シャル・ウィ
「ほんと、ムカつくわね」
腕を組んで整った顔を歪めるミオリネは、それでもその場に引けを取らない堂々さで立っていた。
輝く星々のような宝石があしらわれた髪留めで真っ白な髪を結い上げ、キラキラと光を反射する刺繍が入った白いドレスに袖を通した姿は、まさに物語の姫君のよう。豪華絢爛なシャンデリアの灯りと共に立つ彼女より数歩後ろに立ち、スレッタは幾つもの星灯りを一気に目に入れてしまったような光景に、思わず目を細めた。
パイ生地のように薄い裾を翻し、ミオリネはスレッタへ鋭い視線を向けた。
「ほら、いつまでそんな暗がりにいるつもり? あんたは私の花婿なのよ」
「で、でも……」
言い訳は射抜くような視線に黙殺され、ニカに背中を押されたスレッタは渋々ミオリネの隣に並んだ。
息を一つ吹けば飛ばせてしまいそうな薄さを感じさせるミオリネのドレスは、首元から爪先まで白を基調としながらも、金の糸の刺繍とレースばかりで縫製されている。
そちらも中々スレッタにはハードルが高いデザインだが、こちらもいかがなものか。ニカは実に楽しそうに似合っていると言ってくれるが、恥ずかしくて堪らない。
詰襟デザインの上衣はまだいい。ギュッとしめつけられたコルセットも、我慢はできる。ただ、太腿の半分までしかないズボンと、一つ歩けば高い音を出すヒール、さらにはその足を彩るように広がるフリル交じりのスカートは、田舎者には派手が過ぎる。物語のお姫様のドレスは憧れだったが、いざ着てみるとこんなにも緊張するとは思わなかった。
花婿だからズボンにしたが、ある程度女性らしさを魅せれるようにした。ニカがデザインの説明をしてくれているが、そんなことは右耳から左耳へ流れていくばかりだ。
「ほらしゃんと顔を上げて」
ニカの言葉は、会場に集まっていた人々のざわめきにかき消された。
三人がそのざわめきの中心地へ視線を向けると、端々から「ペイルの」という単語が聞こえてくる。途端にスレッタの頭から恥ずかしさを飛んで行って、緊張にピンと背筋が伸びた。
そんな彼女を一瞥し、腕を組んだミオリネはざわめきの中心地――このパーティーの主催であり、ご丁寧にミオリネへ『ぜひ婚約者ご同伴で』というメッセージ付きの招待状を寄越した男に目を向けた。
「休学していたくせに、随分と元気そうじゃない」
エラン・ケレス。ミオリネにとって、婚約者に決闘を申し込んで、折角自分が許したのにデートの約束をすっぽかして泣かせた、いけ好かない男である。あの約束の日以後、スレッタはずっと落ち込んだまま。よくも婚約者を泣かせたなと文句を言おうにも、当の本人は休学中で不在。行き場のない怒りと苛立ちで悶々としていたところ、今日の招待状が届いたという次第だ。
因みに、ニカは地球寮満場一致でのお目付け役である。社交界のマナーを弁えつつ一噛みしようと身構えるミオリネを柔く宥め、ニカは彼女へウエイターから貰ったウエルカムドリンクを差し出した。
「氷の君、あんな風に笑うのね」
気色めいた声が聞こえ、ビクリとスレッタの肩が強張った。
確かに、と心の中で同意し、ニカは輪の中心に立つエランを見やる。学園では『氷の君』などと呼名がつくほど、周囲との交流が薄いと聞いていた。スレッタは笑った顔も見たと言っていたが、彼女の話に出てくる笑顔と、今ニカの視界に映る笑顔は、どうも様子が違うように感じる。
ニカはそっとスレッタにもウエルカムドリンクを渡し、そっと耳元へ口を寄せた。
「きっと、社交辞令ってやつよ。ほら、今彼の周りにいるの、会社関係の人たちじゃない?」
これで幾ほどスレッタが安心できるかは分からない。それでも、スレッタは小さく息を吐いて「そう、ですね」と呟いた。
ざわ、と三人の周囲が色めき立つ。何事だろうと動かしたスレッタの顔の目の前に、人形のように整った顔があった。
「来てくれたんだ、スレッタ・マーキュリー」
そう言って、男は微笑を浮かべる。
はく、と口を開いたスレッタは、いつかのベンチでの会話を思い出してしまい、消え入る声で「はい」と呟きながら俯いた。眉を顰めるミオリネの前で、男はスレッタへ向けて手を差し出した。
「一曲踊ってもらえるかい?」
「え」とスレッタが目を瞬かせる間もなく、彼女の手を引いたミオリネが男を中心にできていた輪から飛び出した。ウエルカムドリンクのグラスは、しっかりニカが受け取っている。
「一曲目は婚約者の権利でしょう?」
そんな言葉を佇んだままの男へ投げて、ミオリネはダンスフロアの真ん中で足を止めた。オロオロするスレッタの両手を握り、有無を言わさず始まった音楽に合わせて身体を動かす。ミオリネがリードする形となったが、事前に基本のステップを教えていたお陰で何とかスレッタも対応できている。良い調子だ、とミオリネは小さく口角を持ち上げた。
「ここに来るって決めたのは、アンタでしょ」
スレッタの足が止まりかける。ミオリネはそれを良いことに、クルリとターンした。
「決めたなら、とことん進みなさいよ」
腰に添えた手に力を込めると、スレッタはやっと固い表情を緩めた。フンと鼻を鳴らし、ミオリネは彼女の指先を掴んだまま腕を伸ばして距離をとる。
「いってきなさい」
「……はい」
ニコリと微笑んで、スレッタは小さく頭を下げた。再び顔を上げた彼女は、凛とした瞳を歩み寄って来る男へ向ける。
「今度こそよろしいかな?」
「はい」
力強く頷いて、スレッタは彼の手を取った。
ミオリネがニカと共に壁際へ下がって行くのを横目で確認し、スレッタは男の顔を正面から見つめた。
「随分情熱的に見つめてくるな」
スレッタの知る『エラン・ケレス』はしないような苦笑を零して、男は囁く。その近さにビクリと肩を竦めるが、スレッタは足へ力を入れた。
「正直、招待を受けるとは思わなかったよ」
耳を欹てないとフロアへ満ちる曲に溶けてしまいそうな、小さな声だ。コクリと唾を飲んだスレッタは、同じくらい小さな声で答えた。
「聞きたいことが、あったので」
「アイツについてなら、企業秘密だよ」
「わ」
先手を打つような言葉と共に、スレッタは彼の手で無理やりターンをさせられた。ヒールもあってよろける彼女の腰を支え、男は周囲の死角でククと喉を鳴らして笑う。カッとスレッタの頬に朱がさす。
「や……っぱり、あなたはエランさんと違います」
「だから俺がエランなんだって」
顔を上げて、男は『氷の君』のような顔をする。スレッタは小さく唇を噛んだ。
「……あなたが教えてくれない限り、私にとってあの人はエランさんです。きっと、別の名前で呼ばれることも嫌だったんだろうけど……私にとっての『エラン・ケレス』は、ちゃんと名前を聞くまで、あの人なんです」
どんな感情の元、考えの元、あの『エラン・ケレス』がスレッタに関わってきたのかは分からない。それでも、彼のくれたものはすべてスレッタにとっては“本物”だった。
「会えないだろうってことは分かってました。……今日は、せめてそれだけは伝えたくて」
「ふーん……つまり、俺を『エラン』と呼ぶつもりはないってことだ」
「少なくとも、あなたが偽物だというあの人の本当を教えてくれるまでは」
目を細めて、男がスレッタを見つめる。それを正面から見つめ返して、スレッタは精一杯目に力をこめた。
やがて、男は視線を逸らす。曲の終わりだった。パッと解放された手に拍子抜けして、スレッタはたたらを踏む。
「……ほんと、あの機体に関わる人間は厄介だ。呪いのせいか?」
「え……?」
キョトンとするスレッタの手を引き、男は口を彼女の耳へ寄せた。小動物のように丸い水色の瞳が、大きく見開かれる。スッと身を引いた男から解放されても、スレッタは茫然とその場に立ち尽くしていた。
様子が可笑しい彼女を心配して、ニカとミオリネが駆け寄る。声をかけようとしたニカは、スレッタの薄く開いた手の平に乗る物を見て目を瞬かせた。
「その耳飾り……」
スレッタが、何かを呟く。え、とニカが聞き返すより早く、スレッタはその場から駆け出していた。
「え、え?」
「……全く」
ニカよりも早く状況を察したミオリネは、腕を組んで深くため息を吐く。
「寛容な私だから赦すのよ、浮気の一人くらいね」

パーティー会場の外は月明かりに照らされた噴水のある庭園、なんてどこかで読んだ物語のようだ。水面に映る檸檬型の月を見つめ、その人影は静かにたたずんでいた。
カ、と高い足音がする。「あ、あの!」つっかえながら飛んでくる声に振り向きもせず、人影はひたすら視線を水面に固定していた。カッカと足音は続いて、影のすぐ後ろで止まった。
「スレッタです……スレッタ・マーキュリー! あなたに、会いに来ました!」
静かな庭園に、その声は酷く響く。
小さく嘆息し、人影は振り返った。顔を合わせると、スレッタは小さく息を飲む。顔の上半分を覆う無機質な仮面を見れば、誰だってそういった反応をするだろう。
スレッタはすぐに表情を戻し、さらに距離を詰めた。
彼女が口を開くより先に、白い手袋に包まれた手が差し出される。パチリとスレッタは目を瞬かせた。握りしめたままの手を包むように取られ、そのまま腕を引かれる。
腰に手を添えられ、誘導されるままヒールを鳴らす。風が、フロアの音楽をここまで届けていた。
相手は何も言葉を発さない。繋がれた指先がぎこちなく、それでもしっかりとここにいることを教えるような力強さと温かさがあった。じわり、と目の奥が熱くなる。
話したいことがたくさんあった。聞きたいことも、たくさん。でも、今は触れる温度だけで胸がいっぱいだった。
「あの……」
ドキドキと高鳴る胸が大分落ち着いてきた頃、やっとスレッタは口を開いた。パッと顔を上げると、仮面は既にスレッタの方ではなく、遠い夜空を見つめていた。「あの……」とスレッタは首を傾げる。彼女の言葉に何も返さぬまま、相手は手を離した。
「あ……」
曲が、終わっていた。少しの間を置いて次の曲が始まる。しかし相手はもうスレッタへ手を差し出そうとはせず、クルリと背を向けて夜の深い方へと足を進めていった。
「ま、待って!」
慌てて駆け寄ろうとしたスレッタは、ズキンとした痛みを足首に感じて膝をついた。先ほどまですっかり気づかなかったが、慣れないヒールで足に負荷がかかっていたらしい。蹲る彼女に少し足を止めたものの、相手はスレッタの方へ振り返ることもなく、暗がりへと消えてしまう。
白い肌と仮面をすっかり飲み込んだ夜を見つめ、スレッタは熱くなる目を膝に押し当てた。
指先に残る熱と、握りこんだ耳飾りだけが、彼がいた証としてスレッタの手元に残っていた。
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