景零編(6)
「これで納得できました。少し、景光とは記憶の食い違いがありましたから」
両袖に向いの手を差し入れて、高明はため息のように息を吐いた。
「件の三味線の付喪神の少女とは、お互い人間の子どもの姿で遊んでいた筈なのに、その頃はまだただの猫だと言い出す。その儀式とやらの影響だったのですね」
「ええ、そうだっけ……?」
さっぱり思い当たることがないのか、景光は頭へ手をやって首を傾げる。困惑する弟を放って、高明は「それで」と零の方を見やった。
「これからどうするつもりですか?」
正座をして景光と並んでいた零は、少し困ったように微笑んで、金の尾を揺らした。

「全国行脚?」
「そう。そもそも、この神山に留まってこの国全体の要石になろうとするから、あんな石が必要だったんだ。だったら、僕が実際に各地へ回って結界を張った方が現実的だろ?」
ケロリと零は言うが、灰原は顔を顰める。
「管理者が、山を離れても良いの?」
「実際、僕は一時期山を離れていた」
「そのせいで、俺らは大分酷い目にあっていたんだが!」
今回もすっかり巻き込まれた松田は、少し離れた席から野次を飛ばす。まさか氷でもない結晶漬けにされると思わなかったと萩原もぼやき、フォローのしようもないと伊達は口を噤んだままだ。
「文句は風見か、黒田さんに言ってくれ」
「陰陽寮のお偉いさんに言えるか!」
「危うく殺されかけたにしては、随分と呑気な言い争いだこと……」
小さく息を吐いて、灰原はアイスフロートへ口をつける。
「まあ、確かに管理する者として、あまり長期間山を空けることもまずいと思っている」
松田の噛みつきを手の平で叩き落とし、零は少々演技がかった吐息を漏らした。そこで、と彼が人差し指を立てると、タイミングよくカラリと襖が開いた。
「敢助くんの力をお貸ししましょう」
現れたのは高明だ。彼の背後では少々不服そうな顔をした敢助が「おい」と低い声を出している。
この幼馴染にしてこの幼馴染の兄あり、とはこれ如何。
「山彦の?」
「山同士をつなぐことができますから。いつでもこの山に帰って来れますよ」
「おい、それじゃあ、俺はこっちにずっといるって――」
「敢ちゃん! 三池さんたちオッケーだって!」
敢助の言葉を遮ったのは、ウキウキとした足取りで駈け込んで来た上原だ。彼女は両手に大荷物を抱えてそれだけ言うと、三池に案内されるまま陰陽寮の奥へと進んでいく。
「……」
「上原さん、こちらの社担当になったそうですよ」
「コーメー!!」
敢助がガックンガックンと高明の首を掴んで揺らすが、当の本人はどこ吹く風。何故、幼馴染本人よりもその兄と似た性格になったのか。萩原もさすがにその疑問を口にすることはせず、苦い笑いだけを浮かべた。
カタン、と部屋の隅で小さな音を立つ。ピクリと三角の耳を動かして、零はそちらに顔を向けた。松田たちと同じ机を囲んでいた景光が、フラリと立ち上がっていた。
「ヒロ?」
顔を俯かせた景光は零の前で立ち止まると、心配して頬に触れようとした彼の手をギュッと握りしめた。
「……それ、一人で行くんじゃないんだろ?」
「え、ああ、というか、」
続こうとした零の言葉を遮るように、景光はバッと顔を上げた。それから掴んでいた手を両手で包みなおし、零の顔へズイと鼻先を寄せる。
「赤井じゃなくて、オレを連れてってくれよ!」
「……はあ?」
景光の上ずった声の後、呆れたような吐息は一つや二つではない。そこで、景光の頭が少し冷えた。
「……え?」
「なんで、僕が、赤井を引き連れて全国行脚しなくちゃいけないんだ」
「え、だって優秀な護衛って……」
「赤井なら、明日には外ツ国へ戻る予定だ」
何を言いだすのだと言った顔で松田は首を振り、萩原と伊達は苦笑。怪訝そうに顔を崩した零の背後では、やれやれといった表情で高明が吐息を漏らしていた。
「全く、人の話を聞かずに早とちりする癖は治っていないようだな」
「いつも零のことはよく分かってるとか言いながら、肝心なときにこれだ!」
「まぁ、それが諸伏ちゃんて感じだけど……」
「愛想尽かされないようにな」
それぞれ呆れた声色で呟きながら、付き合っていられないと部屋を出て行く。その背中を右へ左へ首を動かしながら見送って、景光は首を傾けた。
「お熱いことで」
ポソリと呟いた灰原を最後に、部屋に残るのは景光と零の二人だけになった。
「えっと、ゼロ」
「僕は、」
きゅ、と力の弱まった景光の手を握り返し、零はじっと目を見つめる。
「僕は、ヒロと二人で行くつもりだった、」
瞳を射抜く青が、心なしか泉のように潤んでいるように見えた。景光は勘違いと恥ずかしさに顔を赤くする。それから、そのまま面を上げたままにしていられなくなって、咄嗟に目の前にあった零の肩へ顔を埋めた。
「……すみませんでした」
「分かればいい」
ポンポンと景光の肩を叩き、零は小さく笑ったようだった。
スン、と景光の鼻を擽る太陽と水の匂い。相変わらず、匂いまで綺麗だと思う。景光はそっと目を閉じて、腰と脇の下から伸ばした腕で自分の方へその香りを引き寄せた。戸惑ったように名前を呼ばれ、ゆっくりと呼び返す。一度止まった手が、再びゆっくりと動いて、景光の頭を撫でた。
「……オレ、お前と出会えて良かった」
「何だよ、急に」
クスクスと笑う声に、本当だと返してギュッと抱きしめる。
「ずっと一緒にいたいよ」
「……一緒にいよう、ずっと」
約束だ。そう呟いた声は重なって、花弁のようにそっと足元へと落ちていった。
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