”親愛なるフォア・ローゼスへ”
事態が動いたのは、突然だった。少なくとも、会場をブラブラと歩き回っていた景光たちにとっては、そのように感じた。初めに空気の違和感に気づいたのは航で、彼は眉を潜めて景光の肩を叩いた。
「航?」
「どうかしたの?」
「様子が可笑しい」
彼の言葉に、研二たちも足を止め、辺りを見回した。
同職の人間というものは、立ち姿や歩き方で判別できてしまうものだ。幾人かのスタッフや一般人らしい服装のうち、そういった匂いを漂わせる数人が耳打ちし合っている。その横顔に焦りのようなものを見つけて、陣平もサングラスをずらした。
「……落ち着かねぇな」
隣で辺りを見回していた研二が、お、と声を盛らした。「事情を知ってそうなの見つけた」と呟き、研二は駆け出す。彼が肩に腕を回して連れ戻ってきたのは、渋い顔をしたコナンだった。
「おい、急になんだよ……」
「零は?」
コナンの言葉を遮り、景光は固い声で訊ねる。ついで肩を掴まれたコナンは、ぎょっとした顔をした。彼と研二を見てから景光の顔を覗き込んだ陣平は、軽く握った拳で肩を小突いた。
「?」
「お前、ビル爆弾のときも思ったけど、地雷が唐突なんだよ」
全く訳が分からないと言うように景光は眉を顰める。しかし顔の強張りはとれたので、陣平はそれ以上何も言わず、「で」とコナンへ視線を戻した。
「あのやろうは何しやがった?」
研二と陣平、左右の肩にそれぞれ腕を乗せられ、その重さもあってコナンは顔を顰める。少し迷う様子を見せたものの、辺りを確認してから声を潜めて説明してくれた。
会場に、例の相手からのメッセージが届いた。ご丁寧に、『招待を受ける』との返答。ただし、その宛名は以前送られた『フォア・ローゼス』ではなく。
「『Z』……」
「『零(ZERO)』の『Z』か? 向こうに正体がバレているってのか?」
「もしくは『警備局企画課(ゼロ)』か……どちらにしてもヤバイな」
航も眉を顰める。
「さらにまずいことに、安室さんの姿が消えた」
コナンの言葉に、景光は今度はハッキリと自分の頬が強張ったのを自覚した。
「奴の仕業か?」
「それかゼロ自身が……」
「でもこの様子、それだけじゃないでしょ?」
顔を歪める景光の隣で辺りを見回し、研二が訊ねる。コナンは固い表情のまま頷いた。
「……爆発物らしい小包が発見された。それも、幾つも」
「!」
ハッとして、景光たちは顔を見合わせた。
「……目を引き付けるためか」
「だな。対象が零だから、どうしたって優先度はこっちの方が上だ」
「ああ。それは公安もFBIも分かっている。……風見さんたちは特に、上司である安室さんの指示を全うするつもりだ」
チラリとコナンは、部下らしきスタッフジャケットを着た男たちと話す風見の背中を一瞥する。その真っ直ぐな視線は一般人というには鋭すぎるものがあったが、普段ならそれを指摘する上司はこの場にいない。
「FBIも一般人がいるから下手な手は打てない」
「成程……」
納得したように呟いた陣平は、サングラスを少しずらして辺りを見回す。それから、口端をニヤリと持ち上げた。
「――こっからは俺らの出番だな」
それをきっかけに、ニヤリと笑った研二たちがリュックサックを下ろし始める。その様子を見て、コナンは慌てた。
「おい! 確かにそれを準備するのに手は貸したが、何もわざわざ……!」
「これが、ボーナスステージなら、」
リュックサックを開いて取り出したものを身に着けながら、景光が口を開く。
「きっと、オレたちがいる意味ってそういうことだろ」
「……そんなの、あの人の望むことじゃない」
「そうだね」
即答する景光に驚いたのか、コナンは目を丸くした。それが少しおかしくて、キュッと靴紐を固く結びながら景光は笑みを零す。
「アイツのことは、オレが一番よく知ってるんだ」
子どもの姿になった景光たちを、事件に巻き込まず普通の生活が送れるように、零が手を回していることは知っている。だから、ある程度までは黙っていようと決めていた。
彼の望みを、景光たちは尊重した。ここからは、景光たちの希望だ。
「公安やFBIは一般人を守る。零の方は、俺たちが何とかする。役割分担だ」
「陣平ちゃん、おおざっぱ」
「本当は、それすら俺たちには領域外のことなんだろうがな」
サスペンダーの留め具を弾きながら、研二が苦笑する。パチンとベルトをつけた航は、リュックサックを背負い直す。スケボーで肩を叩きながら、陣平は口をへの字に曲げた。
「……ったく、」
ため息を吐きながら、コナンは前髪をかきあげる。「……佐藤刑事たちが言ってた意味が分かったぜ」ボソリと呟かれた言葉に陣平の耳がピクリと動いた。景光も気になったが、あまり追求しても良いことはなさそうだとスルーした。
「オレはたださ、」
オレンジ色のリュックサックを肩にかけ、その肩ひもを握りしめる。
「気兼ねなくアイツのことを『ゼロ』って呼びたいんだ」
限られた空間の中だけでなく、太陽の光が降り注ぐ屋外でも。嘗てのように。
コナンはすっかり諦めたのかもう一度吐息を漏らして、頭を掻いた。



ヒュウ、と建物の隙間を通って勢いを増した風が、頬を撫でる。生温さを伴ったそれはゾワリと触れる手のようで、安室透――バーボンは持ち上げた手で髪を整えた。
「会場が気になる?」
数歩先を歩く背中が、振り返らずに訊ねる。バーボンは手を腰の後ろに戻し、「そうですね」と呟いた。
「どうやらあそこには、随分と犬が紛れ込んでいたようでしたので」
「追ってくるか心配? 大丈夫だよ、今頃あっちはビックリ箱の片付けで忙しいだろうから」
コツン、と高い足音が止まる。
コンクリートに上下を囲まれた、薄暗い場所だ。離れた場所から四角く切り取ったような外の風景が見えるが、ここに来るまで窓のない地下通路とエレベーターを通ってきたため、空とビルだけでは正確な場所は判別できない。
そちらに視線を向けていると、前を歩いていた影がクルリと振り返った。
さっぱりと切り揃えられた赤髪。スレンダーな体躯に小麦色の肌。瞳の色は薄暗い中ハッキリとしないがが、赤茶けた色のようだ。ティーンエージャーという形容が似合う、若い少女だ。
「まさか、こんな小娘だと思わなかったって顔だ」
クスクス笑う彼女に肩を竦め、バーボンも足を止めた。
「まぁ、写真より随分……」
「幼く見える?」
答える代わりに、バーボンは小首を傾げて笑みを浮かべた。相手は気分を害した様子も見せず、ジロリとバーボンの頭からつま先まで視線を動かした。
「それで、何と呼べば?」
「またまたぁ……でもちゃんと名乗っておいた方が良いよね。Xって呼んでよ」
バーボンは微かに眉を顰めた。『Cocktail-X』――それは、ハッキリとした名称の分からない情報屋に対してつけた仮名だった。カクテルと付けたのは、向こうがしつこくウイスキーに拘っていたからだ。
「嬉しかったんだぁ。他でもないあなたが、Xなんて呼んでくれたこと」
「……へぇ」
「さすが『探り屋バーボン』だって」
ライバル視していた、という前情報からは想像もつかないほど、Xは無邪気に笑ってバーボンを褒めちぎる。その様子に、こちらの調子が狂わされる気分で、バーボンはコホンと咳払いを零した。
「随分、買っていただいていたようで」
「勿論。ぼくらの憧れだったんだ。ライバルなんて噂があったみたいだけど、恐れ多い! ただのファンだよ」
「そう……――『ぼくら』?」
バーボンは静かに、その単語を繰り返す。対峙するXはニンマリと口端を持ち上げた。
カツン、と背後で足音が立つ。ここの階層に来るまで気配はなかった。今しがた、やってきたのだろう。
バーボンはポケットに親指を差し入れたまま、チラリと視線を動かした。
「……成程、君たちは二人組の情報屋だったのか」
「それを分かっていて、あのカクテルネームをくれたんだろう? だからぼくらも、返したじゃないか、『To Z』」
柱の影から姿を現したのは、赤髪の少年。こちらも細身の体躯をしているが、Xと違い長袖長ズボンで肌を隠している。右肩に何かをかけているところからすると、武器を携帯している可能性が高い。
「犬の相手、お疲れ様、Y」
ニコニコとしたXがそう発言したので、彼は会場の警備を攪乱する役割を担っていたのだと分かった。
X、Y、そしてZ。これらから連想されるのは、三種類のドリンクから作られるカクテルだ。『これ以上なく最高』もしくは『未知』を意味する名前。
「――XYZ」
ニンマリと、Xが微笑む。バーボンを挟んでその視線の先に立つYは、依然として無表情のままだ。
「言っただろう? ぼくらは君のファンなんだ」
「おれらの望みは、あなたと共にチームを組むこと――情報屋XYZとして」
つまり、これは勧誘だ。
国家の犬とバレて粛清されるより厄介な状況に、バーボンの笑みを浮かべながら降谷は内心舌を打った。

「僕を、あなたたちのチームに?」
「ジョークのつもりはないよ」
ジョークのつもりで、あんなに爆弾を仕掛けられては敵わない。内心毒づいて、バーボンは腕を組んだ。
FBIたちは会場の爆弾撤去と、一般人の避難に手を取られていることだろう。風見たちに向けてここまでの道筋を残すことも考えたが、別の監視の目があることを考え、下手な動きはできなかった。つまり、現時点において、バーボンこと降谷零は孤立無援。
ニコニコとしたXと無表情なYの対照的な振舞いも、どこか不気味だ。
「ぼくらは本気さ。是非チームに加わってほしい」
「……どうして僕を?」
「君なら、『ぼくら』を分かってくれると思っているからさ」
さらり、とXは耳元に垂れていた赤い髪を指で掬った。
零は、チラリと背後のYへ視線を向ける。
染めたわけではなさそうな色の髪。この島国や太平洋を渡った大陸では、とある種類の目を向けられがちな肌の色。
成程、と内心呟いて、零はフゥと息を吐いた。
つまり『仲間外れ同士』仲良くしようというわけだ。なまじバーボンが、その容姿から浮いた存在であり、鬱屈とした心情を理由に組織と関わったと噂されていたあたり、強く否定しにくい。
「それに後ろ盾がなくなった今、この国は動きにくいんじゃないか?」
「そーそー。ぼくらと一緒に、海を渡れば今以上に自由に動けるよ。肌の色による主義思想は煩わしいけど、銃に関しては移動が楽だし」
ピクリ、と零は動きを止めた。ニコニコと言葉を続けていたXは、コテンと首を傾げる。
顔を少し伏せた零は、ギュッと脇に垂らした手を握った。
「……この国も悪くないですよ」
確かに、自分が望まずに与えられたパッケージによって、この国の人間じゃないと、出て行けと、心無い言葉をかけられた。それでも、同じ国の人間だと言ってくれたのもまた、この国の人間たちだった。だから、この国を愛していられた。この髪と肌の色を気にせず手を引いてくれた、優しくて少し乱暴者な彼らがいたから。
「海の向こうの国がどうだか知らないが、僕はこの国が嫌いじゃない」
自然と、零の口元は持ち上がっていた。しかしすぐに、さっと表情筋を引き締める。敵の前で、不用意に油断した姿は晒せない。零は咄嗟に帽子のつばへ手をやって、少し顔を伏せた。
「……んで、」
Xの唇が震える。ざわ、と目の前に立つ相手の雰囲気が変わったことに気づき、零は目を細めて彼女を見やった。
胸の前で合わせていた手を脇に垂らし、Xは細い指をキュッと握りしめていた。
「なんで、あなたがそんなこと言うんだ!」
「っ!」
笑顔から崩れたXの態度。同時に背後の気配も動くのを感じ、零は反射的に上体を捻った。
Yの掌底が、空を裂くように飛んでくる。咄嗟に首を捻った零の頬へ、爪が赤い線を引いた。
零は拳を握り、裏拳を叩きこもうと腕を振る。それを右耳へ食らいながら、Yはトンタンと足音を立ててXの隣に移動した。
頬に垂れる血を親指で拭い、零は小さく息を吐く。
(この場にいるのがこの二人だけなら、制圧も可能だが……)
先ほどから嫌な視線を感じる。それに、急に態度を変えたXも軽視できない。頭に血を昇らせた状態で動く犯罪者ほど、危険なものはない。
「あなたは、この世が馬鹿らしいって言ってたじゃないか! 死ねばみんな同じ肉と血の塊のくせに、パッケージばかりに気を取られて、簡単に足を掬われる馬鹿ばっかりだって! あのときからぼくは、あなたなら分かってくれると思ってたのに!」
Xは直情的。Yは冷静なようだが、先ほど零の裏拳を受けた様子からして体術は並の青年に毛が生えた程度だろう。
「……そういえば昔、そんな与太話をしたこともありましたね。あのときの子でしたか」
あのときは組織の一員として、下っ端と世間話をしているつもりで発言したのだ。全てが全て『降谷零』に通じるわけじゃない。
バーボンの顔で失笑を零すと、Yの鼻へ皺が寄った。
「……どうしても、チームに入ってはくれないの?」
「そもそも、あまりそういった枠組みは好きじゃないんですよ」
「……あの子どもたちのせい?」
零は口を噤んだ。バレていないとは思っていなかったが、このタイミングでXがそれを指摘する意図を、図りかねていたからだ。Xは「ハハッ」と軽い笑い声を上げた。
「やっぱり。急に子どもを世話しているから可笑しいと思ったんだ。あれを、首輪代わりにされているんだろ?」
やっぱり、準備しておいて正解だった。そう呟いて、Xは手の平に収まる何かを掲げて見せる。
「ぼくらが外してあげるよ」
何かのスイッチのようだ。カチリ、と零の頭の中でパズルのピースがはまる音がする。
移動の際、チラリと一瞥した陣平たちの手首に巻かれていた、無骨なリストバンド。耳に挟んだところ、来場者参加型イベントに必要なアイテムだという――まさか。
微かに頬が強張ってしまったのを悟られたのか、Xは口端を持ち上げた。
「あの子どもたちに渡したのは、Y特製の小型爆弾なんだ」
「火薬量は少ないが、あの至近距離で小さな身体くらい、簡単に吹き飛ばせる」
「っ」
くらり、と零の視界が揺れる。彼らの身へ及ぶ危険性に眩暈を起こしたため、ではない。痺れが指先に起こり、高熱を起こした時のような身体のだるさに、零はその場で片膝をついた。「良かった、ちゃんと効いてきた」と呑気な調子のXの声に苛立ちが起こる。
Yの爪か、袖口か。先ほどの掌底を避けた際に引っかけた何かに、痺れ薬の類が仕込まれていたらしい。未成年だからと、油断していた。
ジャリ、と埃を踏む音がする。Yが登場して少ししてから感じていた視線の主たちが、かくれんぼをやめたらしい。そちらを肩越しに見やり、零は口端を持ち上げた。
「……いるじゃないですか、お仲間」
「彼らは先日のお客サマなんだ。今回は、こっちからお願いごとをしたけどね」
FBIの言っていた大陸のテロリスト共、ではないようだ。そんなテロリストの入国を許せば、こちらの入国管理の大失態なわけだが。見覚えのある顔が数人。組織犯罪対策部がマークしている、とある組の組織員だ。表だった公安案件に手を出したわけではないが、何かあったときのためにと目を通していた書類に載っていた。
彼らの依頼内容も気になるが、痺れるこの手足でどうやってこの包囲網を切り抜けるべきか、今はそちらへ頭を回すべきだ。
前方には二人の少年少女、後方には数は把握できないが大人数の男たち。手足は痺れ、感触も分厚い布を隔てたように心もとない。普段の体調ならいざ知らず、現在の状態では制圧は難しい。
「手足の一本でも折れば良いのか?」
ポキリと首の骨を鳴らしながら、男の一人が歩み寄って来る。無遠慮に肩へ手を置かれ、ミシリと骨が軋んだ音を立てた。思わず顔を顰めると、それを見たXが「死なない程度にね」と言い添えた。
「手酷く振られたんだから、サッサと切り捨てれば良いものを……」
「……っ」
ため息交じりに肩と頭を掴まれ、零は頬を地面に押し付けられる。神経の感覚は麻痺してきているが、背中に回された腕は可動域を越えており、ギシギシと悲鳴を上げた。
XとYに、零の命をとるつもりはないようだ。このまま大人しく拘束されるべきか。痺れ薬もそう長時間効くものではない筈だ。効力が切れたところで、動きだせばいい。
零がそう算段をつけていると、視線で何かよからぬ予感を察したのか、腕にかかる負荷が強くなった。
「ぐっ」
「余計なことするなよ」
薄暗がりの天井を背景に、男の目が零を見下ろす。法に触れる行為を平気で行える人間の持つ、冷たい目。零の首筋に、冷や汗が浮かぶ。ギシ、と関節がさらに悲鳴を上げた。
――ギャギャ。
固いコンクリートの地面に耳を押し付けているせいか、妙な音が聴こえる。風の音、ではない。タイヤが地面を擦る音。車にしては、軽いような。
その音が聞こえていたのは零だけでなかったようで、拘束する男の手は止まり、騒めく仲間たちの方へ顔を向けていた。
「何の音だ?」
――ギャッ。
零は聞き覚えのある、この音は。
「……スケボー?」
ポツリと零れた呟きは、男たちのどよめきにかき消される。タイヤの音が一瞬止まり、踏み込むような音と共に、小さな塊が天井へ飛び上がった。
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