ミステリートレイン、再び。
ただ自分は、生きていてほしかった。ずっと傍にいてくれなどとは言わない。せめて生きて、暮らす場所を教え合って、時々顔を合わせて笑い合えたら。
「――零!!」
もう一度、名前を呼んでくれたら。



連休の初日、新幹線のホームは旅行に出かける人々で賑わっていた。その中に溶け込むように気配を消し、男は柱に凭れかかっていた。
目立つ金髪を帽子に、青い瞳をサングラスで隠し、零はスマホへ視線を落とす。季節柄、色の濃い肌を完全に隠すことはできなかったが、黒のカットソーという地味な色味の服にしたから、人ごみに紛れる筈だ。
トン、と零が寄り掛かる柱に、別の影がぶつかる。モスグリーンのポロシャツ姿の男が、新聞を片手にワイヤレスイヤホンから流れるラジオへ耳をすませていた。肩から下げたリュックを足元に置き、風見は畳んだ新聞をひっくり返す。
「……先方は先ほど、無事に会場入りしたそうです」
「早くて助かる。ウチの方は?」
「既に。警備の確認を行っているようです。……しかし何も、新幹線で現地入りせずとも」
「いつもの通り愛車で移動して、首都高速やパーキングエリアでアクションを起されても困るからな。ある意味、動く密室なのはこれも変わらないさ」
「しかし……」
「あのメッセージ通りに動く可能性の方が高い。それに、道中何かあったときのために、君の班と同じ車両にしたんだ。頼んだぞ」
風見はまだ何か言いたそうに口を開いたが、丁度乗車予定の車両がホームへ入って来るとアナウンスが報せた。また後で、と会話を打ち切り、零は柱から背を離すと指定席のある車両入口まで歩いて行った。

該当車両はほぼ貸し切り。一般客が同乗しないよう、チケットは公安の方で抑えてある。零の席は中央付近で、風見たち部下はそれぞれ扉付近に席をとっていた。
名古屋まで一時間四十分ほど。それまで会場図や上がってきた警備情報を見て、自分の動きをシミュレーションしておこう。
そう算段をつけて席までやってきた零は、ヒクリと頬を引きつらせた。
「……」
ボックス席のように向かい合った三人掛けの席が二列。間の床には、黄緑、オレンジ、青、紫――見覚えのあるリュックサックが並んでいる。そして窓の方から詰めるようにして座っているのは、これまた見覚えのある子どもたち。
「あ、またこれかー」
「くっそ、あと一枚で上がれんのに……」
「右か……左か……?」
「……なんでここにいるんだ」
そして何故、トランプをしているのか。
グシャリとチケットを握りつぶしかけた零は、何とかそれを堪えて言葉を吐き出す。
迷った末に右を選んでジョーカーを引いてしまった航は、ケロリとした顔で零を見上げた。研二の手札をサングラス越しに睨む陣平と、それを楽しそうな顔で見つめる研二、零へ一瞥をくれただけで二人に視線を戻す景光の姿もある。
「なんでってそりゃあ……お前が今日のこの時間、ここから新幹線に乗るって知ったからだな」
「……陣平」
「何でもかんでも俺のせいにするな!」
一抜けしたのは研二らしい。空になった手を振って笑う研二は、足元のリュックからペラリとパンフレットを取り出した。そのタイトルを確認し、全てを知られていることを察した零は頭に手をやった。
「電子機器は全てロックをかけてた。そんなものを突破するのは、お前くらい、」
零は言葉を止める。三人が無言のまま指さす方向、先ほどから一言も発さずツンとした態度でこちらに背を向けたままの少年。ヒクリとまた口端が引きつる。
「……ヒロ?」
「ランダムにするにしても、全体的にパスワードはもう少し捻った方が良いって風見さんに伝えておいて」
思わず零は後方に座っている筈の風見へ、視線を向けた。素早く首を動かしたため、睨んでいると思われただろう。間違ってはいないが、あからさまに新聞紙へ顔を埋める態度はいただけない。
「……と、いうことは」
ズカズカと彼の方へ歩み寄った零は、座席に阻まれて見得なかった足元を覗き込んだ。
「……コナンくん」
「えへへ」
風見の足の横に座り込んでいる眼鏡の少年と目が合い、零はガクリと肩を落とした。風見の服と同じ柄の子ども服は、親子の振りをするためだろうか。かぶっていた帽子をとり、コナンは座席に腰を下ろした。
「主犯は景光だよ」
「……だろうね」
それに意気揚々と便乗したこの少年も完全無罪ではないだろうが、取敢えず彼に対する追求は後だ。元の座席に戻った零は、ウエストバッグを下ろし、そっぽを向いたままの景光を見下ろした。
「おい、ヒロ。どういうつもりだ」
「……」
「そういうつもりで、情報を開示したわけじゃない」
「……それは、分かってる」
二枚だけ手元に残ったトランプ。ジョーカーとスペードのエースを、景光は膝の上に伏せておいた。
「でも、遠く離れた場所で待つだけも嫌だったんだ」
「……」
「無茶も、邪魔もしない」
「それに、巻き込まれるなんて今更だろ」
援護射撃をしたのは、航だ。どこかで覚えのある流れだな、と零の頭の隅に引っかかった。
「とっとと諦めて協力者にしろよ」
陣平もニヤリと笑う。じっとこちらを見上げるアーモンドの瞳。暫くそれを見つめ返していた零は、背もたれに手をおいて深く息をはいた。
「無茶するなよ」
「ああ!」
景光は、綻ぶように笑顔を浮かべる。零はまた小さく息を吐いて、彼の隣に腰を下ろした。
「ベルツリー急行を走らせるって言っても、本当にミステリーツアーを行うわけじゃないんだな?」
手に持ったパンフレットを広げながら、研二が訊ねる。零が帽子を外しながら頷くと、既にトランプを片付け始めた航がペットボトルのお茶を差し出した。
ベルツリー急行展――いつぞやのミステリーツアーで使用された車体と、用意されたギミック、衣装小物が展示されるイベントだ。さすがに、あの大きなイベントは公安権威を以てしても用意できなかった。鈴木財閥の力があれば何とかなっただろうが、あれほどの財閥を動かせるだけの協力者は、残念ながら公安には登録されていない。
「警察からの協力って言えば、次郎吉おじさんなら喜んで準備しそうだけど」
こちらの席に移動してきたコナンが、研二から分けてもらったスナック菓子を齧りながら言う。
「下手に公安の姿を晒したくなかったし、大きな事件化もしたくなかったしね。精々、展示会場の警備に警視庁の彼らを混ぜることが限界だった」
未開封だった蓋を開き、冷えたお茶で口を潤す。
「……それでコナンくん、君は今回どこまで噛んでいるのかな?」
ニッコリ微笑んで向かいに座る彼へ顔を近づけると、分かりやすく頬が引きつった。
「何のこと?」
「最近、君たちと買い物に出かけることが多かったのは、何か準備しているんだろ?」
先ほど無茶も邪魔もしないと言質をとったところだから、余計な防犯装備ではないと信じたいところだ。「それは……」と口ごもったコナンとの間を遮るように、可愛らしい包みの箱が飛び出した。
「お弁当。ゼロの家、こういうのなかったから」
隣から腕を伸ばした景光は、キョトンとする零の顔を見てニコリと微笑んだ。
「休み明けには遠足もあるっていうから、その前練習もかねてね」
そう言いながら、景光は膝の上に置いた包みを広げる。現れたのは大人用の弁当箱で、中身は彼らしい、栄養素の揃ったメニューが整然と並んでいた。
「……お前ら、本当は遊びに来ただけか?」
「まっさかぁ!」
研二はケラケラと笑う。その向かいでサングラスを頭に押し上げた陣平は、興味深そうに景光の弁当を覗き込んでいた。
「心配してたに決まってるだろ……いただきます」
誰よりも早く手を合わせた航は、箸箱を開いた。

名古屋まで、あと半分ほどか。聞いたばかりの車内アナウンスを思い出しながら、景光は吐息を漏らした。お手洗いのために離れた席からは、ひょこひょこと動く金色の頭が覗く。また陣平や研二と言い合いしているのだろう。
そちらへ戻ろうとした景光は、ふと足を止めた。
――チリ。
またあの感覚。病院帰りでも受けた、産毛を焼くような強い視線だ。
カリリと項に爪を立てながら振り返る。背後に続く車両は自由席で、通路には席が見つからず立っている人の影も見える。長い立ち姿勢に疲れて凭れかかったり、座ったりする乗客は、誰もこちらへ視線を向けている様子はない。
「……何事もなければ良いけど」
ボソリと呟いて、景光は目の前で開いた扉を潜った。



「いつ見ても鈴木財閥の力は凄まじいな……」
ベルツリー展は、いつかの国際イベントの折に破壊された新名古屋駅のドームを改装して行われる。最新リニア共々倒壊したドームを復元するための予算を捻出できず、鈴木財閥が買い取ったものだ。その鈴木財閥でもリニア再興までは手が回らないらしく、それを引いても絶大な経済力と知名度を誇っている。
こういったスポンサーという協力者が入ればもう少し楽なのだろうなぁと邪念がないわけでもないが、こちらは国家公務員であるし、何より鈴木財閥の会長の性格は協力者にするには少々強すぎる。松田が可愛く思えるほどだ。
広々とした会場と、そこを埋めるように増えていく人の波を眺めながらそんなことを考えていると、脛に鈍い痛みが走った。視線を下ろすと、ジトリとした目の陣平がこちらを見上げていた。
「何か失礼なこと考えてたろ」
「……さあ?」
ニッコリ笑って見せると誤魔化されたことをしっかり察したのか、陣平は盛大に顔を顰めた。
「ほら、子どもはあっちのブースに行ってみたらどうだい? 楽しそうだよ」
少し膝を曲げてかがみ、零は『安室透』の笑みを浮かべる。陣平はチラリとそちらを見やって、渋い顔のまま素直に駆けて行った。
その背中を見送り、屈んでいた姿勢を戻した零に、背後から声がかかる。
「時間通りだな」
「……堂々と声をかけてくるな」
帽子とマスクで顔を隠しているとはいえ、些か不用心ではないか。零が眉を顰めると、スタッフジャケットを羽織った赤井は気にした様子もなく隣に立って会場を見回した。
「各所定の位置にエージェントを配置させた。スタッフジャケットを着た者と一般人に扮した者と半分ずつだ」
「風見から既に聞いている。異常はないとのことだが」
「申し訳ないが、それについて訂正しなければならない」
赤井は辺りに視線を向けながら、スタッフジャケットのポケットを探り、指で摘まんだ何かを零の手元へ差し出した。カットソーの裾を正すふりをして受け取った零は、硬質カードのような手触りのそれに目を落とす。サングラス越しに文字を追った瞳が、驚きで細くなった。
『Thank you for your invitation. To “Z”』
「宛名を変えてきた……?」
今まではバーボンを示すウイスキーの名前だった。それがここにきて『Z』とは。
すぐに自分の名前を思い出してしまったのは、親友たちから呼ばれる綽名があったからだ。綽名の『零(ゼロ)』か、嘗てコナンが指摘した所属部署を示す『ゼロ』か。どちらにしろ、本名か所属はバレていると考えておくべきだろう。
カードの輪郭を指でなぞり、零はグッと顔を顰めた。それをポケットへ手と一緒にしまいこみ、赤井に目をやる。
「……既に会場内へ?」
「いや、それらしい人影はない。カードも、昨日以前から仕込まれていたと考えられる」
かの女のような変装術を情報屋は持っていないから、変装は最低限となるだろう。しかし、赤井たちは情報屋を見分ける方法を知っていた。
「あの赤髪は、どんな恰好をしても隠さない。余程、気に入っているトレードマークなのだろうな」
それもブラフとなってしまう可能性もある。そのために赤髪以外でも警戒はしているが、情報屋の手口を頭に叩きこんだ赤井には、赤髪をすっかり隠して現れるとは思えなかった。情報屋のくせに、どうも自らの存在を誇示する傾向が見受けられるのだ。
「……本当に、僕にとって赤こそが忌色だな」
零はポソリと呟く。インカムから手を離して彼を見やった赤井は「ホォ」と声をこぼした。
「そうなのか?」
「……話す相手を間違えた」
こちらも所定の位置へ向かうと言い捨てて、零は赤井に背を向けると歩き出した。

「陣平ちゃん、やっと来た」
「お前らが早いんだよ」
陣平は言い返して、ふと研二の左手首に重そうなリストバンドが巻かれていることに気が付いて首を傾げた。
「何だよ、それ」
「何か、参加者に配付しているリストバンドだって。そこで貰った」
研二が指をさす方向には、家族連れや子どものグループに笑顔でリストバンドを配るスタッフの姿がある。陣平の分も貰って来たと研二が渡してくるので、陣平はそれを受け取って左手首に巻いた。
「会場全体のクイズラリーは、これでQRコードを読み取って解答するんだって」
航が一緒に貰ったらしい説明書を開き、隣で覗き込んでいたコナンがそれを読み上げる。風見の姿がないことを訊ねれば、先ほど担当場所の確認へ向かったと小声の答えが返って来た。
「これで遊んでいるふりしつつ、会場を見て回ろうぜ」
「ふーん……」
子どもの細い腕には少し重すぎるリストバンド。凹凸の少ないそれには、時計盤のような位置に黒い電子パネルがついている。小さなカメラ穴もあるから、そこでQRコードを読み取り、パネルに問題文を表示する仕組みなのだろう。
「……」
陣平はそれをじっと見つめ、指でパネルをなぞった。



『終着駅のない列車』――零がそう示したのは、実際のイベントで使用した車体の展示物だ。ちょっとしたフォトスポットになっており、数人の一般人が楽しそうに部屋を見て回ったり運転席のハンドルを握ったりしている。
そんな彼らを流し見ながら、零は後部車両へ足を進めた。最終車両は、爆発によって消失している。今展示されているのは、今日のために誂えたようで、そこからだけ僅かに色や匂いが変わっていた。
少し嫌な記憶が思い起こされかけたが、それを表情には出さず、零はクルリと踵を返した。数部屋戻って、誰もいない個室を見つけるとそこへ足を踏み入れた。
室内の装飾を眺めていると、背を向けていた扉がパタリと閉じられる音がする。それと一緒に現れた気配を確認し、零はゆっくりと振り返った。
「……どうも、顔を合わせるのは初めてですね」
バーボンの顔に笑みを浮かべて見せると、赤い髪を遊ばせた相手はニッコリと笑った。
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