ミスター・フェルディナンド
チリ、とタッセルの飾りが耳元で揺れ、頬を擽る。
コックピットから出てエアリアルのアーム上に立ったスレッタは、湖面のような瞳を大きく開いて目の前に現れた機体を見つめた。
エアリアルに似たデザインの、黒い機体。スレッタの危機を一刀両断したビームサーベルをしまい、モビルスーツはその場で停止する。少しして、そのコックピット部分が開き、ヘルメットをつけたパイロットが姿を現した。
スレッタの立つアームに近い場所まで降り立ったパイロットは、ヘルメットを取らないまま彼女を見下ろした。
「……いつも、泣いてるね」
灼けた喉から零れたような、掠れた声が聞こえた。そこでスレッタは、大きく開いた目の端からポロリと涙が零れていたことに気が付いた。シールドを開いて慌てて拭おうと手を持ち上げる。
グローブの固い感触が、スリとスレッタの目元を撫でた。
スレッタと同じようにシールドを上げたパイロットが、腕を伸ばせば届く場所まで近寄っていた。
シールドが上がっても、あの夜と同じ仮面のせいで顔はハッキリと分からない。それでも、彼が“そう”だとスレッタの心が叫んでいた。
「あの!」
頬に触れる手に自分のそれを重ね、スレッタは勢いよく息を擦った。
「エランさん!」
「……」
ピクリと指が強張る。しかし振り払う素振りはない。
「……すみません、そう呼ばれるのが嫌かもしれないけど、他に名前を知らなくて」
「……」
「あの、私、たくさんお話したいことがあるんです。謝りたいことも、いっぱい」
「どうして?」
「え?」
「君が、謝ることはない。それは……僕の方だ」
ぎゅ、とグローブで包まれた手が丸くなる。
「勝手に同調意識を持って、慈悲をかけた優越感に浸って……勝手に裏切られたと、嫉妬と羨望の感情を抱いて、君を傷つけた。すべて僕個人の理由で。君は、何も知らなかった」
「そんな……」
「僕はね、君を可哀そうな子だと思っていたんだよ。僕と、同じように……」
仮面越しに翡翠の瞳が揺れて、スレッタから視線を逸らした。
酷い傲慢さだ。愛された記憶すら忘れていたような人間が、現在も愛され続けている少女の方を下に見るだなんて。
「……エランさんは、自分を可哀そうだと思っていたんですか?」
ぎゅ、と握る手に力がこもる。それを両手で包み直し、スレッタは彼の顔を覗き込んだ。
「私は、大丈夫です。ミオリネさんも、地球寮のみんなもいます」
そうだ、彼女にはたくさんの人がいる。自分で決めたつもりで、周囲への僻みを捨てきれずに距離を取り続けていた、自分とは違う。
「エランさん――あなたも、いるから」
ぽ、とどこかで蝋燭に火が灯されたような気がした。
「だから、あなたも大丈夫、です!」
ちり、と焦げ跡の残る耳飾りが、赤い髪と一緒に揺れる。仮面の奥で、緑の瞳が丸く開いた。それを正面から受ける水色の瞳は、まるで月を映す湖面のようにキラキラと輝いていた。
「あのとき食事をくれたことも、おめでとうのメッセージも、待ち合わせの約束も、どんな考えがあったとか、私は気にしません。だって全部、あなたがくれた、私にとっては“ほんとう”のものなんです。大切な、ものになったんです!」
(蝋燭の火、みたいだ)
星の煌めきよりも眩しく感じて、思わず目を細める。
手を握り返すと、パッとスレッタは頬を綻ばせた。彼女の赤らんだ頬に触れる耳飾りのタッセルを、そっともう片方の手で掬う。
「……まだ、あの賭けの言葉は有効?」
「っ勿論です!」
「……良かった」
仮面に隠れていない口元が、ゆっくりと綻ぶ。
「時間はかかるかもしれない。すべてほんとうとは限らない。それでも良ければ教えるよ。まずは、何を知りたい?」
「あ、えっと……」
もごもごと口を動かしたスレッタは、ゆっくりと仮面の奥の瞳を見つめた。
「あなたの、名前を教えてください」
パチン、と緑の目が瞬いた。
「……そんなことで良いの?」
「大切なことです。ちゃんと、歌いたいですし」
「うた?」と小首を貸しげるパイロットに、スレッタは小さく頬を膨らませるだけで理由を説明しない。後で聞けばよいかと判断し、パイロットはヘルメットを外した。
灼けて短くなったタッセルの耳飾りが、右耳だけで揺れていた。
「僕の、名前は――」
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