「ぼくらはきっと、」
きっと、自分は足りない人間なのだ。周りの人間は当たり前に持っているものが、手元にない。
だから、抱えきれないそれらを適当に足元に散らかして、たまに蹴飛ばすこともあるくせに優しい手で触れるから、さらに与えられている男が憎らしかった。
腕の長さと手の大きさに見合わないほど与えられ、零してしまうときは倒れるのも構わずに拾い上げて、時々それすら叶わないと顔を歪めてしまう少年が羨ましかった。その姿が好ましいと感じたから、届く範囲に転がって来たそれを、投げ返したこともある。
受け取める箱に穴が空いていて、ボロボロと溢しているんじゃないかと考えたこともある。自分の方に、欠陥があるのだと。でも自分ではそれが正解なのか分からなくて、だから改善点も見つからない。どうしたら彼らみたいなものが貰えるのだろうとぼんやり考えて、答えが出ないことに気が付くと、思考を止めた。
たった四つだけ、両手に収まったことはあった。すぐに、風に飛ばされて消えてしまったけれど。きっと、自分には掴む力がないのだ。他の人が当たり前に抱えられるほど軽い筈なのに。そんな軽いそれらを、抱きしめてやれるほどの力が、自分にはないのだ。だから、やっと落ちてきたものですら、風に浚われてしまう。
それに気づいたとき、何とかして抗おうと努力した。それでも、やっぱりあの男や少年の傍には幾つも落ちていくのに、自分の傍には欠片一つだって落ちてこない。現実の身体は大きくたって、本当はいつまでも短く非力な手足の子どもでしかないのだ。
足元に数個落ちていても、腕を伸ばすと消えてしまいそうで放置した。代わりに、あの男のように踏んでしまわないよう、注意を払った。やがて視界に入れるだけでも消えてしまう気がしてきて、目を閉じて座った。ずっと、そうしていた。
――だから気づかないのだと、幼馴染なら笑ったのだろう。
座り込んだ足の周りに、増えていったものに。
膝の上で組んだ手の中に、欠片が四つ残っていることすら。



白い犬を抱き上げる。主人の顎へ鼻を寄せた犬は、常と違う様子に気が付いたのかキュルリと瞳を動かした。
「ハロ」
そっと、小さく柔らかい背中を手が滑る。キュウと鼻にかかる声で応えると、ふかふかとした首筋へ鼻が埋まった。
「……君と二人だと、少し広すぎるかもな」
主人の青い瞳が、からんとした部屋へ向けられている。体勢のせいでそれを確認できないが気配で察し、犬はもう一度小さな鳴き声を上げた。

子どもたちが目覚めたと、風見経由で病院から連絡が来た。小学校は、既に夏休みに入っていた時期だった。
様子を聞いたが、降谷はすぐに言葉を撤回した。風見が少し言葉を濁したからだ。自身の目で確かめると、風見には伝え直した。
病院に、ハロは連れていけない。病院の駐車場でハロを入れたキャリーバッグを預け、降谷は一人で病室に向かった。事情が事情ということで、四人は同じ大部屋に入院していた。
軽いノックの後、部屋の中から返事が無いことに小さく息を漏らしながら、降谷は扉を開いた。
二対二で向かい合わせに並んだベッド。そこに、四人は行儀よく座って待っていた。窓を見やるようにも、顔を合わせるようにも見える姿勢だった彼らは、扉が開いたことで一斉に降谷の方へ顔を向けた。
降谷は、小さく笑みを浮かべる。
「初めまして」
「はじめ、まして」
とつとつと、降谷の言葉をオウム返しする。それで、降谷には十分過ぎる説明となった。
降谷は扉を閉め、四人を見回せる位置へ椅子を引っ張ると、腰を下ろした。
「どこまで説明を受けているか分からないが、僕は降谷零。簡単に言えばお巡りさんだ」
襟足が長い子どもと、天パの子どもが顔を見合わせた。頭が丸い子どもはキュッと小さな手でシーツを握りしめ、眉が太い子どもは真剣な表情で降谷の言葉を噛みしめている。
「訳あって、君たちの保護をしていた。いきなり言われても困惑すると思うが……君たちが望むなら、引き続き僕が養育者として引き取りたいと考えている」
パチリ、と一人が瞬きをした。
「……どうして?」
「既に子ども用の家具を揃えてしまったし、食器もある……まぁ、誰かに、それこそ君たちが望むなら別の里親に譲ればいいんだけど」
降谷は足を組んだ。その膝の上で両手の指を絡める。
「……本音は、部屋が広すぎるから、かな」
子どもたちは、今度は四人で顔を見合わせた。それから頭が丸い子どもがベッドを降りて、ゆっくりと降谷の元へ歩み寄る。どうかしたのかと身を屈めた彼の頬に、温い手が触れた。
「……泣いた?」
今度は降谷が、パチリと目を瞬かせた。
丸くなった青は次第にじわりと歪み、色の濃い肌の手が、小さく白い手に重なる。
「……――ああ、泣いたよ!」
やけになって吐き捨てると、ベッドの方から笑い声が聞こえてきた。
「もう一声」
「押しかけて来たくせに、勝手に出てくな馬鹿野郎!」
「言いすぎでは?」
「及第点だろう」
頬に触れる手を引き剥がさないまま顔を上げると、行儀良くしていた足で胡坐をかいた子どもたちが、ニヤニヤと笑ってこちらを見ていた。グッと唇を噛んで、滲み始める視界を押し留める。
「二週間以上も寝こけやがって!」
「それはマジで悪かった」
「こっちもいろいろ大変だったんだよ」
何を言いだすのだと、顰めた顔で察したのだろう。航は顔の前で手を合わせた。
「夢だと言えばそれまでなんだけど、どうもオレたち、眠っている間同じ夢を見ていたみたいでさ」
答えたのは、まだ降谷の頬に手を添えていた景光だ。
「夢?」
「夢って言うか……何だろうな、あれは?」
陣平の言葉も煮え切らない。研二が頭を掻いて、「人と会って話したんだ」と言った。
「この身体の、本当の持ち主たちとさ」
驚くことはもうないと思っていたが、彼らの話はその予想を越えていた。

彼らは、一面乳白色の景色ばかりが広がる世界に揃って立っていたという。地平線の境すら分からないそこには、彼らの他にも子どもが四人いた。自分たちと同じ顔をした子どもらは、この身体の本当の持ち主――養護施設で育った子どもたちだったらしい。
養護施設の劣悪な環境で身も心も疲れ切っていた子どもたちの魂は、あのハロウィンの日からずっと眠り続けていたらしい。擦り切れた魂の限界が近かったのか、似通った性質の霊体が近くを通りがかったせいか、原因は分からない。
こちらを覗く瞳のようにぽっかりと夜空へ浮かんでいた青い月の姿が、その話を聞いた瞬間、景光の頭を過って行った。
それがこのタイミングで目覚め、景光たちと相対することになったのは、簡単に言えば彼らの未練が解消されたからだ。
「未練?」
「見たかった顔が見れて、満足だったんでしょ?」
丸い頭の子どもが、景光の疑問に答えた。思わず口を引き結んでしまった景光の脇を、研二と陣平が肘で突いた。うぐ、と呻き声を漏らして、景光は腰を曲げる。
「で、つまり、未練を失くしたならさっさと身体を返せって?」
陣平が眉を顰めながら訊ねると、子どもたちはちょっと顔を見合わせた。「分からない」と答えたのは、天パ頭の子どもだ。
「元々、これで終われば良いのになぁって思っていたから。ぼくらに未練てものはない」
「でも分からないってことは、迷っているんだよね。何かしら思うことがあるんだろ?」
研二の言葉に、襟足が長い子どもが小さく頷いた。
「楽しそうだな、って思ったんだよな」
眉の太い子どもが、頭の後ろで手を組んだ。
「世界は、こんなに楽しそうなんだなって」
「……羨ましくなったんだ」
子どもたちは、素直に頷いた。
眠っていた間に景光たちが過ごした日常は、経験と知識として子どもらにも共有されていた。それを知り、四人に現世への未練が少し生まれてしまったらしい。
背後で研二と陣平が顔を見合わせている気配を感じながら、景光はフッと息を漏らした。それから、目の前に立って服の裾を弄っている丸い頭の子どもの手をとる。
「良いよ、返す」
子どもらはパチリと目を瞬かせ、背後からは呆れたような吐息が聞こえた。
「おい、景の旦那」
「ゼロにさ、」
手を握ったまま、景光は首だけで振り返った。
「頑張れって言えたんだ。だから、アイツならもう大丈夫かなって」
景光の顔を見た三人は、チラリと視線だけ合わせて大きく息を吐いた。
「全く、こいつらは勝手だ」
「陣平ちゃんも似たことあると思うけど」
「ま、今更だな」
「……ほんと、みんなも付き合ってくれるんだ」
景光の言葉に、陣平は手を振って応える。苦笑して、景光は子どもらに視線を戻した。
「たださ、ちょっと条件つけてもいい?」
こちらの都合だが、それを差し引いても子どもらに不利となる条件ではない筈だ。
景光の言葉にまた目を瞬かせ、子どもらは顔を見合わせた。

「まさか小学生を言いくるめたんじゃ……」
「まぁ、ある意味ではな」
渋い顔をする零にしれっとした顔で景光は説明する。こいつ、いつの間に図太くなったんだと、この部屋にいた数人は心の中でぼやいた。
「条件は、ゼロが死ぬまでは、身体に同居させてくれること」
零を看取ったら完全に身体を返すし、子どもらが人生に不自由しない程度の知識と技術が得られるよう、景光たちも努力する。普段は景光たちに主導権があるが、彼らが望めば交代もする。
「彼らの意識はある、と」
「そ。俺らの経験と学習が、彼らの糧となるようにな」
研二はそう言って、胸に手を当てる。全く、と零は吐息と共に言葉を零した。
楽しそうだと未練が生まれても、いまだ人間不信に近い子どもたちは、自身らが主体となって人生を送ることに尻込みする気持ちがあったらしい。それを加味した上での提案だったようだ。しかしその期限が、降谷零の最期とは。
「区切りとしては、丁度良いだろ?」
「安心しろ、しっかり看取ってやるから」
大往生したとして、凡そ七十年。それまでに人と社会への恐れが薄れれば、主導権は交代する可能性もあるらしい。その辺りは、元々の持ち主の意思を尊重するつもりらしい。
「お前らは本当に……」
無茶苦茶だと吐息交じりに零が呟けば、ポリポリと頭を掻いた航がその顔を見上げる。
「約束する……」
パチン、と研二は片目を瞑った。
「もう絶対、」
陣平がニヤリとした笑みを浮かべて、ベッドの上で腕を組んだ。
「寂しい思い」
いまだ握ったままの零の手を掴む指に力を込め、景光は真っ直ぐに瞳を見つめた。
「させないよ」
力強い言葉と、じんわりとした温もり。零は小さく息を漏らし、空いている片方の手で顔を覆った。
いつかもこんな風に、無理やり家に居座って来たのだった。彼らの強引さを、他でもない零が忘れるとは。
手の平に目元を隠したまま、零は長く息を吐く。暫くそのままで波を落ち着け、手を下ろす。引き剥がすこともなくその時間を待ってくれた景光たちは、じっと零の顔を見つめていた。
「……夢みたいだなぁ」
またそれか、と誰かが呟いた。呆れたような声と、苦笑交じりの声と、面白がるような声だった。きゅ、と指を握る手に力がこもる。
零は顔を上げ、景光たちの顔を見回した。
「みんな、おかえり」
「ただいま」
握ったままの手を上げて、もう片方の手の平を開く。景光の手は握ったまま、手の平に三つの小さな手がパチンと音を立ててぶつかった。
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