景零編(2)
「諸伏の様子が可笑しい?」
伊達は太い眉を顰め、「松田じゃなくてか?」と首を傾げた。名指しされた松田はヒクリとこめかみを引きつらせたが、苦笑する萩原に宥められて言葉を飲みこむ。
「買い物に行ってから、時々思いつめたような顔をして出かけることが増えた気がする」
伊達も思い返してみれば、確かにそんな姿を何度か見かけたような気がする。降谷との言い争いがあったから、それが原因と思ったが、それ以外にも理由がありそうだと萩原は言った。
「何だ、その理由って」
「それは分からないけど……ほら、姉ちゃんから言われた女児連続神隠し事件、あれを調べたいって言い出したのも、今考えれば少し諸伏ちゃんらしくないじゃん?」
伊達は思わず唸って、腕を組んだ。その怪異が関わってい可能性のある事件については、萩原たちから聞き及んでいる。降谷も気にはなったようだが、百鬼夜行の件と両立はできないからと、渋々景光に調査を任せていた。
確かに、その調査を引き受けたときの景光の顔は、いやに固い印象だった。まるで、遠い日の嫌な思い出を飲み下しているような。
「……降谷に報告は、すぐには難しいな。アイツもアイツで、気を抜けない状況にある」
赤井たちと繋がっていることを悟られないよう、百鬼夜行と接触して相手の動向を探る。それは、高所で綱渡りをするような緊張を伴う。そんな彼に、さらなる気がかりを与えるのは、伊達も本意ではない。
「景の旦那は、こっちに任せろ」
「情報元は姉ちゃんだしね」
「そっちもあまり無理するなよ」
伊達の言葉に、松田は了解だと片手を上げた。

険しい顔で、景光はスーパーの中を歩いていた。先日男を見かけた場所までやってきたが、やはりと言うべきかそれらしい影はない。思わず舌打ちが漏れそうになった景光の背後から、にゅうと腕を伸びてくる。
「!」
気配に気づいて景光が振り返ると、そこにいた萩原は少し驚いた顔をしつつもニコリと笑って両手を上げた。見慣れた顔に、景光はホッと肩から力を抜いた。それを見て、萩原も手を下ろす。
「諸伏ちゃん、怖い顔してどうかした?」
「……俺、酷い顔してた?」
「んー……少し前の陣平ちゃんみたいな?」
景光が思わず訊ねると、萩原は笑ったまま眉を下げた。ふぅと息が漏れて、自然と手が額を覆った。ぽすり、と萩原の手が景光の肩を叩く。
「取敢えず、座れるところ行こうぜ」
萩原の気遣いを素直に受け取り、景光は頷いた。
彼に言われるまま向かったのは、スーパーに併設されているイートインスペース。既に珈琲缶片手の松田が席をとっており、入ってきた萩原たちを見つけると手を振った。
「あれ、俺らの分は?」
「ん」
椅子に座るやそう訊ねる萩原へ、松田はもう片方で掴んだ缶二つを差し出す。礼を言って受け取った萩原は、一つを景光に渡した。
「で、諸伏ちゃんは何してたの?」
「あ、ちょっと気になることがあって……」
「気になること?」
「……いや、けど、そんなに面白い話じゃないし……」
口ごもり、景光は両手で包んだ缶に目を落とした。暫く、三人の間には沈黙が落ちた。
イートインスペースで談笑する家族の笑い声、遠くから聞こえる店内アナウンス。隣から缶を開ける小さな音がして、視界の端に映る萩原の身体が少し動いた。
「あーやめだやめ!」
突然、声を上げたのは松田だ。声の大きさに驚いて景光が顔を上げると、二人の間に座っていた萩原が呆れたように松田を宥めていた。しかし松田はそれを押しのける形で、景光に人差し指をつきつけた。
「お前が話すまで待ってやろうと思ったが、もう我慢ならん!」
「ちょっと、松田! 降谷から諸伏のペースに合わせろって言われたろ!」
「知らん、いつまでもグダグダしてるコイツが悪い!」
ポカンとする景光の前で、萩原は深々とため息を吐く。
「……ゼロが?」
「え? ……ああ、気にしてたよ、諸伏ちゃんのこと。元気なさそうだって。何かあれば、フォローしてやってくれとも」
自分は別件で忙しいからと言い訳をしていたが、先日の一件が降谷としても喉に引っかかっているのだろう。素直じゃない、と口の中で呟いて、それは二人に限ったことではなかったかと思い直す。
手の中で缶を転がしていた景光は、「そうか」と呟いた。
「……悪いな、二人にも迷惑かけて」
「全然、そんなこと思ってねぇぜ」
萩原がすぐに返すと、景光は小さく笑った。社交辞令と受けとったことを見て取って、萩原は彼の頭を小突く。
「迷惑なら、俺と松田もかけたばっかりだろ。その代わり……というのも何だけど、諸伏は普段からもっと我儘言って良いと思うぜ、俺は」
「そう、かな?」
「そうそう。それこそ、陣平ちゃんを見習いなって」
「おい」
ジトリとした視線を感じたがそちらへ顔を向けず、萩原はニコリと景光へ微笑んだ。パチリと目を瞬かせた景光は、ゆっくりと口端を持ち上げた。
「これは俺が解決しなきゃいけないことだと思ってたけど、そこまで言うならハギたちにも迷惑かけてみようかな」
「バッチこい」
「いつもこっちを手足に使ってる零に比べりゃ、可愛いもんだろ」
サングラスを頭へ押し上げた松田も、ニヤリと笑う。景光は思わず口元へ手をやって、クスリと笑った。
「……見つけた気がしたんだ」
ポツリ、と景光が呟く。萩原は口元へ持っていっていた缶を少し傾け、苦めの珈琲を舌へと乗せた。
「あの日……俺がまだただの猫だった頃。俺の両親を殺した、男の姿を」
じっと手元の缶を見つめる。その視界に、まざまざとあの日の赤い光景が蘇るようだった。

「殺した……?」
驚愕に満ちた萩原の言葉に、景光は頷く。
彼らに過去の話をしたことはなかった。家族も、兄しか紹介していない。景光は長い時間を生きる猫又であるから、そこに何の疑問も持っていなかったのだろう。萩原は少し戸惑った様子だったが、手の平の缶の固さを確かめながら、景光はゆっくりと口を開いた。
当時幼かった景光が、住んでいた家の地域やそこにいた人間について憶えていることは少ない。その頃の記憶は、全て赤い夜に塗りつぶされている。
「ある晩、急に刃物を持った男が襲ってきたんだ」
初めに父、ついで母へ刃が向けられた時点で、景光は母に逃げるよう蹴飛ばされた。震える足を何とか動かして、景光は母に言われるままその場を駆け出した。そうして降谷のいる山に辿り着き、彼の元で療養することになる。
「兄貴は?」
「兄さんはもう独り立ちしてたんだ」
景光が無我夢中で走ったため、兄と再会するにも随分と時間がかかってしまった。
「そのあとゼロが調べてくれて、母さんたちの死を知った」
キュッと手を握り、景光は顔を伏せた。
「俺はあのとき、怖くて逃げだした。だから、決着だけでも俺の手でやり遂げなければならないんだ」
それが、赤い夜を乗り越えるための禊となる。
景光の話を聞き、松田は成程と呟いた。
「しかし、お前がただの猫だった頃の話だろ? 相手も妖怪だったのか?」
「当時は、人間だと思ってた。それ以前にも、猫捕りに追われることは何度かあったし……」
「猫捕り?」
「三味線用の猫皮を仕入れる職業だよ」
松田はゲと顔を顰めた。着る服にも動物の毛皮を使うのだから、その延長戦といったところか。しかし当人を前にその話を聞くのは、あまり気持ちの良いものではない。
「けど、思い返せば返すたび、あの夜にやってきた男は妖怪なんじゃないかと思うようになった……実際、この前すれ違った男からは、邪気の気配を感じたし」
「……まぁ、お前がそこまで言うんだ。目撃した男と、お前の家族を襲った犯人は、無関係じゃなさそうだな。けど、神隠し事件まで手を出そうとしてるのはどういうわけだ?」
残っていた珈琲を喉へ流し込んだ松田は、空になった缶を振る。怪異が関係していそうな事件の発生と、目撃された邪気の気配を持つ男。一概に無関係とは言えないだろうが、すぐに双方を結び付けられるほどの証拠はない。
「……少し見せてもらった資料にあった、被害者の共通点が気になったんだ」
「共通点?」
「あ!」眉を顰める松田の隣で、反応を見せたのは萩原だ。彼は姉から叩きこまれた捜査資料を思い起こしているようで、額に手をやる。
「猫を飼っている家と……三味線のような音!」
被害者の証言と家庭環境に、そのような共通点があった。被害女児の家では何れも猫を飼育しており、神隠しにあう直前ベンベンと弦を弾くような音を聞いた、というものだ。
「それは……」
かなり濃厚な繋がりではないか。
「けど、やっぱり相手の居所を掴むには弱いし……」
目撃現場までやって来ても、それらしい怪異の足跡は見つからない。野火のときと違い、身を隠すのが随分と上手なようだ。どうしたものかとため息を吐く景光へ、萩原はニヤリと笑ってみせた。
「そんな諸伏ちゃんに、俺たちから作戦を伝授しよう」
「……は?」



コツコツと足音が響く。薄暗く、埃臭い場所だ。あちこち剥きだしで錆びだらけの鉄骨が並んでいる。それを適当に流し見ながら、彼は指定された場所で立ち止まった。
「……ご招待いただきありがとうございます。ベルモット」
声をかけると、裸電球が描く丸い円の中で佇んでいたベルモットは、月の光を集めたような髪をふわりと手で持ち上げた。
「ハァイ、バーボン。懐かしい恰好ね」
「どうも」
後ろで手を組み、バーボンはニコリと微笑む。それから彼女の傍らに立つ男へチラリと視線を向けた。冷たい氷のような銀髪の男は煙草を燻らすばかりで、バーボンには一瞥もくれない。相変わらずだと心中ぼやいて、バーボンはベルモットに視線を戻した。
「それで、ここが今の塒ですか?」
「まさか、こんな埃っぽいところジンが望んでも私はごめんだわ」
ベルモットは大仰に肩を竦め、ジンを見やる。ジンはフンと鼻を鳴らすばかりで、一向にこちらの会話に入って来る様子はない。
「僕を呼び出した用件とは?」
「その前に、そちらの話を聞かせてもらえないかしら? どうして急に連絡してきたのか」
組み上げられた廃材の上を指でなぞり、ベルモットはフゥと息を吐く。白い埃がふわりと舞い、座ろうとしていた彼女は眉を潜めて腰を少し預けるだけに留めた。
想定通り、突然手を組みたいと言ったバーボンを、彼らも警戒しているらしい。シナリオ通りの台詞に笑みを浮かべながら、バーボンは首を傾けた。
「先日教えていただいた退魔師……彼がうちの山でもお痛をしてくれましてね」
ピクリ、とジンが反応した。へぇとベルモットも紅を塗った唇を動かす。
「どうも、僕をベルモットやジンと勘違いしたようでして……随分庭を荒らされてしまいました。その鬱憤晴らしですよ」
「奴のその後は?」
「一応追わせてはいますが、まだハッキリしません」
この理由では不満かと目だけで問うと、ジンはやっと加えていた煙草を指で摘まんだ。
「……好きにしろ」
「どうせなら、あっちも手伝って貰ったらどう?」
「あっち?」
バーボンは首を傾げる。ジンはフンと鼻を鳴らすだけで無言のまま去って行く。「相変わらずですね」とその背中を見送りながらベルモットに言うと、彼女は小さく肩を竦めた。
「それで、あっちとは?」
「ジンがこの国に来た理由よ」
バーボンは眉を顰めた。赤井は、ジンを追ってこの国にやって来たと言っていた。その赤井をどうにかするために、ベルモットは呼び寄せられた。では、全ての発端となったジンは、どうしてこの国に来たのか。
「赤井から逃れてきたのでは?」
「それ、本人の前で言うと脳天に穴を開けることになるわよ」
「それはごめんですね」
それで答えはくれるのかと、バーボンはベルモットの顔を覗き込む。顔にかかる髪を手の甲で持ち上げたベルモットは、小さく吐息を漏らした。
「あの御方のためよ」
「あの御方……というと百鬼夜行の主ですか」
「ええ。あなたは姿を見たことがなかったのかしら」
「羅刹鳥、という噂くらいは」
それ以上の情報はバーボンも知らず、姿など見たこともない。バーボンの答えに、ベルモットは一瞬視線を鋭くさせた。百鬼夜行に組する妖怪でも、主の種族や姿を知る者は少ない。バーボンがそれを知るのは、彼自身の調査能力の賜物だ。
「……この国には、あの御方の力の欠片があるのよ」
「力の欠片?」
「正確には、増幅させる呪具といったところね」
ジンは、それを手に入れるためにわざわざ海を渡って来たという。
そんな呪具の話は聞いたことがない。バーボンが眉を顰めると、すっかり口元に笑みを浮かべたベルモットは揶揄うような表情で、彼の耳元に口を寄せた。
「――」
「!」
囁かれた名前に、バーボンの青い瞳が揺れる。それが面白いというように喉を鳴らし、ベルモットは身体を離した。
「有名なのね。それがどうしても欲しいの。探すの、手伝ってくれるかしら?」
ヒタリ、と胸元に突きつけられた白い指。その爪がジリとシャツに皺を寄せる。否定しようものなら、心の蔵を抉られてしまいそうな迫力がある。額から滑り落ちそうになる汗を何とか耐えて、バーボンは笑みを浮かべた。
「……できる範囲で、力になりましょう」
「約束よ、バーボン」
ベルモットの手が動き、胸元から首筋へ指が昇る。チリ、とした痛みが首筋に走り、バーボンは咄嗟に彼女の肩を押していた。
「あら残念」
「……っこれでも一応立場がありますので、呪い除けはしていますよ」
焦げて切れたループタイが、スルリと首元から滑って地面へ落ちる。危なかったと内心息を吐きながら、バーボンはベルモットと距離を取った。
仙狐を自称する目の前の妖怪は、百の貌を使って世の治世者を手玉にとったと噂されている。しかし、バーボンが本人から手慰みに聞かされた話は、少し違っていた。
「西洋で火あぶりにされた悪魔との契約者、でしたっけ?」
「随分と乱暴な呼び方ね……魔女の方がまだ可愛げがあって好きよ」
バーボンにとっては些細な違いだ。首元へ手をやって異常がないことを確認し、バーボンは笑みを湛えた魔女を睨んだ。
「良い勉強になったでしょう? あまり約束をしない方が身のためよ」
特に、契約による術を得意とする存在相手には。言外にそう囁いて、ベルモットはヒラリと手を振った。
「……ええ、気を付けます」
ゆっくりと呟き、バーボンは微かに纏わりつく残滓を手で払い落とした。



「それで私が呼ばれたってわけね」
萩原から事情を聞いた灰原は、吐息を漏らした。ニッコリと笑顔を浮かべる萩原の足元に立つ彼女は、洋装をしており、しっかり人間への擬態が済んでいる。
「これ、あとで怒られないかなぁ」
その腕の中に抱かれる三毛猫が、情けない声で喋った。普通の猫に擬態した、景光である。
行儀悪くしゃがんだ松田は、グシャリとその小さな頭を撫でた。
「多少の無茶は、零もやってんだろ」
「コナンくんもあっちの調査に夢中だったからね。哀ちゃんが協力してくれて良かった」
「その代わり、後で報酬は貰うから」
ニヤリと微笑む姿は、さすが萩原たちより長く生きている妖怪といった様子だ。ぞわり、と少し背筋が泡立った気がしたが、萩原は気づかないふりをした。
神隠し事件の被害者は、猫を飼っている少女。そこで、灰原を人間の少女に、景光をその飼い猫に見立てて誘き出そうという作戦だ。
「護衛はしっかりしてよね」
景光の頭を撫でながら、灰原は萩原と松田を見上げる。勿論と強く頷く二人に笑みを返し、彼女は景光と共にそっと路地へ足を踏み入れた。
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