FBI本部に送って解析した方が……』
盗聴機器から聞こえて来た言葉に、思わず飛び出しかける。それを何とか押しとどめたのは自身の忍耐力と、『待って』という子どもの声だった。子どもは、知人の研究者が解析を既に進めていることを告げた。
「……これが吉と出るか凶とでるか……」
スマホがまだ日本国内にあり、且つ他国の捜査官の手に渡っていないなら、完全なる悪手ではない――と信じたいところだ。
「全く、喧嘩売ってると思われてもしょうがないぞ、ライ」
小さく溜息をついた男は、子どもが車から降りたことを確認すると開いていたバッグを閉じた。近くに止めていた単車に跨ったところで、彼はスマホに届いたメールを確認し、眉を顰めた。
「……ゼロ」

結局、保護した外国人は例の警視庁の不法侵入事件の容疑者として、公安に連れていかれてしまったらしい。
「成程ね……」
病院内は禁煙のため屋外で待機していた松田は、くわえていた煙草をプラプラと揺らした。その態度を見て、佐藤はキッと眉を吊り上げる。
「ちょっと、何よその態度。悔しくないの?」
「悔しいかどうかって言われればそうだけどよ、それよりも」
言葉を切り、松田は煙草を摘まむ。その口元は、ニヤリといたずらっ子のように弧を描いていた。
「このままあいつらにばかり、おいしいところ持ってかれるわけにはいかねぇなって感じだな」
「……悔しいんじゃないの?」
微妙なニュアンスは伝わらず、佐藤と高木は揃って顔を見合わせた。
松田は、ふと駐車場に見覚えのあるRX-7の姿を見つけた。生垣が邪魔して運転手の動きは見えない。暫く観察していると、RX-7はまた動き出して警察病院から出て行った。

港倉庫の一つで、銃声が響く。それだけで何が起きているのか、外からでも察することができる。小さな窓から内部を覗いていた赤井は、ふと昨夜も感じた視線の気配を感じ、スコープから目を離した。
『――0』
ウォッカの声と共に、一発の銃声が響き渡る。赤井のライフルでも、ましてや倉庫内にいるジンでもない。引き金を引いた人物は、既に離脱したようだ。
「成程な、既に手は打ってあったというわけだ」
――だからそちらの手を借りるまでもない。
まだ混乱の冷めていない様子の倉庫内へ耳を欹て、赤井はニヤリと笑った。それから足を振り上げて、錆びた扉を蹴り上げた。

時は更に進んで、日の傾いた夕刻。
外国人女性を連れた公安の車は、東都水族館の駐車場へ入って行く。車を尾行していた目暮たちも、少し離れた場所に駐車し、千葉を念のために残して車を降りた。
「目的は、観覧車か」
水と光のショーを足元に、夜空をゆっくりと動く観覧車。松田はサングラスをずらして見上げた。

「あ、俺? 今東都水族館だが?」
『やっぱり。まさかナタリーちゃんとデート?』
「非番の日に何しても俺の勝手だろ!」
あははと電話の向こうで萩原が陽気な笑い声を立てる。思わず伊達が顔を顰めると、隣で漏れ出る笑い声を聞いていたナタリーがクスクスと微笑んだ。
『ま、でも気を付けてな。なんか公安の要請とやらで、ウチがそっち行くことになったんだ』
「は? 爆処が?」
思わず声が上ずりかけ、慌てて顰める。伊達の態度の急変に、ナタリーが目を瞬かせた。
『あとはSATとかも、かな。まだ突入命令は出てないけど、駐車場はサイレン鳴らしたパトカーだらけだぜ』
「マジか……」
『班長がいるならナタリーちゃんは安全だろうけど、早めに避難した方がいいかも』
「……いや、どうせ乗りかかった船だ」
手すりを握った伊達は、観覧車を見上げる人々の中に見知った顔を見つけた。
「松田と目暮班が来てる。何かあれば、奴らと協力して避難誘導にでもあたるさ」
『さすが班長。でも気を付けろよ』
「お前もな、萩原」
通話を切ると、不安気な顔でナタリーがどうかしたのかと訊ねる。彼女を安心させるように肩を抱きよせ、伊達は優しく微笑んだ。
「大丈夫だ、日本の警察を信じろ」

それは、突然だった。全ての明かりが消え、暗闇に包まれる。人々は唯一明かりの残る水族館へ向かった。公安の様子から不測の事態だと察した目暮は、協力を申し出た。そこで非番の伊達も合流し、松田たちは一般人の避難のために駆け出した。

「おいおい……」
車から降り、いつでも突入できる準備を整えていた萩原は、同僚たちと共にその観覧車を見上げた。
暗闇の中、正体不明の飛行物体が巨大観覧車へ銃弾の雨を降らせている。時折爆発のような音も聞こえてくる。
「ほんとに、何やってんだあいつら……」
萩原は園内にいるであろう同期たちの顔を思い浮かべ、ヒクリと口元を引きらせた。

「くそ……狙いが定まらない……!」
あの赤井でさえ、狙撃をできないでいるのだ。自分では力不足だろう。悔しいが、狙撃の腕はあちらが上だ。
「ゼロ、どうか無事でいてくれ……」
風見とも連絡が取れず、水族館から離れた場所にいる自分は、歯噛みするしかない。グッとライフルを握りしめていた彼は、やがて花火に照らされその姿を現した黒い飛行物体が、一発のライフルで落下していく様子を見て、漸く肩の力を抜いた。

「観覧車が転がるとか、マジかよ!」
「水族館の一般人も避難させろ!」
混乱の渦に落ちる園内、叫びながら松田たちは疾走する。後で、全てが終わったらきっちりこの分の駄賃は払ってもらう。そう心に決めて。



キュラソーの安否確認や他の事後処理、捜査一課との繋ぎは風見たちに任せ、降谷はそっと一般人に混じって水族館を後にした。傷だらけだったが、避難の途中で負った怪我だと説明すればいい。
降谷はふと、木の影に隠れるように立つ赤井の姿を見つけた。少し辺りに視線をやり、人が少ないことを確認する。それから、赤井の隠れる木の近くで足を止めた。
「……協力、感謝します」
「ほう」
「首都高速や、勝手に彼女のスマホを解析しようとした件については別ですが……港倉庫での借りがあります」
照明を射ち落して隙を作ったのは公安側の人間だが、その後扉を開けてジンたちにバーボンが外へ逃げたと思わせたのは赤井による作戦だ。
グッと拳を握りしめる様子から、悔しがっていることを察し、赤井はフッと目を伏せた。
「いや、こちらも焦りすぎた。そちらと、しっかり連絡を取り合うべきだったな」
「……殊勝な心掛けですね」
赤井は肩を竦め、木から背中を離した。
「また今度話をしよう……できれば、彼も交えてね」
「……」
降谷は特に言葉を返さず、暗闇へ消えていく背中を見送った。
立ち止まったままの彼を心配して、スタッフの一人が声をかけた。傷が痛んだわけではないことを笑顔で説明し、降谷は歩き出す。そしてまた、明日から安室透として、日常を演じるために。
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